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 2014年10月10日 ノーベル平和賞

 昨日注文したデントレックス E101が、今日の夕食後届いた。早速試験運転した。

 タンクにぬるま湯(水だと、過敏になった歯が痛むことがある)をたっぷり入れて、スイッチを入れた。うん、確かに水、いやぬるま湯の勢いはパナソニックより強い。
 が、単に勢いの強さだけが私の求めるものではない。問題は、この勢いで、歯の根っこにたまった膿を押し出せるかどうかである。

 ノズルを口に入れ、出力を最大にした。勢いよく出るぬるま湯を、右上の奥歯の内側にあてた。オムロンを使っていたときは、ここにしばらくあて続けると、口から流れ落ちる水、いやまだ暖かいからぬるま湯か、が赤く染まり始め、やがて真っ赤になった。それが再現できるか。

 「痛ててて!」

 思わずノズルを吐き出した。痛い。右上の奥歯一帯がきつく痛む。これは、とてもじゃないがぬるま湯をあて続けるなんて耐えられない。
 これだけ痛めば、膿が押し出されるはずだ。と、下を見るが、口から出たぬるま湯はちっとも赤くなっていない。念のためにツバを吐き出した。これも、赤色の「あ」の字もない。全く正常なツバである。

 「おい、ここで膿が出てくれないと、歯の痛みは引かないんだけどなあ」

 では、と、5段階の出力を3にした。恐る恐る患部にぬるま湯を当てる。痛くない。痛くないから口から流れ出る水、いやぬるま湯は、あー、もう面倒臭い。ここからは水に統一する。その水は、全く色が変わっていない。
 
 噴出する水を患部にあてたまま、出力を徐々に上げた。3.5、4、4.5……

 「痛ててて!」

 ここが我慢のしどころだ、お兄ちゃん。男の子だろう。これぐらいの痛みで音を上げてどうする!

 「ダメや!」

 痛い、痛すぎる。なのに、水の色は変わらず、ツバの色も同じである。

 「あかんわ、これ。週明けに歯医者に行くわ」

 近くにいた妻女殿に、私は宣言してしまった。

 思うに、オムロンが壊れたタイミングが悪かった。あれが壊れていなければ、1、2週間前に歯茎から膿と血が出ていたであろう。ところが、器具がパナソニックに代わって水圧が落ちたため、患部に少しずつたまり始めた膿は外に出るほどの圧力を受けず、歯茎の中で容量を増やし続けた。つまり、患部はかなり悪くなった。そこへ水圧が高いデントレックスがきた。健康を損ねた歯茎は、デントレックスの水圧に耐えられず、私は悲鳴をあげた……。

 ということだろう。
 ふむ、口腔洗浄器を取り替えて、良かったような、そうでもないような……。


 にしても、である。ノーベル賞委員会はひどいことをするではないか。
 私が嫌いな村上春樹がノーベル賞を逃したのは、

 「まあ、そんなものだろうて」

 とひとり納得した。
 しかし、今日ノーベル賞委員会は、ノーベル平和賞をパキスタンの少女、マララ・ユスフザイちゃんに与えると発表した。
 最年少での受賞。天下のNHKなどは、それこそ心温まる美談として報じていた。見ながら私は、独りごちた。

 「それって、ひどいジャン。17歳の女の子が、何でそんな賞をもらわなければならないの? 人生狂うぜ」

 彼女のことはウィキペディアの記述に任せるとして、そして彼女の活動に敬意を払うのは人後に落ちないとして、でも、ノーベル賞委員会は、わずか17歳でこんなに重い賞を受けてしまう辛さを多少なりとも考えてみたのか? 笑顔でそのニュースを読んだNHKの武田は、この賞は17歳の少女には担いきれないほどの重い荷物になると憂慮する想像力のかけらもないのか?

 パキスタンの女性の平均寿命は68歳である。彼女がその年齢まで生きるとすると、あと51年ある。彼女はその51年を、ノーベル平和賞受賞者として生きることになる。

 考えてみよう。あなたがいま何歳か知らないが、17歳の時のあなたといまのあなたは、同じあなただろうか? 未来に希望を持ち、正義を追い求め、よりよい社会の実現に参画したいと大志に胸を膨らませた17歳のあなたは、いまのあなたの中で生き続けているだろうか?

 人は変わる。

  若くして共産主義に傾倒しない者は情熱が足りない。 年を取って共産主義に傾倒しているものは知能が足りない。

 チャーチルの言葉だという。
 若さとは、理想に向かってまっしぐらに突き進むことである。支配も搾取もなく、全員が能力に応じて働き、必要に応じて消費する共産主義社会は、若者の心をわしづかみにする魅力を持っていた(最近は、少し違うようだが)。
 しかし、人は変わる。齢を重ねれば、世の中は一足飛びに理想社会にたどり着くことはあり得ず、むしろ、下らぬ連中が、下らぬ野望に囚われて右往左往しているところであることを、目で見て、体験して、時には実戦してしまう。
 人とはそのようなものだ。だから日本共産党の支持率は一向に上向かないのである。

 それなのに、我らのマララちゃんは、ノーベル平和賞なんぞをもらってしまったがために、変わること、あるいは成熟することを許されない51年をこれから送らねばならない。
 内心では、

 「あっ、これまでの自分と違って来ちゃった」

 と自覚しても、変わった自分を表に出すことは許されない。ノーベル賞の権威に傷をつけるからである。
 それどころか、常に、平和の女神として人々の上に立たねばならない。愚かな人々を教え諭さねばならない。

 17歳の女の子なら、

 「私、戦争っていけないと思うんです」

 といっておけば、世の喝采を得られる。が、中年になり、老年になれば、人々に語りかける言葉には、それだけの中身が求められる。常に現実と対話を交わし、その中から引き出した自分の思い、考え、論理で、人々を説き伏せ、蒙を啓くことが求められる。世界中が彼女にそれを求める
 彼女には、クラブで踊り狂ったり、別れるの別れないのと男と痴話げんかをしたり、仲のいい友だちと芸能人の話で盛り上がったり、好きなファッションで身を固め、通りを練り歩いたりする自由は、もうない。

 本人がそうなりたいと思っているかどうかは別として、ノーベル平和賞を受賞するとはそういうことである。60歳で受賞したのなら、8年間頑張ればよろしい。しかし、17歳の少女にとって、これからの51年とは永遠に近いほど長い時間ではないのか? 

 あなたは、そのような人生を送りたいとお考えになるだろうか?
 私は、まっぴら御免である。

 「ごめん。あの頃の俺、どっかおかしかったわ。許せ」

 と断りさえすれば変わってもよい人生を送りたいと思う。そっちの方が、はるかに気楽だもんね。だから、マララちゃん可愛そう、と、ノーテンキな武田をバカにしつつ、ひとり同情する私なのである。



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