スキー入門 IV : 激突!

  惨めさに打ちのめされる日々は、我がスタイルではない。あの惨めな日から1週間か2週間たった頃、私は蘇った、不死鳥のように。

 「おい、スキーを教えてくれないかなぁ」

  会社でアルバイトをしていた大学生の男の子に声をかけたのだ。

  私を動かしたのは、我が自尊心である。お前は子供の尊敬を受け続けたくないのか? 親として、男として、情けなくないか? スキーぐらい克服しないで、九州男児の誇りを持ち続けられるのか?

 いや、正直に言おう。悪魔のささやきも聴いた。

 「平気だよ、そんなもん。2度とあんな恐ろしい思いをするぐらいなら、いくらでも我慢してみせるさ。スキーができるかどうかで人間の価値が決まるわけでもないだろう」

  スキーなんて、たいしたことない。スキーなんて、たいしたことない。スキーなんて、たいしたことない…… 。

  スキーができなくても、たいしたことない。スキーができなくても、たいしたことない。スキーができなくても、たいしたことない……

  何度自分に言い聞かせようとしたことか。納得させようとしたことか。悪魔に魂を売り渡そうとした瞬間があったことも否定できない。

  だが、1つの根元的な問いが、私を奮い立たせた。

  スキー用具につぎ込んだ30数万円、あれどうする?

  費やしてしまった金を、せめて「有益だった」と自分に納得させる。それはヒトとしての務めである。私に残された選択は、スキーができるようになることしかない……。
 こうして私は、ニキビ面の大学生に教えを請うたのである。
 
  そりゃあ、好みからいえば、スキーに一緒に行くのは滅茶苦茶カワイイ女の子にこしたことはない。だが、足下を見回せば、私は教えを請う立場。個人的好みを優先できる身分ではない。
 ましてや、女の子にはかっこいい姿を見せたい。そんなスケベ心は人後に落ちない。スキー板に振り回されてヨタヨタする姿を見られたくはない。滅茶苦茶可愛い女の子は、滑ることができるようになって考えればよろしい。滅茶苦茶可愛い女の子とスキーに出かけるためにも、今は、忍耐の時である。
 かの大学生は、私のそんな秘められた計算を知るよしもない。

  「そうかあ、北海道で初めての冬ですよね。任せてください。スキーなんか簡単なんだから」

  頼もしい。

 「お前なあ、大学生にもなってそんなにバカじゃあ困るなあ。もう少し勉強しろや」

 といわれ続けているふだんの彼は、世を忍ぶ仮の姿か、とさえ思える。よし、彼が漢字を書けなくても、いつも算数の計算で間違っていても、頼まれたことを忘れて怒られていても、構わない。私はこの先生について行く。強く心に誓った

  「じゃあ、今度の土曜日はどうかな?」

  「いいですよ」

  と、話はトントン拍子に進んだ。白銀のゲレンデに見事なシュプールを描く自画像がが目に浮かぶ。うっとりする。

 いま考えれば、悲劇の種はこの時に蒔かれた。

  土曜日午前8時。私は、彼の運転するトヨタスープラの車中にあった。目的地は小樽。

 「雪道は、FR車で走った方が面白いんですよ。コントロールが難しいですからねえ。それに比べれば、FF車は素直すぎてつまんないっすよ」

 当時の我が愛車フォルクスワーゲン・ゴルフはFFである。前輪で車体を引っ張る。だから雪道でも極めて安定している。後輪が押すFRは、一般的には雪道での挙動が安定しない。これが常識だ。
 常識から見れば戯言にしか聞こえない彼のつぶやきも

  「おっ、さすがに北海道生まれ。車1つとっても、我々とは発想が違う
  と、彼への信頼がいや増す。

 「じゃあ、行きましょうか」

  リフト乗り場で、彼が呼びかけた。私のスキーライフが、確実な一歩を踏み出すに違いない瞬間だ。このスキー場を去るまでには、わたしはちょっとしたスキーヤーとなり、自立する、はずである。

