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 2013年9月14日 眼福

 さて、私と面識もなく、何故かこの「らかす」を読み続けていらっしゃる方々は、どのような「安堂」像を描いていらっしゃるのだろう?

 単なるエロオヤジ
 ふむ、これは当たっているという自意識が私にあるのが自慢である。

 だけど、ホントはヨボヨボで、裸の女を見ても反応しないんじゃね? だから、無理矢理自分を鼓舞してるんだよ、きっと!
 ふざけるな! と怒鳴りつけたいところだが、最近、夢にいい女がちっとも出てこない。これって……。
 
 それにさ、ちっとばかり文章書けるからって、時々わけのわかんないことを書いてるよな。あれも、頭悪いことを何とか隠して格好良く見せたいっていう、コンプレックスの現れじゃない?
 確かに、私は専門分野など持たぬ人間であって……。

 つまりさ、色ボケのヨボヨボが、暇に任せて知ったかぶりをする。そんなもんだよな。
 否定できぬ己が情けない……。


 その色ボケオヤジが、である。本日、眼福を授かった。

 「えっ、安堂オヤジ、ストリップでも見に行った? 桐生にストリップ小屋ってあるの?」

 早まるなかれ。女の裸を見るだけが眼福ではない。抽象画とバレエの共演を楽しんだのである。ついでに書いておけば、登場した女性は7歳から17歳。私のエロの対象となる年代ではない。念のため。

 桐生に佐々木耕成という画家が住んでいる。新聞(主に朝日新聞だが)によると、生まれは九州・熊本。17歳の折り、

 「白系ロシア人を見たい」

 と満州に旅行に行った。ということは、その程度の費用負担に耐える良家の子であり、精力ギンギンの17歳であるから、恐らく、露西亜美人が見たかったのだろう。
 不純な動機からの行動に、常に落とし穴が待つとは限らない。不純な目的で出かけて、

 「おお、春よ春。太陽が黄色く見える!」

 と虚けになって戻ってくる輩が多い中、運命はこの佐々木青年の不純な動機だけは、何故か見逃さなかった(って書いてるけど、佐々木さんが露西亜美人を見たくて出かけたとは新聞になかったので、このあたりは私の想像である)。なんと旅行中になく子も黙るソ連軍が満州に攻め込み、間もなく戦争が終わる。戦争が終わるのはいいのだが、満州で日本人として配線を迎えることになってしまった佐々木さんはソ連軍の捕虜となり、シベリアに送られてしまったのである。

 昭和20年に17歳。佐々木さんは、当然の如く軍国少年であった。が、シベリアに送られた佐々木少年に、国は救いの手をさしのべない。いや、そもそもが、神の国、不敗の国であると信じていた日本が戦争に負けた。

 「何故?」

 それだけではない。シベリアで佐々木さんは、様々な国の人間と出会う。徐々に覚えた外国語で話してみると、なんと、彼らは佐々木さんが信じていたことを信じていない。正義って何? という問いに対する答えも、国によって違うではないか!

 やがて佐々木さんは捕虜収容所を脱走、日本に帰る。が、戻ったところで、さて、残りの人生、何をしたら良かっぺな。何しろ、信じていたものがすべて否定された。人間、信じるものが見いだせねば、どうやって、何をして生きたらいいのか、答えを見いだせない哀れな生きものである。

 ああ、だからか。己に自信を持てぬ女は、やたらと結婚したがる。あれは、結婚教という宗教ではないのか。他に信じるものが見つからないから、

 「とにかく結婚」

 と縋ってしまうのではないか?

 話がそれた。元に戻す。

 佐々木さんは考えた。

 「もうだまされるのは嫌だ。なんだったら俺をだまさない? ……。ふむ、芸術ならだまさないよな」

 こうして佐々木少年は上京し、画家のへ路を目指すのである。


 ああ、話が長くなりそうだ。途中をはしょろう。


 とにかく佐々木さんは、まず画家になった。国際展で認められた。が、間もなく渡米するとともに絵筆を置く。インテリアの仕事しながら全米を浮浪し、一区切りつくと、

 「次はヨーロッパ」

 と放浪の旅を続ける。芸術家として時折路上パフォーマンスをやったらしいが、とにかく絵は描かなかった。それが、父親の危篤をきっかけに日本に戻り、そして、何故か再び絵を描きたくなった。そのための場所を探しに探し、何故か桐生市黒保根町の山の中に住み着いた。そこで握ったのは絵筆ではなく、ペンキの刷毛だった……。

 誰に見せる気もなく、ベニヤ板に白い布を貼ってペンキで絵を描き続けた。そして、80歳を過ぎて

 「あ、やっぱり俺の絵、見て欲しいわ」

 と思ったとき、佐々木さんの絵を認める美術専門家に出会い、東京で個展を開く。いま85歳だから、当時、多分82歳。そして、ボチボチ買い手もついた。遅咲きの、といいうより、サボっていた時間が異様に長い画家なのである。

 その佐々木さんの、地元桐生での初めての個展が、8月から桐生市内で開かれていた。そのギャラリーの2階を、たまたま8月からバレエ教室が借りていた。教室の主催者が佐々木さんの絵を見て、

 「この絵の前で子供たちを踊らせたい」

 天恵のようにわいたアイデアが、個展最終日の今日、実現したのである。
 ああ、やっと背景説明が終わった。フーッ。

 
 バレエなど、私は全くの素人である。その昔、札幌で長女がバレエ教室に通った。その発表会に足を運び、

 「ああ、我が一門からはバレエダンサーは出ない」

 と嘆息した程度である。

 今日踊った子供たちは白い衣装に身を包み、その上に、佐々木さんの絵から拝借した色のリボンなどをアクセントにつけていた。
 まあ、子供のバレエである。ミハイル・バリシニコフ(ご存じない? であれば、「シネマらかす」の「#20 : ホワイトナイツ/白夜 − 男の体も美しい」をご一読いただきたい)と比較するのは酷である。子供である以上、「シカゴ」のキャサリン・ゼタ=ジョーンズと比べるのは、彼女たちが成熟するのを待ちたい。

 それでも、なのだ。佐々木さんの絵の前で懸命に舞う16人の女の子たちは、限りなく愛らしく、愛おしかった。体幹から指先まで、体のすべてのパーツに神経を行き届かせ、出来るだけ美しい肉体、出来るだけ美しいカーブ、出来るだけ美しい動きを表現する彼女たちを、佐々木さんは

 「絵の中から妖精が飛び出したみたいだ」

 と表現した。
 流石、芸術家はうまいことを言う。

 今日はこの夏最後の酷暑であった。会場にはクーラーはない。みな汗をかきながら踊り、汗をかきながら見入った。

 眼福、これに過ぎたものはない。
 たった30分の眼福だったが、いい日である。


 なんでも、長男が11月から米国に赴任するという。
 私が就職期を迎えたころ、外国に行きたければ商社に入るか、新聞社の特派員になるか、程度しか具体的な方策を思う浮かべることが出来なかった。いまは、多くの会社で海外に赴任する人がいる時代である。日本も変わったものだ。

 赴任先はサンフランシスコ。赴任中に一度遊びに行くか。
 しかし、俺がサンフランシスコに行って何をする?
 あそこ、たいして美味いものを食べた記憶もないし(フィッシャーマンズワーフなんて、最低!)楽器屋を回るぐらいしか、当面思いつかないなあ……。

 

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