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 2016年9月5日 不思議の家

 しかしながら、なのである。
 新しく移り住んだこの家、住むにつれて不思議さが際立ってくる家である。

 1980年代に開発された住宅団地の中の1軒であることは、確かご報告したと思う。それが空き家になって貸し出され、私が借り受けた。とすれば、最後はお年寄りがお住まいになっていたものだと思われる。

 いや、それは単なる推測に過ぎない。だが住んでみれば、やはり高齢者用もお住まいの家であったのだろうと思わせる設備がある。

 まずは手すりである。1階と2階のカ所のトイレにある。1階のトイレを出てすぐの廊下にもある。

 先日ご紹介した、私の事務室兼寝室に変身した和室には床の間がある。いや、そもそも和室が1階と2階に一間ずつあるのも、高齢者の好みを反映したものだと思われる。

 それなのに、だ。
 手すりは、それだけしかない。住んでみて

 「そんなところより、もっと手すりが必要なところがあるだろう!」

 というところに手すりが、ない

 代表例は階段である。延べ床面積が小さいこの家の階段は、幅が狭くて急である。曲がり角の踏み板はどこに乗って安心な長方形ではなく、三角形になっている。三角形の広い方に足を乗せればまあ、上り下りできないことはない。しかし、何かのはずみで狭くなった頂点の方に足を乗せて体重を支えようとすれば滑り落ちる危険が高い。
 それなのに、何故かそこに手すりがなかった。階段に手すりが取り付けられていたのは、踏み板がすべて長方形になった直線部分だけである。どちらかといえば、この階段では「安全な領域」である。
 いや、安全領域だから手すりは不要だというのではない。あった方が安全度は高まる。でも、そこにつけるんなら、どうして危険度の高いところにもつけないの?
 不思議である。

 風呂場にも手すりがなかった。既述したとおり、この家の湯船は縦が短く、底が深い。洗い場から湯船に身体を移す、湯船から洗い場に身体を引き上げる。いずれも、なかなかの労力を要する。特に、我が妻女殿のように足が弱れば、

 「私、シャワーだけにするわ」

 といいたくなる段差である。
 それなのに、手すりは1つもなかった。トイレから手すりの助けがないと立ち上がるのが不安だったかつての住人は、どうやって湯船に出入りしたのだろう?
 ために、引っ越ししたあと、私が専門家に依頼して取り付けねばならなかったのである。
 ここに住んでいた高齢者は、毎朝ランニングでもして足腰を鍛えていたのか?

 バリアフリーをまったく無視した家である。家の中のあらゆるところに段差がある。

 例えば、事務室兼寝室の和室と、その隣のリビングルームには約14pの段差がある。この和室から廊下に出るのにも同じ段差がある。

 実は私も、横浜に家を建てた時、同じ錯誤に陥った。約14畳の洋室に、ちょうど半分のあたりで段差をつけたのである。

 「いや、だだっ広い一部屋より、途中で切り替えがある部屋の方が変化があって面白い」

 と考えたのだ。そして何故か、依頼した設計事務所の所長が賛同した。

 「センスいいですね」

 って。
 が、だ。結果的に無駄だった。部屋の途中に段差があっては、まかり間違えばひっかかって無様に倒れる。ピアノなど、重いものの移動ができない。それに、そもそもそれほど高くない天井が、一段上がった部分ではさらに低くなる。
 メリットなど何もないと気がついた私は、改装の際、段差を取っ払った。

 そうなのである。この家も同じ間違いをしでかしている。

 「フローリングと畳の部屋だから、ここは切り替えた方が」

 などと、玄人風の口をきく素人大工に言いくるめられたか。

 そして、トイレに入るにも段差がある。脱衣場から風呂場に入るにも段差がある。段差だらけの家なのだ。

 ま、30年ほど前に建てられた家だ。いまほどバリアフリーへの関心が高くなかった時期の建築だ。だから、取り組みが甘くても仕方がないのかも知れない。
 ほぼ同じ時期に建てた私の家だって、バリアフリーが不徹底だった部分は多かった。ドアの下が必ず高くなっていた。部屋の床とベランダの床の段差がありすぎた。設計段階では

 「ドアの下はフラットに」
 
 「ベランダの床は部屋の床と高さを合わせて」


 と私は発注した。老母と同居することもあるかと考え、まだ耳新しかったバリアフリーを志したのである。なのに、できてみたらそうなっていた。設計事務所は高齢者との付き合いがなかったのかも知れぬ。文句をいったが、仕上がったあととあってやむなく諦めた。

