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 2014年9月16日 女

 というタイトルを、とりあえずつけてみた。
 いや、誤解されないように。私は何も、今日の日誌で我が「ヰタ・セクスアリス」(何でも、性欲的生活、を意味するらしい。森鴎外の小説の題名である)を記そうというのではない。

 どうも、気になるのだ、が。
 と書くと、またまた誤解されそうだが(誤解されても仕方がない私であることは重々承知しておる)、私が気になるのは、具体的な女ではない。
 そりゃあ、具体的に気になる女がいれば、暮らしがどれほど充実することか、と思わぬでもないが、クラクラするようないい女が目の前に現れることのない毎日を過ごしていれる現状では、望み薄である。

 私が気になるのは、最近の女のもてはやされ方である。

 やれ、閣僚の何人が女であるとか、女の国会議員の数が少なすぎるとか、女の役員を各企業は増やすべきだとか、最近は、異様なほどに女がもてはやされているではないか。それが気になるのである。
 実は、気になるのを通り越して、

 「何を馬鹿なことをやっているか!」

 と叫びたくなる。

 うちの会社にも女の役員が、私が知るだけでも2人いる。どちらも

 「こいつ、だめだな」

 と私は見限ったことがある。役員になる前だ。

 一人は、あまりにも目先しか見ない発想にあきれ果て、

 「君なあ、そんなことをして何が会社の利益になるんだ?! そんな目先のごまかしで客をいつまでごまかせると思ってるんだ?!」

 と怒鳴りつけた。不服そうな顔をして引き下がったが、数年したら私の上司になっていた。

 いま一人は、私が思いついたビジネスモデルを、たまたま彼女の部署が絡まねば進められないために一緒に仕事をした。プロジェクトを立ちあげたはいいが、数ヶ月するとすっかり関心を失った様子で、彼女の部下は面白がって頑張ってくれたのだが、その彼が異動し、私もその部署をはずされると、彼女はその職に留まっていたにもかかわらず、全くビジネスの体をなさなくなった。

 「目先で利益の出る仕事ではない。だが、これからはこういうパターンのビジネスを数多く立ち上げないと我が社は立ち行かない」

 と私が説得し、多分、一時はその気になったのだろう。だからチームを組んだ。それがわずか数ヶ月で熱意をなくす。だめだと思ったら思ったで私と議論をすればいいのに、それもない。目先で華々しい成果にならねば自分の評価が高まらないとでも思ったか。

 彼女たちが引き上げられたとき、当時の社長が、確かこんなことを言っていた。

 「我が社にも女性の役員をつくったんだぜ、俺」

 その発想の不健全さに辟易したものである。


 いや、私は男根主義者ではない。女は男に劣る存在である。男の陰に隠れて生きるがよろしい。などとはこれっぽっちも思っていない。女性にも、優秀な人とそうでない人が、男と同じように存在するという、ごく当たり前の見方をしているだけである。
 むしろ、最近の若者を見ていると、

 「ああ、何で男は縮こまってしまったのだ? 女性の方が遥かに快活で自由で、だから有能に見えて、話しても楽しいではないか」

 と、男組の衰退を嘆きつつ、元々の女好きも手伝って女組に期待を寄せる私である。

 なのに、何かというと女性を昇進させようという最近の風潮には違和感しか感じない。

 女が、女であるということを主な理由として高い地位に就くのは、男が男であることをほとんど唯一の理由に高い地位を占め続けてきたことの裏返しでしかない。それは差別を逆差別でっで解消しようという小手先の技でしかなく、本当の男女平等とは全く別物である。

 本当の男女平等社会とは、実力と実績だけを尺度に選んでみたら、結果は男女がほぼ半々だった、という世の中である。差別を解消するのに逆差別を使って、そのような社会を作れるか?

 様々な反論、異論があるだろう。だが、いまの安部政権で閣僚になった女どもを見ていると、彼女たちは

 「女であるから」

 以外の理由で選ばれたとは、とても思えないのである。
 彼女たちに見識はあるか? 独自な政策はあるか? それにもまして、その人格に惹かれて寄ってくる議員はいるのか? 縮めていえば、彼女たちは自分の派閥を立ち上げることができるだけの力を持っているのか?

 男がつまるもので、女はつまらぬものだという気はない。だが、いまの政権党を築いてきたのは、それなりの人間的魅力と実力と筋力を兼ね備えた男たちである。彼女たちは、そのような存在になれるか?

 私は男女に能力の差はないと思う。現実に違いがあるのは育てられ方による。だから、男女が完全に同格の社会は、いずれ来る。だが、その到来を早めようと無理をすれば、逆に遠のくのではないか?

 「女だと思って引き上げたが、やっぱり女は女でしかないわ」

 という実例がでれば、いまのような女の担ぎ上げ方は一夜にして元に戻る。だけでなく

 「やっぱり女はだめだ」

 と歴史を逆回転させてしまう。
 

 国会議員の半数は女性であるべきだ。よろしい。それには賛同しよう。だが、そうなるためには、立候補者の半数も、女性でなければならない。それが平等というものである。男ばかりの候補者の中での紅一点だから票を集めて当選するのは、逆差別である。

 だが、女性が立候補するには、夫、子ども、家族など様々な障害がある。その障害をどう克復するのか。男女平等社会を実現するためには、もっと身近なところから始めなければ地に足は着かない、と私は考える。

 あなたの周りを見回していただきたい。
 自分の暮らしの幾分かを託してもいいという女性はどれだけいるか。それは、自分の暮らしの幾分かを託してもいいと思える男の数より多いのか、少ないのか、同じ程度なのか。

 それが、少なくとも同じにならない限り、男女が病に世をリードする社会にはならないとしか私には思えないのである。


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