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 2014年4月3日 今時の日本人

 「応援して下さった人たちに沢山の力をいただいて、このメダルを手にすることができました」

 ちょっと古くなるが、ソチ五輪でも、そんな中身のない言葉がメディアに溢れた。もちろん、そんなことをしゃべったのは、日本代表として五輪種目に出た日本人選手たちである。

 それを聞いて、私なんぞは

 「嘘つけ。いい子ちゃんぶっちゃって」

 と苛立ち、何度苦虫を噛み殺したことか。

 だって、そうだろ。応援の質と量が競技選手の成績に響くのなら、すべての種目で優勝するのは人口が多く、勝つ熱狂的な中国の選手に決まっているではないか。

 だって、そうだろ。精一杯応援するエネルギーが、離れたところにいる競技選手に送られて持てる以上の実力を発揮させたりしたら、少なくともこれまで見いだされた物理学の法則がすべて否定されかねないではないか。

 だって、そうだろ。それだったら、すべての選手は練習なんかすることはない。練習なんて全くせず、とにかく自分のファンを増やす。入念にメイクアップしたうえテレビに出て媚びを売り、街頭に立って媚びを売り、

 「こいつは人数をまとめてくれそうだ」

 という相手には、夜の接待もする。場合によっては、朝まで体を張った接待をする。
 それが、金メダルへの最短距離のはずだ。

 そうではないことは、すべての競技選手が深く理解しているはずだ。でなければ、苦しく、血を吐くような練習を積み重ねるはずがない。
 メダルは、持って生まれた才能と、その才能を光り輝かせる地道な訓練を積み重ねたアスリートの胸にかけられるのである。

 ということは、あらゆる人々が了解しているはずのことである。いまはドロドロの暮らしをしているらしい、元巨人の清原君だって、少なくとも高校時代までは人に倍する練習を積み重ねたはずである。

 なのに、マイクを突きつけられたスポーツのヒーロー、ヒロインたちは、どうして中身のない、甘ったるい、人に媚びるコメントしかしなくなったのだろう。つまらん。

 と思って久しいのだが、雑誌「選択」の4月号に「言葉をなくした日本人アスリート」という記事があった。私と同じ思いを抱く物書きが、どこかにいるらしい。

 もっとも、この筆者、外人コンプレックスの塊らしく、海外選手は哲学をコメントするのに、日本人選手はあかん、という視点しかもっていない。
 では、外国人選手は、どのような哲学を披露してきたのか。

 「俺は大統領よりいい仕事をしてるぜ」

 1930年、当時のフーバー大統領を上回る8万ドルの年棒をもらったベーブ・ルースの言葉である。

 「私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい」

 これはモハメド・アリだ。
 同じボクシングのマイク・タイソンは、引退して麻薬と酒に溺れ、俳人寸前になりながらいった。

 「俺は何も持たずに生まれてきた。そして、何ももたずに死ぬだろう」

 「試合に負けたことは一度もない。ただ時間が足りなかっただけだ」


 といったのは、かのマイケル・ジョーダン選手。
 テニスのかつての女王、マルチナ・ナブラチロワはいったそうだ。

 「大切なのは勝敗ではない、という言い方をするのは、たいてい負けた人よ」

 この記事の中から拾った。確かに、格好いい。だけど、これ、哲学???


 それはどちらでもいい。だが、日本人のスポーツエリートたちは、何故にこの類の言葉を失ったのか?
 それは、日本のメディアの罪である、と私は考える。

 想像して欲しい。ニューヨーク・ヤンキースに移籍した楽天の田中投手の年棒は23億円である。サラリーマンの平均生涯賃金の5倍。田中のマー君は、たった1年でこれだけの金を稼ぐ。
 記者会見で、ある記者がこう聞いた。

 「もらいすぎじゃない? 総理だって5000万円ぐらいしかもらってないのに」

 その質問にマー君が答える。

 「だって俺、安倍さんよりずっといい仕事してるモン」

 さて、これはどのような記事なるだろう? 99%の確率で大批判である。思い上がりも甚だしい。自分を何様だと誤解しているのか。たかが野球選手のくせに。スポーツの純粋さを汚す発言だ……。
 記者の主観を、いかにも客観的風に書いた記事を読んだ読者の反応は目に見えるではないか。

 とたどっていくと、マー君は、そう思ったとしても、そうは言えない。それより、媚びたふりして無難な発言をしておいた方が、自分にとって得ではないか。
 それが日本なのだ。そして、それに最大の責任を負わねばならないのは、スポーツエリートの言葉を運ぶメディアである。
 日本のメディアは言葉に関する教養度が低すぎ、寛容度が小さすぎる。マイクを突きつけられたら、当たり障りがないことをいっておかないと、翌日、どんなしっぺ返しがくるか分かったものではないのだ。

 「選択」でこの記事を書いたのも、恐らくどこかのジャーナリストである。想像が当たっているとすれば、この方は自分たちの振る舞いを顧みず、マイクを突きつけられる選手たちだけに責めを負わせる脳天気さで世を渡っておられる方ということになる。

 「海外のジャーナリストには、そんな無責任さはありえないんですけど」

 いや、ほんとにないのかどうかは知らない。しかし、その程度のことはいってやりたい気分である。

 

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