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 2011年4月25日 原子力災害

 原子力に関して、あるいは放射性物質、放射能、その被害に関して、私はほとんど何も知らない。胸を張っていえる。

 胸を張るのは、ひょっとしたら、誰も正確には知らないのではないかとも思うからである。そう思わせてくれたのは、臆面もなくテレビ画面に出てきて、あーだ、こーだ、とご託宣を並べてくれた専門家たちのおかげである。
 
 見ながら、思った。
 こいつら、今回の事故が起きるまで、本当に原発の事故など起きないと思っていたのではないか? 

 確かに、核分裂について、連続的に核分裂が起きる臨界について、あるいは原子炉の構造について、核燃料の製造についてなど、それぞれは詳しい知識を持っているのであろう。しかし、それらを組み合わせたシステムとして原子力発電所があり、しかもそれが様々な災害が起きる自然界の中に置かれることについて、総合的な知識を持ち合わせていた人物はいたのだろうか?

 この人たちはきっと、自分の専門分野について、同じ分野で研究を競っているライバルと比べて

 「俺の方が知識が深い」

 と自慢できるほどに学問を積み重ねてきたはずである。学生に知識の切り売りもしてきたのであろう。それは勝手にやってもらえばよい。
 だが、この人たちに、だがら自分は原発を完全に理解しているという慢心はなかったか?

 自分に、他に勝る知識があったとしても、それは全体から見れば微々たる知識に過ぎず、自分が知らない世界の方がはるかに広いのだという謙虚さをどこかに置き忘れては来なかったか?

 私にも、他の人より多少知識が多い分野はあるかもしれない。だが、もしあったとしても、それは微々たるもので、知らないことの方がはるかにたくさんあることも知っている。だから私は、知らないことを知らないというのに躊躇しない。知らないことは、子供に向かっても、教えて、という。それは、生きていく上でのイロハだと思う。

 原子力発電所で事故が起きた。原子力については何も知らない私も、自分と、自分の愛する人たちを何とか守りたいと願う。では、どうするか。
 イロハのイに立ち戻って学ぶしかない。学となると、やはり、その分野に専門的な知識がある連中から学ぶしかない。一方でバカにしながら、一方で学ぶ。ジレンマではあるが、ほかに手立てがない。


 いま勉強しかかっているのは、放射線の危険性である。
 先日、「世界の放射線被曝地調査 自ら測定した渾身のレポート」(高田純著、講談社ブルーバックス)という本を買って読み始めた。3分の2ほど読んだが、あまり役に立ちそうない。原爆・水爆の実験が行われた土地、原発事故があったところの調査レポートであり、例えばチェルノブイリについて

 「核反応が暴走した原子炉では水蒸気・水素爆発後の黒鉛火災にともない、環境へ莫大な量の放射性物質・約2エクサベクレルが放出された。事故時の急性放射線障害で、線量レベルAとなった運転士および消防士28人が死亡した」

 と書いてあるのだが、そもそも2エクサベクレルというのがどれほどの物なのか、基礎知識が皆無の私には判断のしようもない。
 それにこの人、被曝地で採れたキノコを

 「ロシア1の汚染村からのキノコを食べる前に測定することを提案した。スペクトロメータの液晶画面にセシウムの存在を示す大きなピークを見た。1個あたり約1000ベクレルのキノコは好い味だった」

 などと書いておられる。

 「えっ、汚染されたキノコを食べていいの?」

 と思ってしまうが、この方、専門家である。食べても安全であるとの確信のもとに「好い味」を楽しまれたのに違いない。
 
 だったら。私たちは何に怯えたらいいのだ? 日本では放射性物質に汚染された野菜の出荷停止が相次いでいるぞ、といいたくなるが、残念なことに、この本には解答はなさそうである。


 というわけで、昨日、別の本を買ってきた。
 「人は放射線になぜ弱いか 少しの放射線は心配無用」(近藤宗平著、講談社ブルーバックス)

