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 2011年6月30日 菅直人の辞めさせ方

 に、皆さん困っていらっしゃるように見受ける。
 自民党を始めとした野党の皆さんは、内閣不信任案という伝家の宝刀を抜いたのに空振りしてしまったものだから、次に抜くものがなくなって呆然としているだけ。
 では、与党である民主党はどうかというと、内閣からも、側近からも早期退陣を求める声が続出しているのに決め手に欠く。
 かくして、みんなが困った、困ったといいながら、菅内閣が続く。どうしたらいい?

 だけど、手はある。歴史に学べ。

 軍部大臣現役武官制、という言葉が記憶の片隅に残っていらっしゃる方は多いはずである。明治憲法の下、陸・海軍大臣は現役の大将、中将でなければならなかった。軍部大臣抜きの内閣はあり得ず、ために、内閣は軍部と対立することができなかった。この弊害に気がついた第1次山本権兵衛内閣が1913年、この制度を廃止した。しかし、現実には軍部の意向を無視した軍部大臣は任命できなかった。それほど軍部の力は強かった。

 軍部と対立した内閣は軍部大臣を得られず、総辞職するほかない時代が長く続いた。日本が軍国主義化し、第2次世界大戦の泥沼にはまり込んでいった一因である。日本の、負の歴史といってもいい。

 だけど、これ、使えないかい? 菅直人というマイナスと、負の歴史というマイナスを掛け合わせれば、プラスのになるのが数学の原則ではないか。

 いくら総理になったといっても、大臣になってくれる人間がいなければ内閣は存続できない。

 菅直人を首相の座から引きずり下ろすには、総理を除くすべての閣僚が職を辞せばいいのである。いや、それだけでは足りない。すべての政治家が、菅直人の一本釣りには引っかからないという1点で団結すればいいのである。

 新聞などの報道によると、閣内からも首相早期退陣論が出ているというではないか。だったら、大臣全員が辞表を提出すれば菅内閣はつぶれるのである。あんたら、政治家だろう? ぐちぐち言わないで、行動を起こしたらどうなのかね?

 これこそ、軍部の突出による倒閣ではなく、民意による倒閣だと思うのだが。

 閣僚の諸君、所詮あなた方は菅直人に指名されて大臣のポストを手に入れたのだ。常に辞表を胸のポケットに忍ばせる覚悟を持たずに、首相は早く辞めるべきだ、なんて脳天気なことをいってるんじゃないよ。
 
 書きなさい、辞表を。
 出しなさい、辞表を。
 動きなさい、菅直人排除に。



 21日から今日まで瑛汰と璃子が来ていた。
 妻女殿の実家でごちゃごちゃした話が持ち上がり、心労で妻女殿がダウンしそうになった。それを心配した次女が瑛汰に幼稚園を休ませ、旦那を一人置いて駆けつけたのである。

 ごちゃごちゃの先行きは不明である。私には

 「こうしたら」

 との腹案はあるが、私は当事者ではない。ごちゃごちゃを解決できるのは当事者だけである。下手な介入はしない方がいい。

 それより、瑛汰である。
 事故は21日夜に起きた。

 夕食を済ませ、いまで遊んでいた瑛汰が突然

 「ギャー!」

 と鳴き始めた。何事かと駆けつけると、といっても、ダイニングにいたからほとんど7、8歩の距離だが、瑛汰が額から血を流して泣いている。慌てて患部を抑えたためだろう、両手は血で赤くなり、着ていたパジャマも血染めである。

 「どうした?」

 といいながら、額を抑えた手を額から離すと、左の眉の上が1cm弱、ぱっくり割れている。
 途切れ途切れの瑛汰の話から判断すると、ソファの上でふざけていて頭から落ちたらしい。落ちたところに、壁に立てかけたギターがあった。そこに突っ込んだようだ。

 ティッシュを数枚取り、傷口を押さえる。ティッシュを数回取り替えると、血はほとんど止まった。額だから派手に出血したが、それほどの傷ではないらしい。ほとんど血が止まった傷を見ると、やや深いがそれほど心配することもないと判断した。
 傷口にワセリンを塗る。その上からハイドロコロイド素材を使った傷バンを貼る。傷口に出てくる体液を保持した方が傷は早く治るという、やや高い傷バンである。
 最初はうまく着かず、貼り直した。その頃には痛みが引いたのか、瑛汰は泣き止んだ。血が付いたパジャマを着替えさせ、手と額の血をぬぐい、寝かしつけた。

 多少の出血は夜中も続いたようである。翌朝、布団のシーツに少量の血がこびりついていた。傷バンを取り替え、その周りに着いた血をぬぐい去った。

 「お父さん、皮膚科に連れて行って」

 朝、次女が言った。次女は瑛汰の母である。

 「顎に怪我をしたとき、放っておいたら跡が残ったのよね。あとでお医者さんに聞いたら、早く医者に診せたらあとは残らなかったろう、っていわれたから、念のために連れて行きたい」

 皮膚科? 怪我は外科じゃないのか? とは思ったが、母親に逆らうわけにはいかない。近くの皮膚科にお連れした。

 一仕事終えて自宅に戻ると、すでに帰宅していた次女が言った。

 「皮膚科で、これは外科です、といわれた」
 
 ああ、そう。今度は外科ね。で、どこの外科?

 「近くにあるというから」

 車でそこまで連れて行き、私はそのまま仕事に出た。
 戻ったのは午後3時過ぎである。熱暑による汗にまみれた私に、次女がいった。

 「あの外科、だめ! だって80ぐらいのおじいちゃんで、耳が遠いのよ。私のいっていることを、看護師さんが大きな声で復唱して『先生、分かります?』っていってるのよね。それで、縫わなくてもいいですか、って私が言うのに、面倒臭そうに『私は縫わない。縫うんだったら、ほかの医者にいって』だって。手が震えて縫えないんじゃない?」

 てなわけで、再びほかの病院へ。
 待合室で璃子をあやしているうちに、瑛汰は2針縫って診察室を出てきた。そういえば、待合室から子供の泣き声が3度に分けて聞こえた。あれが瑛汰であったか……。

 瑛汰は恐がりである。慎重なタイプでもある。だが、調子に乗るという性格も併せ持つ。調子に乗ると怖くなくなり、慎重さもなくなる。見境がなくなり、行け行けドンドンになる。

 瑛汰、こうしたら、こうなるかも知れないからやめておこう、とは考えられないか?
 まあ、乗れば見境がなくなるのは子供の常。まだ無理かなあ……。あ。大人でも見境がなくなること、ある。
 札幌で初めて雪の壁を見て、愛車のフロントを雪の壁にプレスしたくて車を突っ込ませたのは30代半ばの私だもんなあ……。お前はやはり、私の血縁者か?

 まあ、男の子である。顔に2つ3つ、古傷のあとがあるの、将来女心をときめかす材料になるって。

 夏休み、再び瑛汰は来襲する予定である。その時は無傷で帰って欲しい。

 

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