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 2014年10月21日 女.・2

 であるという理由だけで選んではいけない。

 「女性の活用」

 という最近の風潮に違和感を覚えていることは、これまでも何度も書いてきた。安倍内閣の今回の騒ぎは、私の違和感をそのまま実証したようなものである。

 「女性が輝く日本へ」

 安倍がそんなキャッチフレーズを掲げたことに違和感はない。こよなく女性を愛する1人として、女性に輝いていただくのは大賛成である。で、光輝く女性が、私を目に止めてくれればこの上ない幸せである。

 「ああ、僕は君と出会うために65年生きてきたんだ!」

 「私だって、これまで生きてきた30年はあなたを捜し求めてさまよっていたんです」


 なんて台詞を交わし合わせたら、生きてきた甲斐があるというものだ。

 加えて、日本は少子化の時代に入った。このままでは、日本は労働力不足を原因として経済は衰退を続けることになる。日本が豊かであり続けるためには、労働力として女性が世に出ることが不可欠である。

 つまり、安倍は極めて時代に相応しいキャッチフレーズを掲げた。それは評価できる。

 しかし、である。安倍は、己のキャッチフレーズを世に浸透させるため、「女性優先」で閣僚人事を行った。今回の騒ぎの根源は、

 「女なら何でもいい」

 という人事政策にあった、と私は思う。

 と書きながら、でも小渕優子は、今回の事件で再評価した。起きたことに対する対処の仕方が実にすがすがしい。なるほど、日本で初の女性宰相になる器、という評価も理解できる気がする。

 それに対して、「女なら何でもいい」という思考放棄人事の右代表は、松島みどりという、出っ歯ブス、加えてO脚のおばさんを法務大臣に据えたことだ。

 このおばさん、東大出である。が、彼女を知る知人に、

 「学部は?」

 と聞くと、

 「応援部。俺、それしか知らない」

 東大には、法学部、経済学部、文学部と並んで応援部というのがあるらしい。
 学生時代はチアリーダー。おいおい、あのご面相とあの足で、ギリギリのミニ姿で足を振り上げて大股開きをしてたのか? 東大野球部が負け続けている原因は、ひょっとしたらそこにあるのか?

 精力絶倫の森・元首相のお気に入りだそうで、ひょっとしたら森の前でも大股開きをしたか。しかし、その大股開きの姿に劣情を刺激されたとすれば、森は我々の想像を絶する絶倫であることになる。

 うちわ問題で辞任した。が、それに加えて、私は議員宿舎問題がもっとフレームアップされなければいけないと思っている。都内23区に住む議員は利用できない決まりなのに、

 「大臣をやるには(自宅は)遠すぎる」

 と引っ越しちゃったのだという。
 つまり、この女は世のルールを守るという気が一向にないのだ。世のルールはすべて自分のために定められており、自分に不都合なルールは存在する理由がない、とでもいわんばかりである。
 それを法務大臣

 「女なら何でもいい」

 を原則として人事を行うと、このような漫画が発生する。

 にしても、だ。こんなあばずれを国会議員に選んでしまった有権者は、己の不明を満天下に謝罪してはどうか? 許してもらいたければ、次の選挙で、このあばずれをたたき落とすしかない。

 辻井伸行君は、目が見えないのにショパンが弾けるから評価されたのではない。見事にショパンを弾きこなして聴衆を惹きつけた辻井伸行君が、たまたま目が見えなかっただけである。

 人事も、女だから優遇されてはならない。優れた人材がいたので引き上げたら、それがたまたま女であった、という選び方をしなければ世の中は治まらない。
 許せるのは、

 「あらゆる評価をしてみたが優劣をつけがたい」

 2人がいて、その1人が女性であった場合、

 「では、女性をとるか」

 というのが限度である。そこを間違うと、安倍内閣だけでなく、企業だっておかしくなるのである。

 人が優秀であるか否かは、本来、性別とは関係ないはずだ。それが男性優位社会となっているのは、性による役割分担がはじめにあったのだろう。男は外で稼ぐ。子供を生む女はうちにいて子を育てる。それは、ある時代までは極めて合理的な機能分化であった。

 が、世の仕組みが変われば、かつては当たり前だったことが当たり前ではなくなる。恐らく、いまはそのような移行期なのだ。
 が、一気に時代が変わると思ってはいけない。時代は、前の時代を重く引きずりながら、時間を掛けて変わるものだ。
 いまは、男から

 「俺が働いて出て家族を養う」

 という意識がなかなか消えない反面、女性には

 「できればうちにて家族を支えたい」

 という思いが生き続ける。
 その中で、

 「でも、負担は平等におってもいいよね」

 という意識が芽生えつつあるのが今だ。その中で、無理矢理歴史の駒を先に進めようとすれば、様々な軋みが出るのである。


 で、だ。
 週末は多忙だった。
 我が妻殿は歯が丈夫ではなく、その修理をするため、土曜日から横浜に戻った。なにしろ、横浜に住む次女の旦那は歯医者さんなのである。
 日曜日、午後2時まで開院しているので、午後2時半から妻殿の歯を手入れしたもらった。終わったのは午後4時過ぎ。車を走らせ、瑛汰、璃子も交えて川崎の「松の樹」で夕食をとった。出て来るもの(もちろん、注文したもの、ではあるが)を、すべて綺麗に平らげ、

 「美味しかったね!」

 と家に戻って瑛汰と添い寝。月曜日午前6時半に横浜を出て車で桐生に戻った。早朝の出発だったのに、瑛汰も璃子も目を覚まし、見送ってくれた。

 その日、もちろん昼間は仕事をし、夜は桐生で2本の指に入る食いどころ、寿司屋「さいとう」で飲み会。11月1日付けで東京に転勤する同業者の、個人的な送別会である。
 
 ということで、2日続いての美味に私は酔いしれた。酔いしれた結果、自宅に戻って布団に入り、本を読んでいたはずなのに、気がついたら朝だった。
 本を読みながら寝てしまう。美味に酔いしれるだけでなく、生まれた初めての体験もしてしまった昨日の私であった。

 ということで、週末から昨日まで日誌を更新する暇がなかった。お許しありたい。



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