●日誌一覧

シネマらかす

グルメらかす

音らかす

旅らかす

スキーらかす

事件らかす

 2016年6月9日 代替品

 本日、ふと思いついてパイプ煙草を復活した。

 ほとんど無視しているに近いが、それでも

 肺気腫

 の初期と医者から指摘されたことは頭の片隅にひっかかっている。息切れがしたり、胸のあたりにザワザワ感があったりすると、それまでなら

 「ああ、このところ運動不足だからねえ」

 「筋肉痛? 重いものを抱えたっけ?」


 と受け流していたが、あの後は

 「ひょっとして?」

 と疑心暗鬼にとらわれる。だから1日に吸う紙巻き煙草の本数もかなり減り、いまのところ2日で1箱程度になっているのだが、さて、ここから先がなかなか減らない。

 「であれば、パイプに戻してみるか」

 と思いついたのは昨夜、布団の中でのことであった。

 煙草を好まれぬ方々は

 「何の変わりがあるの? フィルターのないパイプ煙草の方が体には悪いでしょうに」

 と訝られるかも知れぬ。
 だが、紙巻き煙草とパイプ煙草には大きな違いがある。紙巻きは煙を肺に運ぶのに対して、パイプは煙を吸い込まない。もちろん、吸い込んでもいいのだが、通常は吸い込まず、ふかすだけである。だから、肺に悪さはしないはずだ。
 そして、それでもかなりの満足感が得られる。漂う香りは紙巻きより遥かに香しい。

 「だったら、とうの昔にパイプ煙草にすれば良かったのに」

 それもまっとうな指摘である。
 うん、私だってかつては、パイプ煙草をたしなんでおった。使用するパイプは会社の先輩から

 「あなた、煙草は吸わないんだから使わないでしょ? 私が活用してあげますから」

 といって巻き上げたダンヒルである。それにパイプを掃除する器具、煙草を含めた一式を持ち運ぶための皮ケースなど、必要な物は揃っている。桐生に来ても、当初は時折たしなんでいたのである。
 では、何故中断していたか。

 パイプ煙草って、一度火をつけると結構長持ちするのである。紙巻きならほんの数分の楽しみだが、パイプは少なくとも20分、どうかすると30分ほど吸うことになる。

 好きで吸っているのだから、長持ちするのはいいことじゃないの。
 それはそうなのだが、長持ちすることと、香しいが強い香りが出ることが同時発生することが問題になる。同じ部屋、同じ家に暮らす者どもから

 「臭い!」

 という声が出るのである。喫煙を認めている飲食店でも、パイプを取り出すと

 「お客様、普通の煙草でしたらよろしいのですが、パイプの方は……」

 と、やんわりと弾圧してくるところが、私の体験ではほとんどだ。
 となると、パイプを楽しもうと思うと、どうしても屋外に出ざるを得なくなる。それも、紙巻きのように数分で吸い終わるのならまあいいが、20分、時には30分も屋外に出て、ひたすらパイプを吹かすことになる。晴天の昼間なら、本でも読んでいればよろしい。しかし、雨天や日が落ちた夜、1人外に出てパイプをくわえるのは、これ、なかなかの難事業となる。

 ということで、ここ4,5年はパイプ煙草と縁を切っていたのである。

 だが、肺気腫。ここは今一度パイプにご登場願おうと今朝、用具を探索した。すぐに見つかった。

 「よし、久々にパイプをやるか」

 葉っぱを取り出し、かなり乾燥していたのでウイスキーをぶっかけて全体にまぶし、水気を取り戻させた。で、パイプは、と……。

 「えーっ、ケースに入ってないじゃないの」

 おかしい。パイプは使わない時はケースに収納しておくもの、と思うが、なにしろ4、5年前のことである。収納したかどうか、はっきりした記憶はない。

 「では、何処に仕舞った?」

 机の周り、葉っぱを保管しているところ、心当たりを人当たり探したが見つからぬ。
 さて、あの先輩からぶんどった高級パイプ、いったい何処に行ったのか? 捨てるはずはないからどこかにあるはずだが……。

 やむなく、煙草専門店(桐生にも、私が知るかぎり1点だけあるのです)に出かけて新しくパイプを買った。喫煙時間を減らすために、ミニパイプにした。1900円
 これで、パイプと戯れる時間を日常の中にうまく組み込む見通しが立ったら、あの高額パイプを家捜ししよう。見つからねば、ネットで高級品を1つ買ってみるか。

 かくして、私の暮らしに再びパイプが登場した。
 現在午後6時前。本日、これまでに擦った煙草は、紙巻きが3本、そしてパイプが2回。狙い通り、紙巻きの本数がグッと減った

 ということはあれか? 夜は紙巻きにして、昼間はできるだけパイプにする。そうすれば1日の紙巻き本数は5本程度でおさまるのではないか?

 第2次世界大戦中、かのドイツでは連合国の海上封鎖の影響でコーヒー豆がどうしようもなく不足し、やむなく代替コーヒーを開発した。私の記憶によると、確か大豆が煎って焦がしたものだった。焙煎した、といえば本格的か。いくら本格的でも、代替品であることに変わりはない。私は飲んだことはないが、恐らく、焦げた大豆の苦みに、コーヒーの面影を追いかけつつ

 「欲しがりません勝つまでは」

 などとドイツ国民は強がっていたのではないか。

 それに比べれば、同じように代替品を導入するとはいえ、私は偽物を使わない。煙草の葉っぱがないから、ここは桐生だし、桑の葉を吸うか、というのとは違って、パイプ煙草だって立派な煙草である。楽しみ方が違うに過ぎない。楽しみ方がやや制限されるのが泣き所ではあるが。

 本日、最初のパイプによる一服は、ここ事務室で楽しんだ。ために、いまだに香りが残っている。私、この香り、好きなんだけどなあ……。
 
 いずれにしろ、しばらくは

 「パイプのある暮らし」

 のリズムを模索する所存である。



前の日誌                             
無断               メール