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 2017年1月3日 謹賀新年

 皆様、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお引き回しのほどを御願い申します。

 としおらしい書き出しをした私は、昨日2日夕、苗場から桐生に戻ってきた。年末の31日から、啓樹・嵩悟の一家、瑛汰・璃子の一家とともに苗場プリンスホテルに投宿。ファミリーでスキーを楽しんできた。長男夫婦は初のおめでたを前に自宅で謹慎していた。ゆえに、長男夫婦を除くファミリー旅行であった。前年に引き続き、我がファミリーはスキー場で新年を迎えたのである。

 にしても、である。良くないぞ、苗場プリンス!

 広すぎるホテル。しかもルームサービスはない。朝飯、昼飯、晩飯にありつくには、ホテル内を長距離に渡って歩かねばならぬ。加えて、詰め込めるだけ客を詰め込んだホテル内では、至るところで渋滞が発生する。高い金を払って泊まったホテルであるにもかかわらず、飯を食うにも列を作らねばならない。長く待つのはいやだから、腹が減っていようといまいと、

 「早く行かないと並ぶから」

 と腕時計と相談しながら食い物屋(あれは、レストランでもビュッフェでもない!)に駆けつけることになる。

 いや、沢山の人にスキーを楽しんでもらおうとできたホテルであることを考えれば、その程度の不便は、口にする方がヤボなのかも知れぬ。だが、そんなお思いまでしてありつく食事はといえば、例えようもないほど不味い

 朝食で、

 新潟・南魚沼産コシヒカリ

 と看板を立てたご飯があった。見渡せばたいしたおかずはない。だが、米が美味しければ七難が隠れるのが食事である。そうわきまえて、茶碗に八分目のコシヒカリを盛ってテーブルに着いた私を想像して頂きたい。具がほとんど見えないみそ汁を

 「おいおい、具が何にもなくて、『あっ、今日はシジミが入ってる!』と喜び勇んで箸で掴もうとしたがどうしても掴めない。よくよく見ると薄いみそ汁に自分の目が映っていた、という落語に出て来るようなみそ汁だな」

 と思いながら飲み、頼みのコシヒカリを口に運ぶ。

 「ん? 何だこりゃ?!」

 私だって、時にはコシヒカリを自宅で口にする。独特の粘りと米の香りがあり、輝きと腰のある炊きあがりを噛みしめると何ともいえない甘みが口中に広がる。それがコシヒカリである。

 「粘りというよりただベタッとしただけの炊きあがり。噛めば即座につぶれる腰のなさ。これ、安食堂の飯より不味いぜ」

 看板のコシヒカリがこの体たらくである。ほかの食べ物がどうであったかはいうまでもないであろう。
 そういえば、

 「今日の夕食はしゃぶしゃぶにしよう」

 と娘が下見に行って戻ってきた。

 やめ。しゃぶしゃぶを出すっていうのは、ほら、去年ラーメンを食べて、あんまり不味いんでびっくりした店だったから」

 立地を見れば、冬のスキーシーズンしか集客が見込めないホテルである。だから、この時期混雑するのも、正月料金で高い金を取るのも我慢しても良い。
 だけど、食い物には気を使えよな、苗場プリンス!


 で、昨年のスキー旅行で、かつてあれほど楽しんでいたスキーに恐怖感を覚え、二度とスキーはすまいと思い定めていた私だが、今回の旅行が近づくと、やっぱり滑りたくなった。ために、自宅近くの階段を上り下りして足を鍛えるトレーニングにも、この1ヶ月ほど取り組んできた。いわば、満を持して迎えたスキー旅行であった。一時はスキーを断念したため、昨年のスキー行の前に買い求めたゴーグルは啓樹にプレゼントしていたから、今回も新しく購入して苗場に乗り込んだのである。

 前回とは心意気が違う。準備も違う。20年を越すブランクを無視し、着くなり中級コースに挑んで惜敗した前回の反省もある。いわば、万全の準備を整えて挑んだスキーである。

