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 2016年2月3日 町おこし

 日誌を書き始める直前に、ふと気がついてカレンダーをめくった。私のカレンダーは突然2月になり、私の2月は3日から始まった。

 昨夜は富岡まで出かけた。
 といっても、わざわざ富岡製糸場を見物に行ったわけではない。はばかりながら、私は群馬県に住みながら、いまだに富岡製糸場に行ったことがない。見たことがない。行って見たいと思ったこともない。
 なんであれが世界遺産なんだろう?

 行ったのは、富岡で開かれた町おこし講座である。群馬県が主催した。
 いや、これも富岡製糸場と同じく、行く気はなかった。その私を動かしたのは、例のO氏である。

 「安堂君、2日の夜、あいてる? 富岡に行かない?」

 そんな問いかけを受けたのは半月ほど前だった。

 「何で?」

 何故に、いい年をした前期高齢者が2人も揃って、群馬県の逆の端っこである富岡まで行かねばならぬ?

 「いや、ほらうちのボクちゃんが県の職員じゃない。彼が町おこしのイベントをやるっていうから行ってやりたいのよね」

 ボクちゃんとは、O氏の娘婿である。それはいいとして、なぜに私が、あなたの親族の親和に関わらねばならぬ?

 とは本音である。ところが、なぜか、当面の仕事が昨日の昼過ぎで終わった。となると、再び暇な日常が目の前にある。

 「あれ、今日だっけ?」

 と電話をしたのは私であった。


 午後5時過ぎ、O氏が車で迎えに来た。彼の運転で高速道路に乗り、ひたすら富岡へ。

 「腹減ったね」

 「うん、減った」

 「多少遅れてもいいから、ラーメンでも食べていこうね」

 「そうしよう」


 と話ながら富岡に着いた。一般道に降りて会場を目指す。O氏はハンドルを持ち、前方を注視する。助手席の私はラーメンの看板に目を懲らす。

 「ないね」

 「ないね」


 なかった。高速道を降りて会場まで、ラーメン屋の1件もなかった。

 「桐生以上の田舎だね」

 「……」

 こんな町で、町おこし?
 首をひねりながら、空きっ腹を抱えたまま会場に入った私とO氏であった。

 
 講師は、北九州市で北九州家守舎という結社をつくり、民間の力で町再興を試みている嶋田洋平という、私から見れば若者であった。講演は2時間弱続いた。

 いや、彼らの考えと実践に異を唱えるものではない。官に頼るな。町は民が興すものである。補助金で活性化した町はない。
 その通りだ。それに彼らは、北九州市小倉区の一等地、魚町をそれなりに活性化した実績を持つ。その成功事例は尊いものである。

 だが、話の進め方に、心がジリジリするような違和感を覚えた。
 
 1つは、脅しの手法である。

 「いいですか、皆さん。これから日本の人口は減ります。いろいろな推計がありますが、最悪のシナリオを辿ると、日本の人口は3000万人になります。だから……」

 おいおい、正気か? 確かにいま、日本の人口は減り始めた。だけど、それが3000万人、江戸時代と同じ人口まで減る? 戦乱も日本沈没もない世の中で、そんなことって、起こりうるのか?

 「だから……」

 には、人口も経済力も右肩上がりの時代が終わり、新しい時代が始まったのだから頭を切り換えて、新しい時代にあった構想を持たねばならない、と続く。それにはまったく賛成だ。
 だけど、そんな話をするために、脅しまがいのデータの羅列をするか? その後の話がいくらまともであっても、それだけで繭にツバしたくなるのは私だけなのか?

 もう1点は、御講話が成功事例の羅列に終始したことだ。

 「嘘つけ! 町おこしがそんなに簡単にいくわけないだろ?! 積み重ねた失敗の上に成功があったというのが本当ではないか? そして、我々が学ぶとすれば、成功事例より、むしろ失敗事例からの方が多いのではないか?」

 長かった話が終わり、私は嶋田氏に近寄って1つだけ質問した。

 「あなたが話した北九州市は、人口がおよそ100万人。ところが、この群馬県は、全県で200万人弱しかいない。北九州市で成功した背景には、1つの町に100万人がいることがあるはずである。あなたの成功から、我々は何を学べばいいのか?」

 答えは簡単だった。

 「都市間連携ですね。それで人口規模をつくればいい」

 ああ、この若者もその程度か。それって、単に公園なれした結果出て来る紋切り型の答えじゃないか。

 北九州市の面積は491.95平方qである。一方群馬県は、6,362.28平方qもある。約13倍だ。ということは北九州市と同じ100万人が、北九州市のざっと6.5倍の地域に薄く広くいるということだ。薄く広く広がる人口分布では商圏人口の計算もまったく違ってくる。交通の便だってずいぶん違う。

 狭い区域であれば、それぞれの地区が独自性を発揮し、利用する市民が動き回ればよい。だが、6.5倍もの面積では、動き回ろうにも動き回れないのだ。詰まるところ、北九州市の6.5分の1の区域に、北九州市が持っている機能のすべてがなくては、住民は不便で仕方がないことになる。だが、その区域には北九州市の6.5分の1しか人がいないのだから、ほとんどの事業が採算に乗らなくなってしまう。だから、町としての機能が必要最小限になる。
 これで、どうやって町おこしができる?

 さらに、だ。
 住民の心の問題もある。桐生市民は伊勢崎市民ではない。太田市の施設を使うには、何となく心の壁を感じる。そんなものではないか?

 聞きながら思った。

 「やっぱり、桐生の町おこしは、桐生の特性にこだわりながら、自力で切り開くしかないんだな」

 
 9時半過ぎに始まった懇親会にも顔を出し、桐生に戻ったのは午前零時を30分ほど過ぎたころであった。即座に布団に潜り込んだが、今朝は何となく眠気に包まれた私であった。

 が、自力で桐生の未来を切り開く? 何をどうしたらいいんだ?

 にしても、だ。
 O氏は行き帰り運転し、懇親会では好きな酒も飲まずに付き合った。娘婿への協力姿勢は賞賛に値する。

 そういえば最近、O氏は孫の写真をひけらかすことが多くなった。ふむ、可愛い孫をつくってくれた娘婿への感謝の表れなのか?

 ま、人のことはいえない私ではあるが。



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