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 2015年12月19日 恒例

 今年もあとわずか。両手の指では足りないものの、足の指を数本足せば足りるようになった。
 手の指と足の指を足して20本。だから、文明を知らなかった我々の先祖が数えることができた数は20まで、という説を目にしたことがあるが、さて、真偽のほどは知らない。

 この時期なると、毎年頭を抱えるのが年賀状だ。日本の麗しき風習、ともいうが、面倒臭い。一時、勝手に賀状を出すのをやめたが、それでもよこす人が沢山いる。

 「俺からの賀状が来ていないことに気がつかないのか?」

 と数年放っておいた。どうせパソコンに記憶させたデータベースで、毎年繰り返し散るだけの風習に過ぎないのだ。無視してなのが悪い? 
 それでも、来る。
 麗しき風習。相手に悪意がないだけに、これは戦い辛い。とうとう根負けしたのは、私である。
 根負けした私は、この時期に賀状を作成するのが毎年の恒例になってしまった。

 という次第で、今年は今日、朝から2016年の賀状づくりに取り組んだ。
 といっても、たいしたことではない。ネットで猿の画像を探し、ついでに「謹賀新年」にするか、「賀正」、にするか、それとも「頌春」か、「あけましておめでとうございます」か。それはその時の気分次第だが、お世辞にもうまい字を書くとはいえない私だから、その決まり文句もネットで探し当てて使う。要は、賀状作成ソフトを使い、ネットで探した画像を貼り付けて

 「一丁あがり!」

 というのが、私の賀状作成法である。手抜きと言えば手抜き。面倒臭くて仕方がない作業だから、できるだけ手はかけたくないのだ。

 迷ったのは、猿の画像である。猿? 申? さて、本当に猿の絵じゃ、何の味わいもないわな。しかも、俺が描いた絵じゃなくて、ネットで拾う絵なんだから。
 と、いくらか考えた。

 「猿の惑星にする? それとも、猿面冠者=太閤秀吉のポンチ絵か」

 瞬時迷い、

 「よし、孫悟空にする!」

 と決めた。
 ?斗雲(きんとうん)と如意棒で無敵の強さを発揮する孫悟空だが、泣き所は頭の悪さと、その悪い頭に巻き付いた輪っか(緊箍児=きんこじ、というらしい)。夏目雅子に似た三蔵法師に睨まれると、頭がキリキリと締め付けられてのたうち回る。
 何だか、美しき女性にはからきし弱い俺に似てないか? それに、来年は、できれば孫悟空のように元気になりたいし。

 今日も、そこまではスムーズに作業が進んだ。
 
 それが済めば、挨拶の文言を書く。それが順序である。
 悪いことに、私が出す賀状は文字が多い。

 「謹賀新年 今年もよろしく御願いします」

 だけしか書いてない賀状には

 「この程度のことしか書かないのなら、賀状なんてやめたら」

 と思ってしまう私である。イヤイヤながらでも出す賀状なら、できるだけ近況を伝えたい。受け取った人がどう思うかは不明だが、1枚あたり52円のコストをかけるのなら、その程度には利用しなければ、コスト割れしてしまう。
 という健全な経済観念を持つが故に、字数が増えてしまう。増えすぎると活字のサイズを小さくする。小さすぎて読みにくい、と嘆く方もあろうが、当方は関知しない。
 というか、そういうスタイルを作ってしまったが故に、もう身動きがとれないのである。いまになって

 「賀正 皆様のご多幸をお祈りします」

 などという味も素っ気もない賀状にしてしまったら

 「おい、安堂は先が長くないんじゃないか?」

 という、いらぬ心配を呼び起こしかねない。

 ということで、さて、スムーズに進んだ作業のあとは、 長めの挨拶文の執筆である。

 挨拶文の執筆である。

 挨拶文の執筆である……。

 ん? 何を書く?

 パソコンを睨みつけ、何も浮かばないので、啓樹と一緒にやっている算数の問題集を開き(こいつ、底知れぬ難しさだわ。「1/5と3/8の間で、分子と分母の和が86の、約分できない分数はいくつありますか」なんて難題を、小学生がシレッとして解くのかね)、それでもダメだから庭を散歩し、本を読み、またパソコンを睨みつけ……。
 何とか形になったのは昼前であった。

 この日誌をお読みで、年が明ければ私からの賀状を受け取れる幸福な立場でおられる方々は、という次第でできた挨拶文を心してお読みいただきたい。

 で、印刷は明日に回しにした。文章とは、書いたあと、少なくとも一夜放ったらかしにしておいて再読、修正する方が完成度が上がる、と考えてのことである。
 明日は通信面と宛名面の印刷に忙殺されるであろう私である。


 それはそうと、昨夜は前橋で、会社の忘年会であった。
 まあ、その。何とも寒々しい飲み会であった。
 義務的にできた人間集団の空気を決めるのは、一番上に座るヤツである。そいつの、トップとしての言行が組織の性格を形作る。

 今のトップは、座って2年足らず。たったそれだけの期間で、20代の若者3人が心を病んだ。

 無論、上からのプレッシャーにたやすく負けて病んでしまう若者たちにも不満はある。だが、それが立て続けに3人ともなると、いまの若者は弱い、とばかりは言っていられなくなる。

 加えて、長でありながら、最優先事項が職場の志気を高める、規律を保つ、若者の育成、という必須事項ではなく、東京本社からの己の評価を高めること、であれば、その人格はたやすく見て取れる。

 さらに、だ。この人、術策を弄しすぎる。言ってみれば、裏に回って悪口を、それも己の評価を高めるための他人の悪口を垂れ流す。それが、悪口の相手に筒抜けになっていることに気がつかぬあたりは、こいつの頭脳の程度を何にも増して表してる。

 いってみれば、高倉健を気取る(ヤツは、熱烈な高倉健ファンである)、やることなすこととんちきな、単なるバカである。

 いまうちの会社の群馬勢は、だから、ヤツがさんざんにたたき壊した人間集団になってしまった。その集団で飲む酒が美味いはずがない。私だけでなく、多くがやむなく参集しているだけの飲み会のなのである。酒を口に、胃に運びながら、頭にあるのは

 「早く終わってくれ」

 飲み会は多々あれど、忘年会と銘打った飲み会はこれだけだった私は、だから大変に心が冷える2015年の年末であったというほかない。

 21日から神戸に出張する。忘年会のマイナスをカバーして有り余るほどの心躍るハプニングが待っていないかな? と期待しながら新幹線に乗る私であるはずだ。
 むろん、そんないい目に会うのは、宝くじに当たるより難しいことは重々承知している私でもあるのだが。
 

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