  リフトの挙動は既に把握済みだ。もう失敗はありえない。

  「フッフッ。降り場に着いたら両方のスキー板で雪面をしっかり踏みしめ、滑り降りるんだよな」

  今回の私には、余裕すらある。成長著しいとは、この時の私のためにできた言葉である。

  やがてリフトは降り場に着いた。すっくと立ち上がって滑り降りる。他人がどう見ようと、主観的には見事なランディングであった。

  そこまでだった、見事なのは。
  次の瞬間には、つい先刻まで確かに両手でしっかり握りしめていたはずの余裕が、手のひらで受けた初雪のごとく、スッと消えた。顔面は、氷点下20度の外気にさらされた湖の水面のごとく、カチカチに凍りついた
  リフトの降り場から、ゲレンデの最上部、つまり滑り始めるところまで辿る雪道の幅が、何と、

 20cm

  ほどしかない!

 はい、大げさです。でも、私の心象風景を叙述した文章としては、正確なのです。
 実際は、2、3メートルもあったはずだ。だが、私には20cmとしか思えなかった。20cmの左は崖、右は絶壁である。おい、おい、どうすんだ?!

  「じゃあ、行きますからついて来てください」

  こんな狭い道を進めってか?
  口には出さぬ。でも、ぶん殴ってやりたい。俺はスキーができねえから、ここまで教わりに来たっていうんだってば!

  怒りが殺意に変わった。それまでに何秒ほどかかったのか、いまとなっては正確な記憶はない。ゲレンデの滑降開始位置まで進んだ距離は30メートルほどだから、秒速75cmで進んでいたとしても、40秒ほどしか経過していない。

  「じゃあ、滑りますから、ついて来てください」

  奴(彼、なんという悠長な3人称代名詞を使っている場合ではない)は、スキー板の先端部を麓方面に向けるや、たちまち滑り降りてしまった。

 !? !? !?

  待てよこら! 俺が滑れないから、お前がここにいるんだろ? ついてこい? ついて行けるぐらいなら、お前を誘いはしないって。かわい子ちゃんを誘って滑ってるって。
 そんな俺が、どうやったらついて行けるんだよ。お前さあ、ボーゲンだってまだ俺に教えてないだろ! お前に与えた使命はどうなった? 責任を果たせよ!

  これが殺意の背景である。本当に殺して裁判になっても、情状酌量の余地は十分にある。

 知性のない人間には生きる資格がない。他人の心情を思いやる心を持たない人間は、生きているだけで邪魔である。
 人間が100人いれば、100の異なった生活がある。人格、感受性、技能も100通りある。それをこいつは、1通りしかないと判断している。ついて来いといえばついて来ると信じて疑わない。これを知性がないと呼ばずに、何を知性がないと呼ぼうか。

  と、心の中でいくら毒づいた。が、いくら毒づいても、何も変わらなかった。厳しい現実だけが残った。私の前にはゲレンデがある。何とかしてこれを降りなければ、奴を殴りつけることも、殺してやることもできない。悲しいことに、自宅に戻ることも不可能だ。
 これは悪夢だ。 一度目をつぶって、大きく深呼吸する。閉じた瞼をゆっくりと開く……。

  ゲレンデは、まだあった。消えてくれなかった。悪夢である。

  助けは、ない。
 Heaven helps those who help themselves.
 頼りになるのは、優秀さを誇る我が頭脳しかない。

  思い出せ、ボーゲン。
  確か、スキー板を八の字に開くんだったな。待てよ、開くといっても、どっちを広くするんだ? 前? 後ろ?
  えーい面倒くさい、やってみよう。

 前を開く。いや、こりゃあ何ともならん。極端ながに股で、股が引き裂かれる。痛い。体が安定しない。これは間違いだな。
  だとすると、前を閉じて後ろを開くのか。よっこらしょ。何か変な格好だな。でも、前を開くよりましか。うん、これに違いない。これでスタイルだけは決まった。しかし、人様には、就中かわい子ちゃんにはあまり見せたくない格好だよなあ……。

  そうか、そうか、思い出したぞ。開く角度を小さくすると滑り始め、広くするとブレーキがかかって止まると本に書いてあった。でも、滑りながら角度を変えるって、そんなことができる? 止まっているいま、やってみるか。

