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 2014年7月28日 平等を考える

 三菱UFJ銀行が、これまで雇用期間を限っていた契約社員を、今後は60歳まで雇用し続ける、と報道された。労働力不足時代を迎えて、優秀な人々を囲い込むのが狙いだと解説されていたから、恐らく、追随する企業が沢山現れて、数年の内にそれが当たり前になるのだろう。よかった。

 契約社員、派遣社員、アルバイト。いわゆる非正規雇用にしかつけない若い人たちが増えたことが社会の閉塞感を生み出していた。
 そりゃそうである。多少頑張ったところで、人数でしかカウントされない非正規雇用者にしかなれないと知れば、人生に夢など持てない。結婚して家庭を築くなど、どれほど願っても実現すまい。夢が持てない若者が数え切れないほど出てきてしまう世の中は危うい。

 始まりを探れば、1990年代である。日本のバブルがつぶれて茫然自失とした日本の多くの経営者は、一時は抜き去ったと思い込んでいた米国経済が、IT産業を中核に成長し続けていることを知って呆然とした。
 日本経済は、つまり日本の企業は何をやってもだめなのに、米国の企業は何故成長し続けるのか? 

 恐らく、バブル経済の最中に経営者に上り詰めた連中は、バブルの申し子であったのだろう。短く説明すれば、当時の経営者集団とは、阿呆の集まりであった。

 その阿呆どもが、会社の業績を上げられないことへの弁解も含めて主張したのが、

 「米国の企業は業績が悪くなると従業員をレイオフ(一時解雇)できる。だから短い時間で会社の建て直しができる。ところが我々にはレイオフは認められていない。だから、日本企業の業績低迷は我々が無能であるのが原因ではなく、レイオフを認めない制度が悪いのだ」

 日本経済がバブルを謳歌して世界中の嫉妬の対象となったとき、日本経済の強さの根源は終身雇用と年功序列にあるといわれた。そのバブルの残り香も消え去らぬうちに、日本の阿呆な経営者どもは、日本経済低迷の原因は終身雇用と年功序列にある、と主張し始めた。

 「俺たちに首切りの自由を与えよ!」

 
同調したのは、当時の自民党政府だった。流石に首を切る自由までは認めなかったものの、派遣労働を認め、契約社員を認めた。期間を限定した「使い捨て労働」が、こうして始まった。実質的には首切りの自由を認めたのと同じである。

 それがいま、企業側の事情で元に戻ろうとしている。


 だが、阿呆だったのは経営者とそれに同調した自民党政府だけだったのか?

 国家公務員にはいまだに、キャリア採用とノンキャリア採用がある。将来の幹部候補生であるキャリア組に対し、ノンキャリアは彼らを支えて実務のスペシャリストになる。この採用形態はいまだに続いているらしいので、それなりに合理性があるわけだ。
 ところが、民間企業では20世紀の終わりごろから、それが認められなくなった。民間では総合職、一般職と呼ばれていたが、内実はキャリア、ノンキャリアと同じである。それが、

 「同じ大学卒業者を差別する」

 と指摘されて、一般職採用がなくなった。困ったのは企業である。

 いまや半数の若者が学士様になる時代だ。が、個々人の能力のばらつきは、学士様が2割しかいなかった時代と変わるはずはなく、企業から見れば

 「一般職だったら採用してもいいが、総合職採用では見送らざるを得ない」

 という就職希望者が増えたのは当然である。で、一定以上の能力がある大学生を採用するしかないのだが、では、それまで一般職がこなしていた仕事は誰に任せればいいのか?

 こうして、派遣社員や契約社員が急速に増えた。

 表面上は、それでつじつまがった。
 企業からすれば、とりあえず、一般職がこなしていた仕事を彼らに任せれば済む。それだけでなく、派遣社員、契約社員は期限付きの雇用だから、業績が落ち込めば契約を更新しなければいい。実質的な「解雇の自由」も手にしたのだから、願ったり叶ったりだったのである。

 「大卒は、資格として平等に取り扱われなければならない」

 というのは、恐らく善意から、正義感から出た主張である。だが、結果として実に不安定な雇用を生み出してしまった。さて、善意の持ち主たちは何を見過ごしていたのだろう?

 人は平等ではない。合理的である限り、差別、あるいは区別は認めないと、社会は機能しない。

 という単純な事実ではないか?

 野球は9人でするスポーツである。9人に守備位置は1つずつしかない。3塁手が2人いたら、どちらかを選んで先発させねばならない。2人とも、懸命に練習を積んできたことは誰もが認めることだ。だが、使えるのは1人だけ。それは正義に反することか?

 皆が大学を目指して勉強をする。そして入試。367点を取った安堂君は滑り込みで合格し、366点しか採れなかった斎藤君は涙を呑む。それって、不平等だからやめねばならないことか?

 恐らく、ある種の合理的な差別、あるいは区別は、企業という閉鎖社会の中でも認めなければ、企業集団は機能しないのではないか?

 やっと、おかしな雇用が元に戻る。しかし、中身を見れば、三菱UFJがやろうとしていることは、実は一般職採用の復活である。日本の雇用形態は無駄な回り道をしたのか。それとも、貴重な教訓を学んだのか。

 自らの無能を制度の落ち度にすり替える阿呆な経営者どもは社会の無駄である。
 同時に、したり顔をした正義も世を歪める。
 と私には思われる。


 惚れた弱みを抜きにすれば

 「この女には叶わない」

 と思える女性にはまだ遭遇したことがない。

 「逆立ちしたって、こいつには負けるわ」

 という男性には、数少ないがあったことはあるのだが。
 
 そのような日本社会で、女性の管理職、女性の経営者を「意図的に」数多く創り出すのが理に適っているのかどうか。
 3つの中央省庁で女性のトップが誕生したと聞いて、考え込んでしまった私である。


 間もなく、瑛汰と璃子が日本に戻ってくる。2、30分もしたら

 「ボス、帰ってきたよ!」

 と羽田空港から電話が来るだろう。
 なんでも、サンフランシスコの空港で、2人は大泣きしたのだとか。
 さて、瑛汰、璃子、少しは英語が話せるようになってきたかな? 話せるようになっていたら、電話は

 “Hello, Boss! We are back.”

 と始まるのかな?

 

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