スキー入門 III : ファミリーゲレンデ

 私は気が付いた。

 我々と逆なのは、ゲレンデ係員たちの進行方向だけではない。ゲレンデにいる人たちの視線の方向も、我々とはである。ゲレンデにいた係員たち(多分、学生のアルバイトでしょう)の駆け出す方向も、 みんなの視線の方向も、我々の後方、 やっとの思いで脱出してきたリフト降り場だった。

  我は賢なり。世の常の愚とは一線を画するものなり。愚衆の動きに惑わされる愚かさは持ち合わせず。常に前を向き、正しき道を歩む。

  と言ってみたいところだけど、あきまへんな。やっぱ、世人の関心を引きつけておるものには関心を引かれてしまう。言ってみれば、何でもいいから知りたいという野次馬根性がむくむくと芽を出すのを止めるほどの志操の堅固さは、 残念ながら持ち合わせてはおらなんだ。
  私は、振り返った。

  見た、見た、見た、見えた第2の悲劇が!

  リフトが止まっていた。

  「何があったんだ?」

  私の視線は宙をさまよい、やがて降り場から山頂方向、つまりリフトが大きな滑車を回って下りにかかる方向へ動いた。

  いた、我が 愚妻 愛妻と愛娘が。リフトに座ったまま降り場を遙かに通り過ぎ、リフトが下り方向に転じようという地点の直前で宙ぶらりんになっている!
  こら、お前たち、それはないだろう。スロープを滑り降りるためにせっかく大枚はたいてリフト券を買い、ここまで登ってきたのではないか。何を勘違いしている。リフトに座ったまま山を降りようってか。リフト券に支払った金が無駄になるではないか!

 金の無駄遣いだけではない。彼らは加害者の立場にあった。止まったリフトで宙吊りになっているのは 愚妻 愛妻と愛娘だけではなかったのだ。この時、同じリフトに乗り合わせてしまった不幸な方々は、 訳も分からないまま、宙吊り状態を強いられ、スキー場を吹き渡る寒風にさらされていた。

  ま、それは他人の不幸だからどうでもいい。要は、我が 愚妻 愛妻と娘である。彼らは地上より3mほどは空に近いところにいた。飛び降りるにはしんどい高度である。彼らはその場所で、呆然とした表情で、周りを見回しておる。要はこの2人、降り場でリフトを降りることができず、そのままリフトに座り続けたものだから、降り場より遙かに先まで運ばれていってしまったのである。

 ドジ!

 ゲレンデをリフト降り場に向かって駆けだしていた係員たちは、頼もしくもこの緊急事態に素早く反応していたのだ。レスキュー大作戦を展開すべく、現場に急行する途上にあったのである。

  脚立が持ち出された。宙吊りになっている2人から垂線を降ろした地点の雪上に組み立てられた。うん、がんばれ、がんばってくれ。屈強な男性ゲレンデ係員が脚立によじ登り、最初にスキー板を2人の足からはずして雪上に投げ落とした。次いで、まず娘を、次に 愚妻 愛妻を抱え降ろしてくれたではないか。

 

 

(注)
その時、私の目には、そう、モハメド・アリか曙かのように見えました。本当は……、友人の田中君のようなやせっぽちで小さな人だったかもしれませんが。

 

 ま、9歳の娘は軽いから何ということはなかったであろう。だが、 愚妻 愛妻は身長160センチ、がっちりした体型で、それがスキーウエアを着込み、スキー靴をはいている。重かったに違いない。嫌になるほど重かったに違いない。私でさえ、抱え降ろすとなると躊躇したくなる重さだったに違いない。

 あの時、彼らを支配していたのは、追いつめられた女性に万難を排して救いの手をさしのべるという博愛精神であろうか、 それとも仕事に伴う責任感だったか。いずれにしてもご苦労様だった。心からありがとうございましたと言わせていただく。
 しかし、緊急時には夫婦愛も親子の愛も役立たないものだなあ。

  かくして、我々5人はやっとの事でリフトの呪いから解き放たれた。うち3人は再び、2人は初めて、スロープが始まる地点にすっくと立った。

  ドキン、とした。

  (やべえ!)

  頭の中で、そんな声がこだました。

  まるで、断崖絶壁の端にいるような気がする。

  (こんな急な坂が、ファミリーゲレンデってか……)

 

 

 (注)
( )の中は、いまだ外に出ない、心の中の声を表す。

 

  心に浮かんだことをそのまま言葉にしていては、社会の存立が難しくなる。ほんの少し時間をとって、ご自分のことを考えてみていただきたい。

  職場で上司にしかられたときに心に浮かんだ邪悪なこと。

 

 

(例)
手前には人を見る目がないのか? 時代を読む感覚はどこかに置き忘れてきたのか? いつまでつまらないご託を並べてんだよ、この唐変木、穀潰し! 手前みたいな上司が会社をダメにすんだよ!

 

 あなたを飛び越して出世してしまいそうな後輩を前にしたときの思い。

 

 

(例)
お前には人間としての美学がないのか? あんなバカ上司にヘラヘラごまをスリやがって。それほどまでして偉くなりたいか? お前のこと、みんながなんていってるか知ってるか? 会社の幟を立てて威張りまくってるアホ社員、ってお前のことだぞ!

