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 2013年6月6日 夜ごと

 小人は閑居して不善を為す
 であれば、小人を自認する安堂礼人は、風呂に入り、晩酌と夕食も終え、さりとてギターをつま弾くには気が引ける夜、かといって布団に入るにはちと早い時刻、つまり何もすることがなくなって暇をもてあます時間帯にどのような不善を積み重ねるか?

 このところ、夜ごと映画を見ている。アカデミー賞受賞作を、英単語逆引き辞典ならぬ、アカデミー賞歴史さかのぼり鑑賞で、後ろから順序よく鑑賞している。

 夜10時前には自室に引っ込み、ひたすら眠りが訪れるのを待つのが習慣の妻殿からは

 「うるさい! ボリュームを下げろ!!」

 と怒鳴られながら、それでも映画を見る。
 本当は、

 「でやんでぃ。お前、神経過敏なんだよ。世の中にはなあ、俺と飯を食いながらその席で寝ちまう女だっているんだ。ちったあ見習ったらどうだい!?」

 と叫び返したいのだが、身の安全を考えて我慢に我慢を重ねる日々である。


 アカデミー賞の歴史もとうとう1990年までさかのぼり、昨夜は

 「ダンス・ウイズ・ウルブズ」

 であった。ケビン・コスナーがマイクロホン、違った、メガホンを握った意欲作といおうか。この年の作品賞に輝いているのだが、なにしろ上映時間が181分もある。ちっとやそっとの心構えで見ることができる長さではない。

 「見るぞ!」

 と相当の覚悟を固め、自分を追い込まなければ見ることができない超大作である。

 にしても、だよ。なんで狼とダンスをしなきゃいけないんだ? 狼とのダンスでどうやって3時間も持たせるんだ?
 
 ま、そのような疑問には、ご自分でこの映画を見て答えていただくとして、駄作ではない。

 南北戦争での英雄的な行動、というか

 「お前、死にたいのか!」

 という蛮勇を戦場で示してで英雄となってしまった主人公は自由に任地を選ぶ権利を与えられ、何故かインディアン、あ、といってはいかんのか、米国の先住民族と接するダコタの地を選ぶ。たどり着いた砦には誰もおらず、ひとりぼっちの暮らしが始まるの。近くて遠いは夫婦、遠くて近いは男と女、ではないが、何しろすぐ近くで暮らしているのだから、いつしか先住民族と深く関わり、なじみ、やがて先住民族と暮らすことで初めて自分を見いだしていく。
 しかし、それは母国である米国に弓を引く行為であった。所属していた軍隊は主人公の行為を喜ばず、やがて先住民族に闘いを仕掛けていく。自分が先住民族の中にいることが米軍介入の口実になっていると考えた主人公は、先住民族の中で見いいだした伴侶(実は幼いときから先住民族に育てられた白人)とともに集落を去る……。

 といった物語である。

 3時間もの時間を費やしながら、不十分なところがたくさんある。
 主人公は、何故に死をものともせずに蛮勇をふるうのか?
 文明圏に育った彼が、未開に近い先住民族に惹かれるのはどうしてか?
 先住民族は、敵になる恐れが大きい白人の1人である主人公を何で受け入れるのか?

 どれもこれも、このストーリーを成立させるための大切な要素であるのに、説明が不十分で、見ていると

 「?????????」

 状態である。
 それにもかかわらず、私はいつしか物語に引き込まれた。

 そもそも、最初は北軍と南軍の戦闘場面から始まるのだが、主人公がどちらに属するのかさえはっきりしない。ということは、どちらであってもいいのだろう。
 とすると、この映画は何を訴えたいのか? 西部の雄大な自然を見せたいだけじゃないんだろ?

 引き込まれながら考えた。

 先住民族は木と皮でつくるテントに住み、時折群れをなして現れるバッファローを狩って食料とする。武器は弓とナイフ。自然に逆らわず、自然の一部として、先祖から受け継いだ暮らしを守って暮らす。
 それに比べれば、侵略者である米国人の暮らしは豊かである。住居は気と意思でつくる頑丈なものだし、食料はバッファローを追わなくても、いくらでも保存食がある。弓とナイフ? そんなもの、鉄砲に比べれば武器とは呼べない代物じゃないか。俺たちに伝統はない。新しい暮らしをこれからつつくる。自然? 俺たちが作りかえてやろう。
 その文明が、先住民たちの命と伝統の暮らしを滅ぼす。

 米国は、そうやって建国された。いまや摩天楼がそびえ立ち、世界で一番豊かといわれる国である。
 だけど、それで幸せか?
 俺たちは、女を心から愛せるか?
 のために涙を流せるか?
 産まれてきてよかった、と満足して死ねるか?

 先住民の暮らしを滅ぼした米国は、人間としてなくしてはならないものを滅ぼしたのではないか? 経済的繁栄なんて、蜃気楼みたいなものではないのか?

 「ダンス・ウイズ・ウルブズ」

 は、文明社会と呼ばれるところで生きる人間に、そんなことを問いかけたかった映画である、と私は見た。だからこそ、惜しいのだ。大団円にいたる背景説明が不十分であることが。

 そうそう、もうひとつ。
 主人公が恋に落ちる相手が、先住民族の中で育って生活習慣も価値観も彼らと共有するとはいえ、白人であることに

 「やっぱ、あんたたちから見たら、黄色人種は恋愛の対象になるほど美しくはないのかね」

 といいたくなった私は、やっぱり黄色人種だからだろうか?

 「ダンス・ウイズ・ウルブズ」

 通しナンバーでは、アカデミー賞受賞作の313。ということは、あと312本見なければ、アカデミー賞受賞作を見通したとはいえない。
 時折飲み会を催すことを考慮すると、これ、全部見るにはあと1年はかかる。

 大変だ、と嘆くべきか。楽しみがまだまだ沢山残っていると喜ぶべきか。
 難しいところである。

 

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