 「今回は初級コースで感を取り戻し、戻ったら中級以上に挑む」

 それが私の描いたプランであった。到着間もない31日、私は璃子、嵩悟、2人のママ、それに嵩悟のパパと一緒に初級コースのリフトに乗って山の上に運ばれた。

 ゲレンデの頂点に立つ。前回のような恐怖感はない。まあ、斜度が緩いこともあるが、なにせ今回は気持ちの充実度が違うのである。

 「行くぞ!」

 私はストックで身体を前に押し出した。

 「体重は前。左ターンは右足に体重を載せる。右ターンは逆だ」

 頭の中では、スキーの初歩ともいえる技術論が呪文のように繰り返されている。行ける、きっと行ける…。

 滑り出しは、とにかく滑った。スキー板は雪上を快調に滑る。

 「ん? ん? ん?」

 そろそろ右に曲がらねばならない。そのためには左脚に体重をかけ、エッジで雪面を蹴ればよい。よし、曲がり始めたぞ!
 おい、右足よ、どうした? お前は何で身体から離れていくの? そんなに離れたら股割きになっちゃうじゃないか!
 うんこらしょと右足を持ち上げ、左脚にくっつける。いやまて、いまは左脚1本で滑っているんだなあ。だからか? 身体のバランスが崩れてきたぞ。おいおい、体重が後ろにかかっちゃいけないだろう。そんなに後ろに体重がかかったら転けるって。転ける、転ける、転けた!

 まあ、それでも今回は少しは滑れたわけだ。横滑りを多用してほうほうの体でゲレンデを降りた前回に比べれば長足の進歩ではないか。
 うんこらしょ、と立ち上がる。かつてに比べれば重労働だ。あの頃と比べて体重はさほど増えてはいないはずなのに、やっぱり足の筋肉が弱っているのか。

 ふむ、パラレルではスキーが流れるか。ではボーゲンを試みるか。スキー板を八の字に開き、スピードが出すぎれば開き具合を増やして腰を落とす。うん、これなら滑れるわ。ターンもできるし、止まることもできる。よし、しばらくはこれで滑ろう。

 だけど、待て。足が疲れてきた。そりゃまあ、変な足の格好をしてるもんな。膝の関節だって、かつてに比べれば固くなっているはずだし、筋肉疲労が襲ってくるのも早くなっている。こんな格好ではふもとまでは無理だ。やっぱりパラレルに挑むか。

 よし、やっぱりパラレルの方が楽である。この歳になってボーゲンでゲレンデを降りるなんて無理、無理。このままパラレルで行くぞ。うん、ここで左ターンだ。あ、おい、右足よ、どこへ行く? そんなに身体の中心部から離れてしまっては、転ぶ、転ぶ、転んだ!

 グキッ!

 あれまあ、いやな音がしたなあ。いや、音がしたような気がしただけか。む、痛い。左膝が痛い。ひねったか? あれ、左のスキーが外れちゃってるじゃないか。そんなに無理な姿勢で転んじゃったか?

 立ち上がらねば。立ち上がってスキーを履かねば。む、痛い。やっぱり左膝が痛い。あれまあ、左膝を捻挫してしまったか?

 まあ、この程度の負傷はスキーにはつきものである。いや、高校時代、大きな大会を前に練習していて、突然現れた自称先輩に変な技をかけられ、左膝を捻挫したこともある。対策は、安静。痛みが引くまでは左膝に負荷をかけない。

 幸い、ふもとは近かった。何とかスキーを履き直し、ボーゲンとパラレルをミックスしながら降りた。

 「今日はここまでとしよう。明日、つまり1月1日は膝の様子を見ながら午前中1本滑ってみて、調子が良ければスキーを続ける。最低、午前中1本、午後1本を目指す」

 そう決めた私は早々とスキーを外し、見学組に加わった。全員がゲレンデを降りて夕食を済ませたあと、左膝をゆっくり温泉につけ、寝る前に湿布を貼って翌日に備えたのはいうまでもない。

