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 2014年8月7日 追記

 前回の日誌を書いたのは昨夜だと思っていた。というか、確かに昨夜だと確信しているのだが、何故か日付を見ると、一昨日、8月5日になっている。書き間違えたか?

 何でも、痴呆だったかアルツハイマーだったかの初期症状に、

 「今日の日付が思い出せない」

 というのがあった。
 ということは、あれか。私も、痴呆だかアルツハイマーだかの入り口にさしかかったということか。

 しかしながら、である。私が痴呆やアルツハイマーになったら、介護する人はさぞや大変であろうと、いまから同情を覚える。
 なにしろ、181p(最近、やや縮み傾向にある)、83sの偉丈夫である。それなりに筋力もあるから取り扱いが難しい。下手に手を出せば吹き飛ばされかねない。
 それだけなら、まだ体力勝負のできる介護士さんで対処できるかも知れない。
 しかし、この男。弁が立つ。恐らく、痴呆になろうと、アルツハイマーになろうと、口うるさいとこに変わりはない。

 「この惚けジジイ」

 となめた口をきいていると、

 「君ねえ、もう少し論理的に話してくれないか。確かに私は惚けている。それを否定はしない。しかしねえ、そもそも、話の切り出し方がなっていない。突然わけのわからないことを言い始めるから、いったいどんな話を振られているのか理解するのに時間がかかる。惚けてるからなおさらだ。しかも、君の話の進め方だと、時間だけでなく豊かな想像力がないと、君の話には追いつけない。これって、大変ストレスが強いのよ。まあ、私が君に惚れているというのでもあれば、こちらも一生懸命に話しについて行こうとするのだが、ほら、2人の間には恋愛感情なんてないだろ? だからこちらも、話半分に聞く。すると、君のいってることがちっとも分からない。ストレスが強くて、『ああ、これはいかん。痴呆(アルツハイマー)が進んでしまう』と、ストレスがさらに高まるんだよな。注意したまえ」

 ぐらいのことはいいかねない。
 それだけで済むかどうか。

 「そもそもねえ、君の物事のとらえ方、考え方は基本から間違ってるよ。いいかね、そもそも人間が生きるってことはさ……」

 とまでやられて、正常でいられる介護担当者が、さて、我が国にはどれだけいるのか?

 しかもである。

 「ああ、やっと死んでくれた

 と思っても、それで気を抜くのは早すぎる。
 なにしろ、この男、でかいのだ。棺桶も特注しなければならないだろうし、その棺桶に担ぎ入れるのも一苦労するというものだ。

 いや、無駄口が過ぎた。


 とにかく、昨日書いたと思っている日誌で、ひとつだけ肝心なことを書き忘れていたことに今日気がついた。よって、ここに追記する。
 テーマは笹井氏の自殺とメディアである。

 さて、笹井氏は、メディアにあれほどよってたかって叩かれねばならないほど悪いことをしたのか?

 STAP細胞が実際にできていたとしたら、これまでの科学の常識を覆す偉業である。持ち上げられるのが当たり前で、叩かれるいわれはない。

 STAP細胞は実はできておらず、笹井グループの勘違いだったとしたら? 
 それは仕方のないことである。誰しも勘違いはあるし、世界の最先端で研究を進める専門化だとて例外ではあるまい。検証のすえに間違いであったことがはっきりすれば、その時点で、その限りにおいて恥をかけば済むことである。科学とは誤りの歴史でもあるのだ。

 STAP細胞はできておらず、しかもできていないことを知っていながら世界に向けて大嘘をついたのだとしたら? 
 最も考えにくいケースだ。何しろ、科学史を塗り替える結果は、全世界の、それこそ研究の最先端にあいる専門家がこぞって吟味する。相手は専門家中の専門家である。一瞬だますことはできても、長い間だますことができないことは、最先端の専門化の一因であった笹井氏なら、知りすぎるほど知っていたはずだ。
 そんな危ない賭に、しかも必ず負けると分かっている賭に、負けたら研究者としても未来を棒に振る賭に、本当に出たのか?

 最後の、最も考えにくいケースを笹井氏が実行していたとして、さて、それで何が問題なのか?
 笹井氏は人を殺したわけではない。人を傷つけたわけでもなく、大金を盗んだり着服したわけでもない。およそ犯罪の臭いがすることは全くやっていない。笹井・小保方グループのSTAP細胞研究成果発表で、傷ついた人も損を被った人も皆無である。もちろん、笹井・小保方ユニットも、何の利益も得ていない。
 つまり、せいぜいのところ、すぐにばれるに違いないと知りながら大嘘をついただけである。それはけしからぬことではあっても、断じて犯罪ではない。そして、結末は自分が恥をかき、研究者としてのすべてを否定されるだけのことだ。

 どう考えても、笹井氏は、メディア集団に、プライバシーまで暴かれて人格を貶められるほどのことをしたとは判断できない。

 それなのに、小保方ねえちゃんとのベッドシーンまで匂わせながら攻撃し続けたメディアは下劣である。
 下劣なメディアが垂れ流す扇情的な情報にかぶりつき、物事が分かったような気になっている読者、視聴者はさらに下劣である。


 メディアとは、国民の知る権利に応える機能であり、幅広い事判断材料を持った国民が民主主義を支える、と若かりし私は思っていた。
 が、現実を見るかぎり、メディアとは国民の覗き見趣味に奉仕することで飯を食う機能であり、国民はメディアが権威を引きずり下ろすのを楽しむだけではないか、国民とは妬みの固まりなのである、と吐き捨てたくなる。

 ペンは、本当に剣より強いのか?
 新聞のない政府より、政府のない新聞の方がまともなのか?

 このところ、私は懐疑主義者である。

 

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