中欧編IX:シュコダ社

 【10月13日】

 13日は6時前に目が覚めた。メールを書き、荷物をまとめ、7時半頃朝食を取りに町に出た。ところが、どの店も開店は8時。それを待っていては予定に間に合わない。仕方なく、本日も朝食抜き。

 

 

(解説)
非自発的ダイエット生活。なのに、ベルトはいつも私の腹まわりにピッタリとフィットし続けた。残念ながら。

 

 8時半に荷物を持ってロビーへ。チェックアウトし、荷物を預ける。8時50分、M氏がホテルへ。一緒にブダペスト工科大学。ここで9時から教授に会う予定だったのだが、時間になっても現れず。30分待って、M氏のオフィスへ(のちに、教授は急病で病院へ行ったことがわかった)。途中、市場に立ち寄り、フォアグラの缶詰を買う。パプリカもあったので、1キロ袋と家庭用を。

 

 

(解説)
 帰国して、缶詰を開けてみた。食べてみた。
 結論:フォアグラは生がいい、やっぱり。

 

 ここで、M社に電話を入れる。朝入れたが、相手がつかまらなかったため。彼は、プラハでのアポイントを取り、ホテルに連絡してくれるはずが、今日まで何の連絡もなし。こちらから問い合わせる羽目になった。が、問い合わせても、結果は同じ。「すみません。全部断られまして」。だったら、最初から「任せて下さい」といってはいけない。

 

 

(解説)
できないことを「任せてください」と引き受けると、結果として他人に迷惑をかける。
時々いるよな、このタイプ。こんな部下を「積極的でよろしい」なんて評価してないでしょうねえ、あなた!

 

 11時。ウイーンから帰国して中古ピアノの再生をしている人に会う。スタインウエイのフルグランドを再生中だった。できあがれば1000万フォリント、約660万円で売る。新品だと2500万フォリントはするとか。指揮者の小林氏がここで、娘用のグランドピアノを400万円で買ったこともあるそうだ。

 

 

(解説)
世界の名器は、中古再生品でも、こんな価格が付く。

 

 彼がマックを使っており、マジャール語のフォントを持っていた。それをフロッピーに入れてもらう。これが日本語の環境で動けば、神戸の桝谷氏のリクエストに応えるここができる。ここまでする義理もないかもしれないが・・・。しかし、おじさんは喜ぶに違いない。

 

 

(解説)
マック=Macintosh。Mac OSという、いまではすっかりマイナーになってしまったOS(オペレーティング・システム)を使うパーソナルコンピューター。かつては、パソコン界のポルシェとも呼ばれたが、最近はあまり聞かない。

桝谷氏=桝谷英哉氏。クリスコーポレーションの代表で、世界の名器と呼んでいいオーディオアンプ、クリスキットを設計、キットとして販売していた。奇しくも、デジキャスが放送を始めた2000年12月1日、私に訃報が届いた。
桝谷さんはクラシック音楽の本も書いており、作曲家の名前を原語で書くのにマジャール語などのフォントが必要だったのだが、もらってきたフォントは結局動かなかった。私の操作が間違っていたのかな?
ちなみに、私はマックでは桝谷さんの師匠だった。
我が家には、クリスキットが3セットある。
桝谷さんには、いつか改めて触れる機会があるかもしれない。

 

 12時半、ハンガリー国立協奏楽団の支配人と会う。日本食を食べながら、芸術活動と体制転換について聞く。ハンガリー国立協奏楽団のCDを3枚もらう。1枚はモーツアルト。帰国して聞くのが楽しみだ。
 2時半、ホテル。

 みやげを何も買ってない。Mさんと一緒に楽譜を探しに行く。ところが、頼まれたものは、2つとも品切れ。残念でした。仕方なく、刺繍を5枚買う。

 

 

(解説)
旧共産圏は、驚くほど楽譜が安い。感覚として日本の5分の1以下か。だから、訳の分かった人はまとめ買いしてくると聞いたことがある。
仕方なく買った刺繍は、結果的に優れものだった。
ハンカチ大の刺繍が、確か1枚3000円程度だったと記憶しているが、仕事の丁寧さ、色使いの鮮やかさ、デザインの秀逸さ、どこをとっても、素晴らしい。
5枚のうち4枚はお土産に使い、我が家に残った1枚は額装して飾ってあります。
それにしても、海外から帰国して、毎回思い知らされるのは自らの吝嗇さ。貧しい生い立ちのしからしめるところか。
こんないいものなら、なぜ10枚、20枚まとめて買わなかったのか?
テーブルセンターに使えるほどの大きさの刺繍は、1枚1万2000円ほどしたので買わなかったが、自宅に戻って急に欲しくなった。なぜ1枚だけでも買ってこなかったのか?
カリフォルニアに行ったとき、アウトレットで1枚10ドルで売っているカルバン・クラインのシャツを発見、1枚だけ購入した。なぜ50枚まとめて買わなかったのか?
バカ!

