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 2014年9月6日 謝罪は難しい!

 ね、ね、読んだ? 今朝の朝日新聞。そう、池上彰氏の原稿掲載を、まあ、朝日流にいえば「見合わせ」たことについての謝罪と説明。
 うん、私は読んだのであります。

 ね、ね、読んだら、納得した? その謝罪と説明に。
 うん、私はどうにもすっきりしないんだよね。一見潔いように見えはするけど、何かモヤモヤする。何がモヤモヤするのかな……。

 掲載見合わせについて、

 「朝日新聞として間違った判断であり、読者の本紙に対する信頼を損なう結果になりました。改めておわびし、経緯を説明します」

 というあたりは、まあよしとしておこうか。
 いや、ここもね、あまりに淡々とした書き方で、本音がいまいち分からない、って見方もできる。その直前の

 「読者の方々から本社に疑問や批判の声が寄せられています」

 という、客観報道的書き方、というか、

 「おいおい、、叱られてるヤツが、『私はただいま、先生から叱咤の声を受けています』なんていうか?」

 と突っ込みたくなる、まるで自分のことではないような白々しい書き方も合わせてみれば、

 「じゃあ、あれかい。読者の信頼が損なわれなかったら、根強い朝日信者たちが『頑張れ!』って応援していたら、お詫びも説明もしなかったのかい?」

 と皮肉ってやりたくなる気分にもなるのだが、それは意地悪すぎるかも知れないなあ。

 ま、それもモヤモヤの原因のひとつではある。しかし、最後まで読んでも、

 「なぜ、掲載を『見合わせ』たのか?」

 が、実感として伝わってこないのが一番困っちゃうんだな。

 いや、理由らしきものは書いてある。

 「関係者への人権侵害や脅迫的な行為、営業妨害的な行為」

 が続き、池上氏の朝日批判がそのまま紙面に掲載されると、そんな嫌がらせが激化することを心配したんだって。

 全体で101行ある原稿を何度読んでも、理由らしきものはこれだけなんです。ね、あなた、これだけで

 「そりゃあそうだろうな」

 って頷けます? 
 私、頷けませんでした。

 だって、朝日新聞っていえば、大日本帝国軍に協力して国民を戦争に誘った前非を大いに反省して、二度と外部の圧力に屈せず、健全な言論を守る、っていってたんではありませんでしたか?
 それが

 「人権侵害や脅迫的な行為」

 にびびった?
 ましてや、

 「営業妨害的な行為」

 に恐れをなした?

 いや、私は、どちらかといえば臆病な人間です。だから、もし私が朝日新聞にいて、「関係者」で、キンタマが縮み上がるような怖い思いをしたら、そりゃあ、主義や信条より身の安全を優先する確率が高いと自覚しております。

 だけどねえ、これまで報じられた限りでは、嫌がらせは、どこか地方の支局だったか総局だったかで、車が傷つけられた程度ではないですか。
 そりゃあ、気持ちは悪いでしょうよ。自分が書いた記事でもないのに、朝日新聞の記者だというだけで車を傷だらけにされたら怒りもするでしょうよ。
 でも、たったそれだけのことで言論を押さえつけるのですか?

 私は臆病であると書きました。臆病であるから、

 「関係者への人権侵害や脅迫的な行為、営業妨害的な行為」

 が、もっと具体的に、詳細に説明してあって、

 「ああ、そんなことされたら、俺ならキンタマ縮み上がっちゃう!」

 と思えば、渋々納得もしたでしょう。そこは、同病相憐んじゃう私であります。だけど、たったこれだけの説明では、同病とはとても思えないんだなあ。

 さらにいけないのは、掲載「見合わせ」に至る社内の動きが全く報告されていないことです。

 池上氏の原稿を最初に読んだのは、どういう部署の、どんな肩書きを持つ誰なのか。その人は、読んでは、何を思ったのか。
 その人は、上司にその原稿を見せる際、どのような感想と報告を述べたのか。それを受けて上司は何を考えたのか。
 最終的に掲載「見合わせ」を決めたのは、どういう肩書きの誰なのか。その人は、一人で決めたのか。会議を開いて決めたのか。もし会議ならなら、何人が参加した会議で、賛成、反対はそれぞれ何票あったのか。

 定期的に書いてもらっている人の原稿です。普通なら、流れ作業で紙面化されるはずです。だから、掲載「見合わせ」という、前例を否定する決断は、池上氏との窓口になっているような下っ端ではできないはずです。いったい、何処の誰が、

 「この原稿を載せるのはいかがか」

 と言い始め、
 最終的に、

 「よし、私の責任で、この原稿は掲載『見合わせ』とする」

 と誰が判断したのか。
 私は、そんな細々としたことが知りたい。

 覗き見趣味?
 はあ、確かに覗き見はきらいではありません。急な階段などは大好きであります。
 だけど、これは覗き見をしたいから書いているのではありません。

 何処の会社だってそうですが、会社とは様々な感性、考えを持つ人たちの集団です。だから、一枚岩になることは絶対にありません。座標軸でいえば全員が同じ座標にいるわけではなく、例えば(x、y)=(−10、−10)、(−10、10)、(10、10)、(10、−10) の範囲に散らばっています。その散らばり方が少ない集団が、そうでない集団の所属員から見れば、一枚岩に見えるというだけです。

 だから、朝日新聞が一枚岩になって掲載「見合わせ」を決めたはずがありません・朝日新聞の方々の散らばり具合はどうなのか、それが知りたい。
 恐らく、掲載「見合わせ」は、かなり上の地位の方の決断でしょう。では、その方と肩を並べる地位にある人たち、その方の下で働く人たちの判断はどうであったのか。

 謝罪の原稿でも

 「掲載を見合わせた判断は間違いであり」

 と書いてあります。では、最終的に間違った判断をしたのは誰なのか。その間違った判断を、横の人、下の人は覆そうとしたのか、同調したのか。

 それを知らねば、朝日新聞の健康度が見えません。
 偉い人が間違い、偉くない人は抵抗したのなら、朝日新聞という組織には未来があります。でも、積極的に上司の判断に同調したり、長いものに巻かれた人が多かったのなら、残念ながら、朝日新聞は信頼するには足りないのでしょう。

 さて、間違った判断をした人を、朝日新聞はどう遇するのでしょう? 
 言論機関として、絶対にしてはならない間違いをしでかした以上、責任は免れないと思いますが、そこは明らかにされるのでしょうね?

 加えていえば、そのような愚かな人を責任ある地位に就けた、その上の人(この人も愚かです)、さらに、その人を偉くしたそのまた上の人(この人も愚かです)……、つまるところ、最高人事権者(この人も愚かです)の責任も免れないはずです。

 ええ、戦後の日本の企業は三等重役が仕切りました。それまでふんぞり返っていた偉いさんたちが、戦犯容疑などで追放され、席がぽっかり空いてしまったので、とにかく数合わせと、若い人たちを抜擢したのです。本来なら重役になどなれないはずの人が重役になった。彼らが三等重役です。

 でも、戦後日本経済の復興は、その三等重役が成し遂げてしまいました。

 朝日新聞にも三等重役が誕生すれば、朝日新聞が素晴らしく飛躍するチャンスともなり得ます。


 ああ、当面は朝日新聞から目が離せないなあ。ひょっとして、それが原因で朝日新聞の部数が増える? うん、そんなブラックジョークも実現するかも、ね。



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