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 2012年9月17日 悪魔、去る

 悪魔が、去った。
 予定通り、昨日昼過ぎのことである。悪魔一家は、昨日午後、横浜で用件を抱えていた。それに間に合う時間に電車に乗った。浅草駅前で、悪魔のパパが車で迎えに来た。

 別れの新桐生駅。悪魔は泣いた。

 「瑛汰、ボスといたい」

 といわれてもなあ……。

 「瑛汰、また来ればいいジャン。いつ来る?」

 「うん、瑛汰、一人で来る。でも、ボス、今度はボスの番だよ」


 ?……。

 「だって、瑛汰が遊びに来たんだから、今度はボスが遊びに来るんだよ」

 瑛汰の、幼稚園最後の運動会が10月12日に開かれるらしい。応援に行くか?

 「ボス、応援に来たら泊まるんだよ、瑛汰のうちに。いい?」

 瑛汰たち3人が改札口をとおり、ホームに入った。130円の入場券をけちった私は、改札口の前で見送った。

 「バイバイ、バイバイ、バイバイ……」

 何度も瑛汰が声を出す。半ば鳴き声である。

 「バイバイ」

 璃子は明るく快活に手を振った。そんなものか。

 
 昨日は何もする気力がわかず、夜は映画を見て布団に入った。今朝目が覚めたら8時前だった。妻女殿が起き上がってきたのは8時半前である。
 2人とも、疲れていたのか?


 歴史好きのあなたに、必読書をご紹介する。

 未完のファシズム(片山杜秀著、新潮新書)

 日本人の歴史観は、司馬遼太郎によって作られた部分が大きい。大衆作家の面目躍如たるところだが、さて、司馬史観は正しいのか?

 司馬遼太郎は第2次世界大戦末期に戦車兵であった自らの体験を元に、日露戦争で大国ロシアに勝利を収めたことが、その後の日本陸軍の堕落を招いた、と断じた。
 日露戦争における日本軍は自らの力量をわきまえ、どうしたら負けない戦争ができるかを考え抜いた。早々と戦端を収めたことに不満な一部暴徒は日比谷で焼き討ち事件を起こすが、あれは戦端を収めたのではなく、あれ以上戦争を継続する力量が、日本とその軍隊になかったからである。国民から反発が出ることは重々承知しながら戦争を終結した日本とその軍は、立派なリアリストであった。
 ところが、時がたつにつれ、大国ロシアに勝ったという自信、自意識が、日本の陸軍からリアリズムを失わせる。神国日本に敗北はない。装備が足りないところは精神で補うという神がかりの集団になった。それが、日本を無謀な対米戦争に引きずり込んだ。

 という司馬史観に、

 「それ、違う」

 と異議を唱える歴史書である。 

 例えば。
 司馬遼太郎は、第3軍司令官として203高地を攻めた乃木希典を、愚将と切って捨てる。闇雲に歩兵を突撃させ、多くの兵を死なせたからである。もっと攻め方はなかったか。軍内部では、大砲を設置し、もっと爆撃すべきだと意見もあったが、乃木は採用せず、突撃を切り返した。

 「この、アホウ!」

 司馬は、乃木に罵声を浴びせかけた。

 が、この本の著者、片山は書く。

 「持たざる国が無理やり戦争をするところから出来する、必然的悲劇でした。別に乃木がだったからではありません。どんな将軍も、速やかな敵地攻略を命じられながら、そのための砲弾が足りなければ、人間を突撃させ、犠牲で結果を呼び込むしかないでしょう」

 著者は冷静である。
 日本陸軍には、その後も徹底したリアリズムがあった。そのため、第1次世界大戦に参戦、青島(チンタオ)を攻めたときは、まず砲撃で大勢を決するという、近代戦の見本を展開する。このとき日本陸軍は、世界の軍隊の戦端にいた。
 それが、どうして無謀な第2次大戦の悲劇に転がり込むのか。

 リアリズムに徹する日本軍には、2つの流れが生まれる。皇道派統制派である。
 どちらも、近代戦は国の総力を挙げた物量戦争になる、しかし日本は持たざる国である、との認識では共通していた。その基本的認識から、

 皇道派は、持たざる国である日本が持てる国になることは不可能であると考えた。だから、勝てる相手としか戦争をしてはならない。アメリカやイギリス、ソ連は勝てない相手だから、闘わない。自分たちが陸軍の実権を握っているのだから、それはできると確信した。
 しかし、2.26事件で皇道派は実権を失う。

 統制派は、持たざる国である日本も、手段を選び、時間をかければ持てる国になれると考えた。そのためには、ソ連の実績から判断して、統制経済が有効だと考えた。だから彼らは、陸軍内部で「アカ」と呼ばれる。
 時間を稼ぎ、持てる国になる政策を進めねばならない。満州はそのための足がかりだ。統制派の石原莞爾は、日本が闘う相手は西洋の代表であるアメリカであり、日本がアメリカと闘える持てる国になれるのは1966年まで待たねばならない。そしてその年に世界最終戦争が起きると予言した。
 しかし、日米は1941年に戦争に突入する……。

 歴史のダイナミズム、歴史に弄ばれる人間の卑小さがひしひしと迫る。最優秀な人たちがリアリズムに徹して必死で考え、日本はこうするしか生き延びる術がないと思い込んで、でも、現実はその道から大きくそれてしまう。では、どうすればよかったのか?

 日本の近代史は、いまを生きている我々に必須な教養である。司馬史観だけが歴史ではないことを知るためにも、この本をご一読されることを望む。

 

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