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 2011年12月31日 大晦日

 我が家の歳末風景をレポートする。

 29日、前回ご報告したように、新横浜まで啓樹を迎えに行った。
 家を出たのは午前8時前。東武線新桐生駅まで車で行き、駐車場に車を置いて8時20分のりょうもう号に乗った。10時頃浅草駅に着き、地下鉄で上野駅へ。京浜東北線で東神奈川、横浜線で新横浜に着いたのは11時。啓樹が乗る新幹線が到着するのは11時44分である。
 時間をつぶそうと、改装なった新横浜駅でタバコの吸える喫茶店を探すが見あたらず、であれば、せめて喫煙所、と思ったがこれも見あたらず、うろうろしていたら時間。ホームで啓樹を迎えた。

 「啓樹、お昼ご飯、何食べたい?」

 「お蕎麦」

 横浜線で東神奈川、京浜東北線で秋葉原。「まつや」に向かう。四日市から出てきたのである。蕎麦が食べたいというのである。どこにするか迷ったが、まあ、ここしかないか。
 秋葉原の駅を出てまつやへ。おーっ、さすがに年末である。午後1時を過ぎているというのに、まつやの前に列ができている。東京人は列を作るのがよほど好きだと見える。

 「啓樹、列に並ぶか?」

 「うん、並ぶ。お蕎麦が食べたい」

 並ぶこと40分、やっと着席する。

 「啓樹、お腹すいてる?」

 「すいているよ」

 「蕎麦、2つ食べられる?」

 「うん」

 という会話を経て、盛りを5枚頼んだ。頼んで後悔した。

 「いくら腹が空いているからと行って、小学1年生が2枚も食うか? 残ったら俺が食うしかないが、3枚食った上で食べられるか? 4枚でよかったのではないか?」

 が、後悔先に立たず。賽はすでに投げられたのだ。5枚来るのを待つしかない。

 来た。

 「啓樹、蕎麦ってね、口に入る分だけ箸で取って、蕎麦の先っぽを汁につけて食べるんだよ」

 啓樹は黙々と食べ始めた。

 「美味しいか?」

 「うん、美味しい!」


 2枚目が来た。

 「食べられる?」

 「食べられるよ」

 黙々と蕎麦を口に運ぶ。本当に食べられるのか?

 この頃になると、周囲の関心が啓樹に集まった。

 「この子、本当に盛りそば2枚も食べられるのかしら?」

 表情がそう語る。が、啓樹は気にもとめない、というか、周りのことなどまったく関知しない。黙々と食べる。

 「ボス、食べたよ」

 本当に食べた。周囲は驚嘆のまなざしで啓樹を見た。

 「ぼく、凄いね。沢山食べてたくましいわ」

 啓樹の前に座る初老の女性が声をかけた。その右に座る中年の女性は、思わず、といった笑みを浮かべた。私はいった。

 「啓樹。完食か。よくやった。美味しかったか?」

 「美味しかったよ」

 勘定、3000円。小学1年生と2人で蕎麦を食べて3000円。予定外の支出ではあった。
 ちなみに。
 まつやの蕎麦、やっぱり落ちましたな、味が。麺が劣化してます、はい。

 秋葉原から地下鉄日比谷線で北千住。東武線りょうもう号で太田、乗り換えて新桐生。自宅に着いたのは5時だった。1日のほとんどを費やした旅であった。

 30日。

 「鰻好きだよ」

 という啓樹に鰻を食べさせようと、昼食にこんどう。事前に、我が妻殿が電話で確かめたところ、30日の昼間での営業、とのことであったが、正午前に着いたらすでに閉店済み。
 我が妻殿が聞き間違えたのか、向こうが答え間違ったか。前者の可能性が高いようにも思うが、証拠はない。
 仕方なく、ほかの鰻屋を訪ねるが、のれんは下がっているものの、扉は開かず「準備中」。それでは、と寿司。啓樹、1人前+αを平らげる。
 メタボにならねばよいが。

 横浜の次女から連絡入る。来るとのこと。瑛汰が

 「啓樹と遊びたい」

 と泣きじゃくってるのだとか。とりあえず下痢も止まったし、との話。
 というわけで、午後6時半過ぎにやってきた。啓樹と瑛汰がはしゃぎ回ったのはいうまでもない。夜は私を3人で布団に入ったのだが、はしゃぎすぎて2人とも寝付かれず、途中で瑛汰は両親の元に引き取られる。といっても、2階の部屋に行っただけだが。私と啓樹で寝につく。

 子供と一緒に寝付くと朝が早い。そりゃあそうである。午後9時半には眠ってしまうのだから、睡眠時間が少なくてすむ省睡眠タイプに体質が変わっている私がいつまでも寝ていられるはずがない。

