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 2017年5月9日 車のこと

 昨夜、桐生の郷土史を研究されている方と酒を飲んだ。桐生の歴史を教えていただくためだ。初対面、居酒屋での会合であったにもかかわらず、その方は大きな風呂敷包みを持って登場された。

 「いやあ、ご説明するのに、最低限の資料は必要かと思いまして」

 何処に行くにも出来るだけ身軽に。資料? 頭の中にある分で何となるさ、という私とはまるで違った世界を生きていらっしゃる方である。
 そうか、歴史を読み解こうという作業は、一文、一文字を疎かにしては間違った世界に歩み入る。先人たちのあしあとを正確に辿るとは、酒飲み話の席にも膨大な資料を持参する律儀さがなければ成し遂げられないものであるか。
 私は重そうな荷物を見ただけで、何やら光り輝くものを目にした気分になり、この方にすっかり魅せられてしまった。

 しかも、だ。この方はおっしゃった。

 「1人でコツコツと調べてるんですが、1人でやっているとどうしても思い込んで間違ってしまうことが出て来る。だから、私がやっていることは、誰かに聴いてもらう必要があるんです。聞いていただいて、『それは筋が通らないんじゃないか?』と指摘してもらわねばなりません。だから、私の話を聞こうなんていっていただけるのは本当にありがたいんです」

 この謙虚さがまた素晴らしい。口八丁で世渡りしてきたような私は、この方の爪の垢を煎じて飲まねばならぬ。

 伺った話はたいそう面白かった。

 織物の町桐生が世に出たきっかけは関ヶ原の戦いにさかのぼる。天下分け目の戦いを前に桐生の町衆は、東軍(家康方)が戦場で掲げる白い幟をプレゼントした。ために家康から高く評価され、桐生隆盛の始まりとなった。
 ここまでは桐生人の常識である。私にも、その程度の知識はある。

 「だけどね」

 のこの方はおっしゃった。

 「家康が、桐生の町衆から送られた幟を、はいそうですか、と受け取ると思いますか? たかが町衆です。家康に直接届けるなんてあり得ません。家康にこの話が届くまでには何重のも官僚の関門をクリアしなければなりません。これから戦だ、という混乱の中で、そんなことがスムーズに進むわけないでしょう?」

 いわれてみればその通りである。では、何故に桐生製の白い幟を関ヶ原で東軍が掲げるに至ったのか。

 「私はね、桐生新町の町立て(区画整理をして新しく町を作ること)をした大久保長安が間に立ったに違いないと思うんです。当時大久保長安は家康の重臣でした。彼が話を家康に持ち込めば、話は簡単に進みます」

 なるほど。

 「でもね、それだけじゃ、なぜ家康が桐生を高く評価したかが分からない。だって、これから戦をしようというのに、幟ぐらいは用意しているでしょう? その時、何故桐生製の幟が必要だったか。何故家康が桐生製の幟を喜んだのか。これまでの説明ではまったく分からないんです。実はね」

 と、話は佳境に入っていく。
 酒を飲みながらうかがった話である。ここから先は私の記憶が朦朧としてくる。
 何でも、桐生一帯は源氏と縁が深く、源家康を名乗った徳川家康にとっては大事な土地であった。だから巨額の資金をつぎ込み、重臣の大久保長安に命じて桐生新町の町立てを行った。その、徳川にとっては聖地ともいえる桐生で作られた幟は源氏の象徴であり、武家の頭領の象徴であった。それを知る大久保長安が桐生で幟を作らせ、家康に納めさせた。聖地桐生で作られた幟は、東軍に集まった諸将の意気をいやが上にも高めた。だから、関ヶ原で勝利を納めた家康にとって、桐生は大切な町になった……。

 「だから、かもしれませんが、江戸城の大奥で使われたのは桐生の織物だけなんです。西陣織は江戸城の大奥には入れなかったんです」

 いや、酔っぱらいながら聞いた話である。聞き間違えもあるかも知れぬ。だから、部分的に間違っているかも知れぬことを前提に呼んでいただきたい。
 だが、江戸幕府の揺籃期の歴史絵巻は大いに私の関心をひいた。

 「今度は、酒抜きで話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか?」

 私はそう御願いして快諾を頂いた。近々、改めてお話を伺いに行く。歴史の素人として、

 「それ、ホント?」

 という突っ込みを入れるのも、その時の私の役割だと思う。その成果は何らかの形でまとめてみたい。とはいえ、いい加減な私のことである。まとめるのがいつになるのか、本当にまとめることが出来るのかは不確定なので、あまり期待を持たずにお待ちいただきたい。


 7日日曜日は、我等夫婦の歯の修理のため相模原に行ったついでに、我が愛車を横浜のディーラーに置いてきた。11年目の車検である。

 「夜には見積もりが出ると思います。お電話します」

 ということだったので、桐生に戻って電話を待った。かかってきたのは夜7時半頃である。

 「エンジンオイルが大量に漏れていまして、これは修理しないと車検は通らないと思います」

 はあ、そうでうすか。エンジンオイルの減り方が早いと思っていたが、洩れていましたか。

 「ほかにも、ブレーキパットやブレーキシュー、あといくつか取り替え開ければならないものもありますので、おおむね37万円ほどかかります。オイルが漏れていなければ普通の車検程度の費用しかかからなかったのですが」

 37万円!

 おいおい、それはないだろう! ついこの間、エンジンがかからなくなって同じ程度の修理費を払ったばかりだぞ!!

 「しかし、オイルが排気管の上に大量に垂れている状態ですので、これ、何ともなりません」

 やむなく、作業は続けてもらうことにした。しかし、37万円。このほかに税金と自賠責の保険料が必要である。

 突然妻女殿のの声が聞こえた。

 「収入は年金だけだからね。新車を買うお金なんてどこから出すのよ!」

 参った。

 37万円払う。だったら2年後にもういちど車検を受けて乗り続けるか? だが2年後、ほかの箇所で不具合が出ないとも限らない。では買い換えるか? かつては2年後に新車にする計画だったが、収入は年金のみ。新しく始めた仕事も多少お客さんはついてきたが、さて、BMWに乗り続けることが出来るほどにまで収入を増やすことは出来るか?

 ま、いまの時点であれこれ心配をしても仕方がないが、桐生で暮らし、妻女殿の足が丈夫でない以上、車は必需品である。
 素敵な乗り味のBMWオーナーであり続けることができるか。それとも費用の見込みが立たず、6割程度の価格で買えるゴルフに乗り換えざるをえないか? ゴルフもいい車だが、BMWというのは一度乗るとどっぷりと魅せられてしまうからなあ……。

 私の仕事の営業担当は、何故かあのO氏である。ということは、だ。私が営業担当のケツをひっぱたくしかないのか?

 「もっと客を連れてこい!」

 って。

 あと半月あまりで68歳。次の車が最後の車になるかも知れぬ。最後の車を何にする? 悩ましい限りである。



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