 そして1日朝。

 「あかん。左膝、まだ痛いわ。昨日より痛いかも」

 67歳。無理をする年代ではない。無理ができる年代でもない。その場の勢いに駆られた無理は、後に大きな禍根を残す。

 「ああ、今回のスキーもこれで終わりだな」

 私は諦めがいいのだろうか、即座に決めた。痛む左膝に無理をかけて歩けないことにでもなった日には目も当てられぬ。そんな高齢者には誰も同情しない。年寄りの冷や水、と冷笑するのが世の中である。

 というわけで、今回も私のスキーライフは一瞬にして終わった。いや、ひょっとしたら私のスキーライフはこの日、大団円を迎えたのかも知れない。次のスキーシーズン、私は68歳になっているのである。

 反省はある。
 さて、元気にスキーを楽しんだ最後はいつだったか? 名古屋に単身赴任していた頃は、このシーズンになると職場の仲間尾を誘い、年に4、5回は長野県まで滑りに行った。横浜に戻ってからも、1、2回は子供を連れてスキー場に出かけた記憶がある。最後に行ったのは、20年少々前か。
 あのあと、少なくとも3年に1回、スキーをしていたら、恐らく体力の衰えに応じた楽しみ方を身につけることができていたはずである。そうすれば、いまでも自分なりにゲレンデをこなすことができたはずだ。

 だが現実には、私の頭にあるのは、体力があり、身体の柔軟性も充分だったころの私のスキーである一方、実際に滑るのは、体力も柔軟性も遥かに衰えた私の身体である。その乖離が、不幸な現実を招いているのだ。

 「でもな、あのあと、子供たちは私と遊んでくれなかったし、付き合う仲間たちにはスキーをしようなんてヤツはいなかったし。一人でスキー場に通った方がよかったか?」

 遅すぎる反省は役に立たぬ。だが、いずれ私と同じ年代になられる方は多数いらっしゃるはずである。これからの皆様の人生に、多少の役に立つことがあれば、私の挫折も無駄にはならないはずであると思い、あえて恥をさらした次第である。


 にしても、だ。子供の成長は凄い。
 璃子と嵩悟もスキーができるようになったと理解していたが、初日の31日にゲレンデに出た2人は、スキー初体験と言ってもいいほどの状態だった。中でも璃子は、滑るのが怖くてゲレンデの途中で泣き出す始末。それをママが励まし、教え、何とかふもとまで導くことから始まった。
 ところが、である。それを何回か繰り返して迎えた2日目、負傷退場の私を尻目に、璃子も嵩悟もママのケツを蹴飛ばすようにしてゲレンデに向かった。挙げ句、初級コースなら一度も転けることなく、楽しげに滑り降りてくるようになったではないか。

 「ボス、これから璃子と嵩悟が滑ってくるから写真撮って」

 負傷者である私はにわか作りのカメラマンとなり、ゲレンデの下で2人を待ち受ける。やがてカメラのファインダーで捉えられる大きさに近づいた2人に向けてシャッターを押す。秒速6コマのスピードで捉えられた2人はどれも笑顔。もうスキーはまったく怖くないようである。

 「ねえパパ、ガーラにはいつ行くの?」

 その夜、璃子はパパに尋ねたそうだ。

 少なくとも私たちは、啓樹、瑛汰、璃子、嵩悟にスキーの楽しさを知らせることはできた。まあ、1つの役目は果たしたのではなかろうか。

 というわけで、私の年明けは、あまり褒められた成り行きにはならなかったが、子供たち4人にはこれ以上はない幸せな新年になったようである。

 皆様の年明けはいかがだったでしょうか?
 負傷退場の私は、地上に降りてがんばる所存であります。今年も、なにとぞよろしく御願いします。



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