●日誌一覧

シネマらかす

グルメらかす

音らかす

旅らかす

スキーらかす

事件らかす

 2016年10月21日 髭

 確か、書いた記憶がある。
 男が髭を生やす。それは補償作用である、と。
 何を補償するのか。まず、頭髪である。頭の毛が薄くなってきたと気にしだした時、男は髭を生やす。上にはないけど、したにはあるもんね、てなわけだ。
 あるいは、である。己が男ではなくなりつつあるのではないか、と気に病みだした時、男は髭を生やす。
つまり、自分が外見も中身も生命力溢れる男性であると周りに信じ込ませる必要が生じた時、男は髭を生やしたくなる。俺? 男だぜ。当たり前だろ? 女に髭が生えるか?
 心理学関連の本で読んだ記憶がある。それほど間違ってはいないはずだ。

 あなた、髭を生やしてます? 髭を生やそうかな、って考え始めてます? ふむ。

 これまでは、他人事として以上のように切り捨てておけばよかった。ところがこの1週間ほど、そうはいかなくなった。

 いま、私の鼻の下には髭がある。立派ではない。まだ生えそろってはいないし、白い毛も目立つ。それでも、注意してみれば私が髭を生やし始めたことは一目瞭然である。現に、あのO氏は口をあんぐりと開けておっしゃった。

 「髭、はやすの?」

 いや、私の頭には、白くなりつつあるとはいえ、まだ立派な頭髪が生えそろっている。最近は円形脱毛症もない。髭を生やす必要はない。頭の毛を補償する必要はいまだ皆無である。

 「では、君の中身から男性性が失われつつあるのか? つまり、君は男ではなくなりつつあるのか?」

 そう問いかける人もあろう。だが、私にはそんな自覚症状はない。まだ、立派に男であると思っている。
 まあこれは、厳密に言えば証人が必要である。が、証人になってくれそうな相手を、残念ながら思いつかない。

 「私が証人になりましょう」

 と立候補してくれる女性があったとしても、こればかりは私の好みもある。直ちに証人になっていただくわけにはいかぬ。よって、この1件については、私を信じていただくほかない。

 「いや、信じてもいいけどさ、あんたの主張はどうなったのさ」

 問題はそこである。私の鼻の下には、何故に髭が登場したのか。

 急に秋めいた頃、鼻風邪をひいたことはご報告した。記憶にとどめていただいている方もいらっしゃると思う。
 さて、鼻風邪をひくと鼻をかむことなる。怠れば、鼻水がシャツ、ズボンなど、ところ構わず垂れ落ちて惨めなことになる。大量の鼻水が出続けると、立て続けに鼻をかまざるを得なくなる。

 あの時、わたしはそうなった。漢方薬を買い求めて服用し、3日ほどで落ち着いたと思ったら、翌日に再びぶり返した。そのような次第で、一時期、ティッシュペーパーはなくてはならぬ友となった。

 次から次にとティッシュペーパーで鼻をかむとどうなるか。まあ、鼻水が垂れ落ちる惨めな姿を人様にさらすことは避けられる。シャツやズボンを汚して妻女殿になじられることもなくなる。

 だが、好事魔多し、は万古不易の真実である。いいことの裏には、必ず悪いことがつきまとう。鼻風邪の私もつきまとわれた。鼻の粘膜がヒリヒリするところまでは、仕方がないと諦めた。鼻の周りがガサガサになるのにも耐えた。
 が、である、お立ち会い。今回はさらにひどいことになったのである。左の鼻の穴の下がただれてきたのである。

 私は9月1日から、とりあえず無職である。起業した形にはなっているが、あるのは支出だけでいまだに収入はない。

 かような暮らしになると何が起きるか。人間、暇ほど怖いものはない。人に会わずともよい暮らしにどっぷり浸かると、万事だらしなくなる
 私の場合、良し悪しは別にして妻女殿との同居生活が続いている。よって、同じ服を何日も着続ける自由はない。下着もシャツも、毎日取り替える。風呂も欠かさない。飲み会で遅く戻る日は、翌朝シャワーでさっぱりする。これらの面では、私に「だらしなくなる」自由はない。

 私に「だらしなくなる」自由があるのは、唯一である。もともと、私は顔の皮膚が丈夫ではない。それに電気カミソリはそり残しが多くて好きではない。だから現役時代は、毎日カミソリで髭を剃った。カミソリ負けでヒリヒリするようになっても、毎朝の髭剃りは欠かせないものであった。
 が、もう現役ではないのである。自分の顔の皮膚をいじめる必要がどこにある? もう、髭に関する限りは「だらしなく」なってもいいのではないか? 
 これは、かなり魅力的な誘惑である。

 が、一方で私は、起業しようという人間でもある。髭は剃りたくないが、無精髭が目立つのは起業の妨げになるのではないか。
 そこで妥協した。髭剃りは2日に1回とする。

 というわけで9月以降もカミソリを使い続けているのだが、そこに鼻の下のただれが生じた。薬を塗ってもなかなか治らない。さわるだけでも痛い。増してカミソリの刃などをあてようものなら……。
 では、どうする? ただれているところだけを残して髭を剃る? それは限りなくみっともないことになるであろう。鼻の左の穴の下にだけ髭が残り、ほかの部分は髭がなくてさっぱりしている。左鼻の下にいつも鼻くそがくっついているように見えないか?
 であれば、鼻の下全体の髭を残す方が理に適っているのではないか?

 というわけで、私はいま、鼻髭を蓄えている。

 評判は、悪い
 
 「髭、はやすの?」

 と問いかけたO氏は、問いながら笑いが抑えられず、1人で爆笑していた。

 妻女殿は

 「結構白髪が目立つわ。老けて見えるわよ」

 とおっしゃる。

 ほかの知人は、私の華の下の髭が目に入っているはずなのに、見て見ぬふりだ。ということは、決して美しいとは思っていないのである。

 「せっかくだから、伸ばしてみたら」

 といったのは、今日行った理髪店の女性である。

 「へえ、君は髭のある男が好きなの? だったら伸ばしても……」

 と言いかけたら、

 「髭男、私は嫌い

 と断言した。だったら、どうして私に髭を伸ばせというのか?

 いや、当の私だって、鏡をのぞき込みながら

 「俺の顔に鼻髭、似合わないなあ」

 と嘆息する日々なのだ。

 よって、ただれが全快すれば直ちに落とすはずの髭である。かなりよくなってきたので、来週には落とせると期待している。

 私の髭はそのような事情で生えている。頭髪が薄くなったからでも、己の男性性に疑いを抱いたからでもない。私の髭理論を訂正する理由をいまだに見いださない私なのであった。

 とはいえ。だ。私はいつまで髭からフリーで居続けられるのだろうか? 67歳の秋である。



前の日誌                             
無断               メール