 う、動かない!  「コ・ン・ト・ロ・−・ル・ガ・フ・カ・ノ・ウ・デ・ス」。スキー板は、釘で地面に打ち付けたかのように動かない。そうか、俺は、車輪とブレーキが壊れた車に乗って急斜面を降りるような羽目に追い込まれているのか……。

  待てよ、先日家族と悲惨な体験をしたときは、確か息子に「斜滑降」で降りろと指示したな。谷足に体重をかけ、斜面を斜めに滑る。端まで到達したら転ぶ。転んだままスキーの方向を変え、反対の端に向かって斜滑降をする。転ぶ。

  これだよ、これ。息子ができたものを、父親である私ができないはずがないではないか。それは、人類発生の時点から変わらぬ真実である。子供は父親の後ろ姿を見て成長するのだ。この人類の知恵を、せっぱ詰まったここで活用する。やっぱり俺は天才だぁ!

  現在位置からゲレンデの下方に向かってまっすぐの線を引く。そこから右に45度、いや、これでは急すぎる。60度、まだ怖い。よし、75度のラインを想定し、このライン上を斜滑降する。ざっと見て、14、5回転べば、下に着く。よし、ラインは見えた。あとは滑るのみ……

  見えたラインの上をスッと滑り出す、はずではあった。しかし、ここで摩擦係数が問題になるとは、いかに天才の私でも事前には気がつかなかった。

 摩擦がなければ車は走れない。止まれない。ベルトコンベアも動かなければ、液晶の新型iMacのディスプレーだって、思った位置で止まってくれない。かように、摩擦は人類の日々の暮らしに果てしない恵みをもたらしてくれる。が、いま、この時だけは大変な障害になることに気付いた。

  行きたい方向に、スキー板が向いてくれない!

 スキー板と雪面との摩擦係数が最大の 1 になってしまったかのごとく、板が雪面に張り付いて動かない。
  ん? でも、どこに力を入れたら我が足にくっついているスキー板は方向を変えてくれるのだ?

 えーい、面倒だ、飛び上がって、板が空中にある間に方向を変えるとするか。飛べよ、イカロス。よっこいしょ、と。
  待て待て、右33度にしか方向が変わっていない。もう一度。まだ右69度だ。しかし、もう一度飛ぶと、右97度になってお尻を前にして滑らなければならなくなりそうだなー。よっしゃ、当初計画とは若干の齟齬があることを認めつつ、とりあえず右69度でスタートを切ろう!

  というわけで、私は恐る恐る勇躍、ゲレンデに乗り出した。

  ソロリと、スキー板、従って、スキー板に固定された私の体が動き始めた。

 おっおっおっ!

 滑る。我が意志とは関係なく、我が体が動く。

  しかし、あれですな。大地と、いやこの場合は雪面と、足の裏、いやこの場合はスキー板の裏側は、位置関係が一定であって初めて体全体を安定して支えることができるのですな。
 その体を動かす場合は、まず右足を(左足でもいいわけですが)、どの地点で大地との位置関係を一定にするか、の見当をつける。その状態に至るまでは片足で立つわけですから、その間の体のバランスをどうとるか、も勘案しなければならない。そんな複雑な計算を頭脳という優秀なCPUでこなすから、転びもせずに位置移動ができる。

 ところが、スキー板を足につけてゲレンデに乗り出すと、こうした体と足と大地(雪面)の幸福な関係が崩壊してしまう。スキー板は、従って我が足は、我が頭脳と何の相談もせず、彼らだけの勝手な論理で移動を始めてしまう。

 ちょっと待てよ。そんなことしたら、転けるだろうが。ほら、危ないって。だめだよ、そんな……。

 あ、あ、あ、あーっ!

