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 2015年2月18日 入金

 不肖の息子を持つと、ろくなことはない。

 朝10時過ぎだった。手元のiPhoneが着信を告げる音をたて始めた。ディスプレイを見ると、サンフランシスコにいるはずの息子である。

 「はい、どうした?」

 我が家で、親子の対話はおおむねこのように始まる。

 「お父さん、ちょっと頼みがあってさ」

 頼み事がないときに電話をかけてきたことが何回あった?

 「賃貸マンションの敷金、礼金、仲介手数料の振り込みが今日まででさ。悪いんだけど、振り込んでおいてくれる?」

 という会話だけでは、全体像に理解が届くまい。こういう訳である。

 息子は昨春、勤め先の命でサンフランシスコに赴任した。遅れること約1ヶ月、同じ会社に勤めるその妻も異動でサンフランシスコに向かった。まあ、夫婦なんで一緒に暮らさせてやろうという会社の親心である。
 
 赴任前、息子夫婦は川崎にマンションを持っていた。中古で買った物件だが、いたく気に入ったらしい。友人を呼び集めて飲み会を開くなどそれなりに快適に暮らしていて、突然の米国赴任であった。
 東京から大阪に転勤するのとは、少し分けが違う。休日に、部屋に風を入れるために戻ることなどできるはずがない。
 そして、とにかくアメリカなのだ。

 「会社の新しいビジネス戦略をに担うとなれば、3年や5年で帰国できるとは思えない」

 と息子は思ったらしい。
 で、売った。すぐに、買ったときとほぼ同じ価格で売れたらしい。そこまではハッピーである。

 ところが、赴任して1年もたたない昨年暮れ、

 「あのさあ、こっちの事業をたたむんだって。まだ会社としては公にはしていないので黙っていてほしいんだけど」

 黙っていろって、こんな話を誰にすると思ってるんだ?
 まあ、それはいいとして、そこから騒動は始まるのである。

 日本に帰る。それはいい。見込みがないと思った事業からは、ケツに帆かけて一目散に撤退する。その経営判断も見事の一言である。普通の会社なら、

 「いや、確かに今のところ業績は上がっていませんが、これから改善する見込みもあり、こういう手も打っておりますれば……」

 などと異論が出る。その異論の皮を剥いていくと、自分推し進めた事業だから、中途で撤退しては自分の業績に傷がつく。俺が職を辞すまでは、赤字を垂れ流しても事業を続けた方が、俺のためになる、という、あからさまな異論の芯が見えてくることがほとんどなのである。

 そこまではいい。困ったのは息子である。何しろ、住まいを売り払ってまで米国での、サンフランシスコでの仕事にかけるつもりだったのである。それが、1年もたたないうちの帰国。

 「いま帰国しても、俺、住むことがないんだけど」

 と途方に暮れたに違いない。

 1月末、2人で1週間ほど帰国し、昼間は夫婦で不動産屋回りをしたが、夜ともなると、友人を呼び集めて歓楽の巷に沈んだようで、

 「お前なあ、友だちと酒は飲んでも、親に挨拶に来ることはできないのか?」

 と私にジャブをとばされたのであるが、まあ、それはそれとして。だから、あまり気にそう物件に行き当たらなかったらしい。

 横浜の私の家に住む次女は

 「お兄ちゃん、マンション見つかるまで、ここに住んでもいいよ」

 と男気、いや、女気、ちょいと違うなあ、妹気か? いずれにしてもそう申し出たらしい。瑛汰も璃子も、昨夏サンフランシスコに遊びに行って、このおじさんが大好きになっているから、そうなれば、多分喜んだであろう。
 が、140平方m強しかないあの家は、すでに次女一家の持ち物で足の踏み場もない。そこに2世帯、つまり大人4人、子ども2人は、多分住めない。だから息子は、サンフランシスコに戻ったあともネットを通じてあれこれ探したらしい。そして、ようやく

 「これなら」

 という賃貸マンションに行き着いたらしいのだ。
 まあ、家賃がべらぼうに高いのを除けば、落ち着くところに落ち着いたのである。で、冒頭の電話は、そのように安心していた私を急襲した。