 

 ホテル、3時半。空港行きのタクシーを手配。荷物を受け取り、M氏とコーヒー。4時、M氏と別れて空港へ。いまロビー。ブダペストは、最後の最後まで、息つく暇もなかった。
 50分後に、再びプラハに向けて飛ぶ。

 

 【10月15日】
 朝7時50分。Forum Hotelのロビー。通訳が来るのを待っている。

 

 

(解説)
 出張に出ると、こんな時間から働く。偉い!

 

 昨日は散々だった。ホテルを8時半に出て、北東に1時間少々のドライブで、シュコダ社に到着。さて話を聞こうと思うのだが、出てきたのは30歳になるかならないかの広報部員。

 「以前、来るという連絡はあったが、その後音沙汰がなかった。本当に来たのか。準備はしていない」

 ときた。日本からアポイントを取り、「質問書を送れ」というので、英文で質問書を書き、ファックスで送った。それなのに……。

 プラハのことを何も書かないうちにワルシャワに着いた。疲れも手伝って書く時間がなかったといった方が正しい。

 

 

(解説)
疲れてるね。シュコダ社の話が、どうして「ワルシャワに着いた」につながるのよ。しかも、シュコダ社はこのあとまた出てくる。どうなってんの?

 

 さて、まず14日の話。

 シュコダでは、さらにひどいことになる。

 「従業員数は」

 「たぶん2万人ぐらいだが、はっきりしたことはわからない」

 「年間の生産台数は」

 「知らない。こパンフレットに書いてあると思うが」

 通訳のHoly君が

  「恥ずかしいです」

  と怒り出す。本当に知らないのか。知っていてもいわないのか。日本なら、入って1年目の広報課員でも知っている基礎的な数字ばかりだ。

 

 

(解説)
事前に指示通り質問書を送って、高い金使ってプラハまで飛んで来て、そりゃあないだろう! 私も殴りつけたくなりました。
シュコダ社といえば、チェコの名門企業ですよ。創業が1885年、1905年には自動車製造を始めているんだから。日本は日清戦争だ、日露戦争だって騒いでた時代。トヨタ自動車も日産自動車もまだうまれてもいないころですよ。なにしろ、歴史が違う。
いまはフォルクスワーゲンの100%子会社。フォルクスワーゲンの世界戦略の一翼を担う企業なのに、私に対応した社員の頭の中はまだ旧体制のままなのかな?


 
 すごすごとプラハに帰り。昼食。Holy君が連れていってくれたレストラン。久しぶりにステーキを食べる。塩と胡椒だけで焼くように指示。割とうまかった。

 この日はほかに予定なし。N証券にY氏を訪ねる。折良く事務所にいてくれ、1時間ほど、ぼやきも交えて雑談。チェコ経済の基本的なところをあわせて聞く。

 それ以上やることもなく、Holy 君を相手にチェコの話を聞く。チェコのビロード革命後の変化、最近の若い人たちの生態、彼の田舎の変化。
 みやげ物の買い物をまじえ、プラハの学生がたむろする喫茶店を覗いた。なんと、店の中に2匹の犬を飼っており、こいつらが何とも人なつっこく、客に、私にも飛びかかる。女子学生の喫煙が目立つ。芸術系の学生が多いらしく、長髪の男子学生も多い。

 学生に話を聞くのもいいと思い、Holy 君に

 「あそこの女の子を誘ってよ。食事ごちそうするから、話を聞かせろといって」

 と頼むも、彼は後込み。

 「あまりかわいくないので、その気になりません」

 こちらの目には十分かわいい女子学生に見えたのだが、彼の好みは、ソフィア・ローレンのような、きつい顔をした女性なのだそうだ。
 日本食の夕食を取り、その後、ジャズクラブ。

 「これも、革命前にはありませんでした」

 

 

(解説)
Holy 君はその後、日本に留学に来たたはずです。大学での専攻は日本の古典文化で、確か1年間、歌舞伎の研究に来るといっていたので。
「日本に来たら、我が家にも遊びにおいで」
と、自宅の住所、電話番号を渡しておいたのですが、残念ながら連絡はありませんでした。
「こんなヤツと付き合ってたら、勉強する暇がない」
「こんなヤツと付き合ってたら、日本のイメージが狂う」
「こんな無教養なヤツとの付き合いは、時間の無駄」

彼、そんなことを感じたのでしょうか……。

 

 翌日は早朝チェックアウトの必要があり、11時前にホテル。荷造りをし、シャワーを浴びると疲労困憊。ベッドにはいる。

 この項、続く。

 


【初出2002年8月30日】
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