  北海道の雪はサラサラである。転んでもスキーウエアが濡れることはない。それでも、人前で転倒することが屈辱であることには変わりない。滑り出したと思ったら、5mも進まないうちに転倒。これは、我がプライドを甚だしく傷つける。

  再起を期して起きあがる。もう転倒するものか。そのためには、重心を下げた方がいい。えっと、ボーゲンで重心を下げる? いやいや、太股に負担がかかりますなあ。前に転けるのは怖いから、体が後ろに行く。ほとんど後ろに向かってひっくり返りそうな角度になる。

  おまけに、体が固まっている。私の腕、肩、腰、足、どこをとっても、金属製のハンマーでたたけば、キーンという金属音がしたに違いない。

  転ける、立ち上がる。転ける、立ち上がる。これを繰り返していると、当然のことながら少しずつ体は前へ、そしてわずかずつ下へ移動する。初めてスキーで滑るということは、こういうことである、という事実を、私はいま、全身を使って体験してるのである。
 ナメクジのごとく遅い前進を繰り返していた私は、それでも徐々にゲレンデの端に近づいた。とりあえずは、所期の目的を達しつつある。

  うそ!

  スキー板と雪面の相対関係の現状把握にだけ振り向けられていた私の視線が、しばらくぶりに前方に移された時だった。とんでもないものが目に入った。

  リフトを支える鉄柱

  だった。直径は1.5m、ないし2m。茶色のペンキに塗られ、すっくと空に向かって立ち上がっている。
  それが、我がスキー板が目指している方向の先に、デンと構えている。スキー板に乗せられた私の体は、刻一刻と、リフトの鉄柱と激突する地点までの距離を縮めつつある。

  止まらねばならぬ。止まる必要がある。なのに、物理学とは何とあてにならぬ学問であることか。
  滑り始める前はスキー板と雪面との摩擦係数は1だった。スキー板は私の意志に反して滑ってくれなかった。それなのに、いまこの瞬間の摩擦係数はほぼ 0。止まりたいという私の意志に反して、スキー板は順調に滑り続けているではないか。状況によって計数が1にも0にもなるようないい加減なものが、どうして学問でありえようか!

 人間の意志の力には限界がある。それをはっきりと思い知らされたのも、この時である。

 止まりたい、のに止まらない。

 のは物理学の問題である。だが、

  転びたい、のに転ばない、

 のは意志の力の問題である。さっきまでは、転びたくないのに転んでいたというのに!

  「なせば成る、なさねば成らぬ何事も。ナセルはアラブの大統領」

  そんな古い格言が脳裏を駆けめぐった。
  我が体は、吸い寄せられるように鉄柱に向かう。時速は、高速道を疾駆する車のごとく、時速100kmは出ていた。いや、これも主観的速度ではあるが。いずれにしても、このまま行けば、我が体は鉄柱に激突し、修復が極めて困難なダメージを被ることは避けられそうにない。

 わっ、わっ、わっ、わっ!

  激突!

  話は変わるが、スティーブン・スピルバーグの「激突」って映画は傑作である。何度見ても、この映画を作った彼は、天才としか思えない。

  いや、元に戻す。

  激突ポイントまで、あと5m、4.7m、3.562m、2.1839m……

  求めよ、さらば与えられん、とおっしゃった神様がいる。そう、髪は 紙は 加美は 香美は 嘉見は 華美は 華実は 香味は神は実在した。

  やっと、雪煙を上げながら転倒した。いや、転倒できた。万歳! 憎むべき鉄柱までの残存距離は、32.27cm。危機一髪であった。別にメジャーを持っていたわけではないが。
  長くなった生涯で、あのときだけである、髪 紙 加美 香美 嘉見 華美 華実 香味神の実在を信じたのは。

  転んで、方向を変えて斜滑降、転倒。
  これさえできれば、もうゲレンデは怖くはない。下に着くまでに、3%ほどの自信が芽生えた。

  3%×33≒100%

  そう、3%の自信が持てる練習を33回繰り返すと、100%の自信が手にはいる。これは数学的な真実である。

  私はその冬、数学的な真実を個人的に証明する学問的野心に燃え、スキー場に数多く通った。やがてボーゲンで曲がり、止まるようになり、パラレルでもゲレンデで優美なシュプールを描けるようになった。

 あくまで、主観的な評価ではある。
 ついでに書けば、主観的には

 3%×33≒100%

 という数学的真実を証明できたと、固く信じている。

 


【初出2002年4月1日】
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