 今日。
 5時半に目が覚めた。仕方なく居間に出て朝刊を読んでいると、6時前に瑛汰が起きてきた。トイレに起きて、そのまま2階から降りてきた。

 「もっと寝てなさい」

 「ママが、もう起きてもいいんだって」


 ボスの家にやってきた。しかも、啓樹がいる。瑛汰の神経は眠っていられないほど興奮しっぱなしなのであろう。が、それが災いの種になるとは、その時は気がつかなかった。

 前日の3人の約束で、今日は伊勢崎まで映画を見に行くことになっていた。「タンタンの冒険」である。新聞でやたらと宣伝していたスピルバーグ監督作品である。前日、上映スケジュールを確認すると、1回目は午前10時から。というわけで、9時20分頃家を出た。
 9時45分ごろ到着、

 「ちょうどいい時間に着いたね」

 といいながら3階の映画館へ。チケットを買おうと思ったら、11時半からの上映だという。

 「昨日ネットで確かめたんだけどね」

 「平日と土日では上映スケジュールが変わります」

 何故? すでに年末だもん。会社もほとんど休みの時期だもん。そんな時期に平日、土日の違いがあるの?

 と、チケット売りのお姉ちゃんに凄んでみても仕方がない。

 「なんだって。一度帰ろうか?」

 と2人に提案した。

 「いやだ」

 すぐに2人に拒絶された。

 「だって、1時間半も待つんだよ」

 「瑛汰、待ってる」

 啓樹も同意見である。仕方がない。しかも、上映作品の一覧を見て、2人が意見を変えた。

 「タンタンはいやだ」

 「じゃあ、何を見るの?」

 「仮面ライダーがいい」

 仮面ライダー? 俺が、仮面ライダーを見るの?

 「絶対見たい!」

 2対1である。民主主義の原則に従えば、私が折れなければならない。折れた。

 時間つぶしに本屋に行った。瑛汰の本と璃子にお土産の紙芝居を買い、本屋を出てぶらぶらしていると、駄菓子屋のような店があった。2人は釘付けになり、瑛汰は剣玉、蝋石、小判をお買い上げに。啓樹も負けじと、ゲームを手に取った。

 11時過ぎから、早めの昼食。啓樹はスパゲティ、瑛汰はラーメンとたこ焼き。私はチャンポン。思いがけず時間を取り、

 「おい、早く食べないと始まっちゃうぞ」

 とせかして映画館。訳の分からぬ映像を見て、自宅には2時過ぎに戻った。

 
 実は、瑛汰の体調不良は朝から始まっていた。起きてきた瑛汰の頬が赤い。触るとガサガサする。ノロウイルスにやられたばかりである。その後遺症かと軽く考えていた。
 が、映画館を出て自宅に戻るころには、むくみも出始めた。頬はますます赤い。それを見た両親が、

 「また、肝臓か」

 と眉を曇らせ、帰り支度を始めた。瑛汰は今年の初め、肝臓の数値が悪化したことがある。その時の症状とそっくりだというのである。
 その時は横浜の大きな病院にかかった。その病院には瑛汰の病歴がデータとして保存されている。その病院に行った方がよかろう。
 
 こうして、瑛汰一家は3時半頃帰宅の途についた。啓樹と遊びたい瑛汰は泣きじゃくったが、体の変調とあっては是非もない。

 「瑛汰が元気なったら、四日市の啓樹のところにお泊まりしに行こうよ」

 「啓樹は春休みにまた遊びに来るから、それまでに元気になっておかなくちゃ」


 ま、我々大人は口々に慰めるのだが、瑛汰の涙は止まらない。車の中から泣きながら手を振り、去った。

 心配しながら、連絡を待った。帰宅後、直ちに病院に行ったそうだ。血液などを調べた結果、肝臓には異変はなかった。恐らく、何らかのアレルギーではないか、というのが医者の見立てである。
 最悪の事態は避けられた。しかし、瑛汰の体は何にアレルギー反応を起こしたのだろう?

 10時頃、瑛汰から電話が来た。

 「ボス、瑛汰ね、一人で注射できたんだよ。パパがいないところで注射したんだよ」

 「そうか、偉かったな。泣かなかったか?」

 「少し泣いちゃったけどね」

 「晩ご飯、食べたか?」

 「うん、食べた」

 「じゃあ、早く寝なさい。いっぱい寝るといっぱい元気になるんだから」


 「わかった」

 「お休み」

 「お休み」

 という会話を瑛汰と交わしている私の横で、啓樹はぐっすり寝ていた。
 明日は、啓樹にお見舞いの電話をさせようと思う私である。

 かくして我が家は、啓樹と老夫婦で新年を迎える。
 来年もよろしくお願いします。

 

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