 話を元に戻す。
 だから、家の中に多少段差があっても仕方がないのかも知れない。
 だが、だ。すべての段差の高さが違うのだ。和室の段差が14pなのに、トイレは4pの段差をのぼって入る。風呂場は9p下がってはいる。
 これほど違うと、段差を乗り越える時のリズムがなかなかつかめない。4pの感覚で14pの段差を乗り越えようとすれば必ずけつまずく。9pだってけつまずく。逆に、すべての段差を14pの間隔で乗り越えようとするのも無理だ。
 だから、家の中を歩いていると、何となく足取りがヒョコヒョコする。高いつもりで低い段差を越える、低いつもりで高い段差につまずく。そんな感覚がつきまとう。

 それに、だ。玄関の上がりかまちが極めて高い。何と何と、26pもあるのだ。いや、私は建築の専門家ではないから、「極めて」という形容詞は取り外した方がいいのかも知れないが、この私ですら

 「この玄関、高いなあ」

 と家に入るたびに感じる。足が弱い妻女殿は上り下りにさぞ体力を使われているに違いない。

 最後に縁側である。こいつが、途方もなく地面から遠い。
 この家にはリビングと、その隣の和室に掃き出し窓がある。こいつらが、地面からとてつもなく高い。リビングで57p、和室に至っては66pもある。掃き出し窓の外に、やや下がった濡れ縁でもあればいいのだが、そのようなものは一切ない。窓をあければすぐに地面である。

 ねえ、あなた。66pの段差がどのようなものか実感できますか? 私がいまパソコンに向かっている事務机だって高さは72pしかない。あなたの会社の事務机だって似たようなものだろう。それより6pしか低くない高段差。それが和室なのである。
 実感したのは、引っ越し荷物を整理している時だ。和室で作業中に、必要ができて外に出ようとした。すぐそこに掃き出し窓がある。ここから出ようとした。が、出られなかった。
 この高さ、身長181pの私ですら、

 「これ、降りたらやばいわ」

 という高さである。ほとんど、飛んで降りるしかない高さなのだ。毎日の暮らしで、毎日清水の舞台から飛び降りるのはバカである。

 困るのは洗濯だ。洗った衣類は、できれば太陽光にあてて殺菌をしながら乾かしたい。そのためには外に干すしかない。が、洗濯機から一番近い外への出口はこの和室の掃き出し窓なのだ。が、ここからは外に出られない。
 どうするか。洗い上がった衣類は、まずこの掃き出し窓の前まで運ぶ。次に掃き出し窓のロックを解き、玄関に回って外に出る。その足で、洗濯物を置いた掃き出し窓の前に回り、洗濯物を野外に出す。これだけの手間をかけねば、洗濯物を外に干せない。
 何でこんなに床が高いんだろう? ひょっとしてこの家の下には、床を高くしなければならない原因が埋まっているのか? それが宝物なら私が掘り出してもよいが、犯罪に結びつくものであったら……。

 という個々の「不思議さ」を集めると、

 「ひょっとしてこの家、アスリート養成用に設計したのか? 屋内の段差、屋外との段差をクリアし続ければ下半身の筋肉が鍛えられるのは疑いない!

 と結論づけたくなる私である。


 明日、メジャーをもってO氏宅にいく。あまりにも雑然とした彼の事務所のクリーン化作戦の第一弾として、整理棚を設計する。
 いま使われている整理棚はできあいの本棚の寄せ集めで、一つ一つ規格が違うため統一感がない。また、できあいの本棚の多くは、棚板がたいこ張りである(細い木でフレームを作り、それに薄い板を張り付けてある)ために、書類や本を収納するとたわんでしまう。湾曲した棚板がずらりとあると、見ていて不安になる。

 「これ、落ちるぞ!」

 だから、ずいぶん前から整理棚を入れ替えるよう薦めてきた。それがやっと実を結ぶのである。材料は集成材。彼の友人の製材工場で加工してもらい、私がねじ止めして仕上げる。
 明日はそのための設計図を書くのである。

 明日夕、潜在工場に発注。週内に部材が届き、作業は金曜日? それとも土曜日?
 出来上がれば、事務所の景観が一新するはずである。
 ああ、腕が鳴る?



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