 

 通勤電車で素敵な女性を見かけたときの妄想……。

 

 

(例)
ねえちゃん、いい乳してんじゃないの。ちょっとだけでいいから、ね、触らせて。今晩だけでいいから付き合って。ねえ、2人で天国見ようってば。

 

  いずれにしても、自らの発言が、聞き手、大きくいえば社会にもたらす影響を考慮せずに言葉を垂れ流すのは、成人にあるまじき思慮の足りない行為である。
 人間の本性はそれほど美しいものではない。いつも人目にさらせるほど立派なものではない。だから、社会には礼儀が必要で、作法が重要なのだという趣旨のことを書いていたのは、いまはなき作家、高橋和己氏である。

  私が置かれた状況で、( )内の言葉を口から発していたら、何が起きていたか。

  まず、家族全員がパニックに陥るのは免れない。お父さんは、精神的にも技術的にも、そして金銭的にも(これは関係ないか)隔絶して上位にあるという幻想がファミリーを支える。その大黒柱がパニックに陥れば、残りの家族が、存在の根底を揺るがすような崩壊感覚を味わい、パニックが増幅するのは火を見るより明らかである。
  ここは、大黒柱=私が落ち着かねばならない。

  でも、

  怖い!

  ゲレンデの斜度に加えて、私には182cmの身長がある。ために、下を見ると谷底を覗いているような恐怖感が突き上げてくる。

 (こ、こ、こんな所、どうやって降りる……)

  困り果てた。
  が、窮すれば通ず、である。救いの神は、思わぬところから現れた。愚妻愛妻と娘たちである。

  「だめ」

  ん?

  「こんなところ、滑れない」

  いいですな、女は。心に浮かんだことをそのまま発言しても許される。加えて、ある状況においては正直な発言が救いの神にもなる。
 ん? だとすると、先に書き記した、壮大な人生哲学はどうなるのだ?
  いやいや、いまはさような些事にこだわっている場合ではない。

  ほっとした。大黒柱の威厳が保たれた。おまけに、恐ろしいゲレンデを、滑らずに、下山する道が開かれた。

  「滑れない? そんなこと言って、どうやって降りるんだよ」

  これは、威厳を保とうとの父親の発言である。

  「 だって、滑れないんだもん。無理だよ」

  いいぞ、いいぞ、もっと泣きつけ!

  「うーん」

 私は考え込む振りをする。
 実は、この事態を打開するにはこれしかない、という「秘策」 は、この7秒ほど前、

  「だめ」

 という言葉を聞いた瞬間に、私の脳裏に浮かんでいた。いかなる危機に陥っても解決策を見いだす。私は危機管理の大家になれるかもしれない。

  やがて息子にいった。

  「お前は男の子だ。斜滑降で何とかして下まで降りろ。いいか、ゲレンデを斜めに滑る。そうすると、まっすぐ滑ったときに比べて、坂は緩くなるから速度が出ない。低い位置にある足を谷足というが、谷足に体重を乗せろ。ゲレンデの端まで行ったら転べ。転んだままスキーの向きを変えて、反対の端までまた斜滑降だ。20回ぐらい転んだら下に着く」

  このりりしさ、理論的正しさ、噛んで含めるように教え諭す知性、そして父親としての威厳。

  息子は私の指示通り、よたよたしながら何とかゲレンデの端を目指し始めた。健気だった。
 
 あとは、事務手続きと肉体労働である。

 まず、ゲレンデの係員を呼んだ。

  「あー、済みませんが」

  「何でしょう」

  「実は、今日初めてゲレンデに出たのですが、私を含めて全員が子供たちが怖がって困っています。一番下の娘を、何とか下まで降ろしていただくわけには参りませんか。なんなら、下向きのリフトに乗せていただくとか」

  「うーん、下向きのリフトにはお乗せできないんですよね。わかりました、おぶって降ろしましょう。お嬢ちゃん、おいで」

  と、彼は背中を向けた。

  男はオオカミにもなりうることを学ぶ人生経験など、まだ持ち合わせていない我が5歳の娘は、 スキー板を脱ぎ、

  「うん」

  といって彼の背中におぶさった。

  彼は、

  「では、下で待ってますから」

  というが早いか、ストックも持たずに、シュプールを描きながらゲレンデを滑り降りて行く。2人の姿はたちまち小さくなって……

  待て、この野郎、娘をどうする気だ、待ちやがれー

  と言っている場合ではない。これで、残り2人。

  「よし、ではお前たち、スキーを脱げ」

  私もスキーを脱いだ。4人分、計8枚のスキー板が私の目前に集まった。

  「これから下山する。スキー板はお父さんが運ぶ。ストックは自分で持ちなさい」

  こうして、ゲレンデの端っこをトボトボと歩いて下山し始めた。1.6kmの長旅であった。まあ、足腰の訓練にはいい。

 息子は、何とか麓までたどり着いていた。下の娘も、オオカミの被害に遭うことなく、麓で先ほどの係員と一緒に我々の到着を待っていた。疲れ果てた我々は愛車ゴルフにスキー道具を積み込み、  悄然として帰宅の途についた。

  いや、スキー板の重かったこと!
  スキー靴のおかげで歩きにくかったこと!
  他人の視線の痛かったこと!
  麓の遠かったこと……

  いや、私も、これが他人のことなら腹を抱えて笑う。この雑文を読んで笑い転げているあなたを責める気は全くない。他人の不幸は密の味なのである。
 でもねえ、なにせ私と私の家族に降りかかった災難だからねえ。 私には笑えない。
  1つの出来事が、立場を変えると悲劇にもなり、喜劇にもなる。
  人生は深い。

  いま確認すると、ファミリーコースは
  斜度:平均11度 最大20度

  なんてことはない、むしろ楽すぎてつまらないコースである。

 えっ、つまらない?

 ゲレンデを、スキーをしょって降りてきた男が、いかにしてこの様な境地に達したのか。
 それは次回とする。

 


【初出2002年3月13日】
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