 著者は大阪大学医学部放射線基礎医学教授だった、とある。
 医者や工学系の研究者は、日常的に放射線を使う。医者にはレントゲンやCTはなじみの検査機器である。工学系では、物の性質を変えて新しい物質をつくるのにガンマ線をあてたりする。こういう人たちは自分の安全を守りたいから、放射線には詳しくなるはずである。自分の身体を守るためだから、詳しくならざるを得ない。そんな立場の人の書いた本だから読んでみようと思ったのである。
 必要があれば、追って報告する。

 そもそも、だ。こういう時、一番当てにならないのは、放射線、放射能の危険性を煽る連中である。原発反対をお題目にする連中もこの仲間に近い。原発反対はいいのだが、反対するために、原発、放射線の危険性を必要以上に煽る。そうか、危ないんだ、と考える人を一人でも増やす事を狙う。
 時には、現実の事故や実験で得られたデータを勝手に解釈し、

 「ほら、こんなに危険なんだ」

 と言いつのる。
 タバコが嫌いな人たちが、タバコの害を必要以上に言い立てるのに似る。タバコと車の排ガスの危険度比較など頭にも浮かばないのが、嫌煙派の実態である。
 
 原発の、放射線の危険性を煽りに煽る。だから、こう人たちの示すデータを、私はあまり当てにしない。いまの週刊誌で言うと、「週刊現代」がこの一派である。危険を煽って売り上げを伸ばそうというのだろうが、うまくいくかどうか。

 もっとも、原発は安全だといっていた連中の話も、そのまま信じるわけにはいかぬ。話を単純化すれば、原発は安全だといえば、東京電力などから多額の研究費が出る。研究費がなければ何もできないのが学者の常であるから、研究費ほしさで原発推進派に属し、「原発村」の住人となっている学者が数多くいるとは、沢山のメディアがすでに報じているところだ。テレビに出てきた専門家も、恐らくこの村の住人なのであろう。
 それはこの際脇に置くとして、彼らは、反対派の人たちとは逆の立場で様々なデータを勝手に使い、放射線なんてそれほど危険ではない、といいかねない。村から追い出されれたら研究生活を断たれるとあれば、まあ、多少のことにも目をつぶろうというのも、人の1つの生き方ではあるが。


 さて、このように考えたとき、どうやって自分の身を守ればよいだろうか。
 まず、原発推進派の連中が「危険」というレベルは、何を置いても避けねばならない。甘甘の基準で危険とされるレベルは、許容限度ギリギリ、あるいは許容限度を超した危険度だと判断する。

 次に、話者がどのような立場にあるかを重視する。自らを放射線に曝される環境に置いている人の話は、まあ、信用してもいいと思う。
 統計的な数字も大事である。チェルノブイリでは、2002年までに4000人の子供が甲状腺がんになった。が、子供の甲状腺がんは比較的治療が容易で、死亡したのは15人だけ。こうしたデータは判断の助けになる。
 放射線被害といえども、物理の法則に従って発生する。きちんとしたデータがあれば、必要以上に怯える必要はない、と私は考える。


 桐生市の水道関係者と話した。

 「ゼオライトには放射性物質も吸着する性質があるというけど、桐生はゼオライト、使ってるの? これから使う予定は?」

 答えは明瞭だった。

 「そんなもの、使っていません。使う予定もありません」

 東京の水源地で高い放射線レベルが検出されたのは、彼によると舗装のせいである。雨が放射性物質を伴って地上に落ちる。東京の場合は、落ちたところに土がない。土に吸収されないから、そのまま水源地に入る。だから放射線レベルが上がる。

 桐生は?

 「水源は川の水です。川の水は、一部は確かに雨がそのまま落ちますが、ほとんどは一度土にしみ込み、時間をかけて濾過されたものです。半減期の短いヨウ素131だけでなく、半減期が長いセシウムなども土で濾されて綺麗な水になって水源地に入ります。だから、桐生の水は心配ありません

 私は、こういう経験知を大事にしたい。

 放射線に怯えよ。だが、必要以上に怯える事なかれ。

 さて、そろそろ布団に入って本の続きを読むかな。

 


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