 金を振り込め。金額は70万円少々。

 「おい、いったい何が起きたんだ?」

 ここにしようと決めたあと、息子は仲介業者、不動産管理業者に色々と注文をつけたらしい。それがおおむね解決したので、じゃあ、金を振り込むか。ふと書類を見たら、振り込み期限は今日である。

 「それでも、ネットで振り込むつもりで何とでもなると思っていたんだけど、○○(ここには息子の連れあいの名前が入る)が、ネットバンキングの登録をちゃんとしておかなかったらしくて、ネットから振り込みができないんだ」

 だから、父親である私に向けてSOS信号を出したのである。

 となると、否も応もない。とにかく今日中に入金しなければ、息子夫婦は日本で住むところがない。山谷に住まうか、段ボールハウスで寒さをしのぐか、夜ごと夜ごと街を徘徊するしかなくなるのである。

 私が直ちに動き始めたのは言うまでもない。

 「おい、今すぐ動かせる70万円って、あるか?」

 妻女殿に聴いてみた。
 まあ、60代の夫婦である。日常生活にそれほどの金はかからない。だから、まとまった金は、といってもたいした額ではないが、とにかく不要不急の金は定期預金してある。だから、おいそれとは動かせない口座にあるのは、おおむね30万円から80万円程度。70万円、すぐに集められる金か?

 「今月は年金が出たから、そうねえ、5、60万円ぐらいは口座にあるはずだけど」

 それでは足りない。

 「ん、そういえば、会社の信用組合に半年1回15万円しか出ないボーナスが貯まっているはずだな。よし、それを引き出して、足りない分を口座から降ろすか。それで何とかなるだろう」

 コンビニに行き、信用組合の金をカードで引き下ろそうとした。金額は、1日の上限である50万円。

 「残高不足」

 えっ、50万円もないの? 残高を確認すると、33万円少々。で、こちらから32万円を降ろし、銀行の口座から40万円引き出した。ん、口座残高34万円? 急な出費があったら枯渇するなあ……。

 いずれにしても、その金を持って銀行に走った。振込先は2カ所。振り込み用紙に記入し始めて、ふと気がついた。

 「あのう、この金、私の息子の名前で振り込むことはできないよね?」

 できない。さあ、困った。向こうは、私の息子からの入金を待っているのである。名字は同じでも、名前が違う人間から入金されたら、それを息子からの入金と認識するか? 恐らく、しない。

 「もしもし」

 となれば、入金先にこちらの事情を話して、違った名前でで入金すると伝えるしかない。
 1軒目はすんなり

 「分かりました。お父様の名前でご入金いただけるのですね」

 と話がついた。
 では、もう1軒。

 「申し訳ございませんが、本日の業務は終了いたしました

 えっ、本日の業務は、って、まだ朝の11時だぞ。終了した? あ、ひょっとしたら水曜日は定休日?
 息子に電話を入れる。とにかく、振込先と連絡を取れ。でないと入金できないではないか。が、何度かけても息子は出ない。

 「ミーティング中。もうすぐおわるので電話します」

 ショートメールが来たが、待っても待っても電話は来ない、お前の「もうすぐ」って、何時間後だ? とにかく、息子から電話が来るまでは残りの金は振り込めない。

 てなことで朝からバタバタし、息子から電話が来たのが昼前。向こうの担当者にメールを入れて、できれば電話をして事情を伝えろ。
 話を終えて、昼食も終えて、再び銀行に足を運んで入金を終えた。

 という、父親の獅子奮迅の働きで、息子夫婦は今月末、無事にマンションに入居できるはずである。


 で、珍しく昼過ぎから仕事が詰まっていた今日、みどり市から帰る途中で、横浜の璃子からFacsTimeが来た。なんでも、幼稚園でおひな様の絵を描いたらしい。それがうまく描けたと自信があったのだろう、それを私に見せるためのFaceTimeである。
 幸い信号待ち中だったから、ほんのちょっとお相手した。

 「うわー、璃子、うまく描けたね。璃子ちゃんもこの絵の中にいるのかな?」

 「ボス、何いってんの。璃子がいるわけないじゃない。これ、おひな様なんだから」

 「そうだね。でも璃子、ボスはいま車の運転中だから、もう一回、夕方にお話ししようよ」

 「うん、分かった」


 実に慌ただしい1日であった。



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