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 2011年3月6日 辞意

 前原外相が辞めるらしい。
 
 まあ、それはどうでもいい。菅首相が政権を投げ出したときの受け皿、つまり次に首相に一番近い人物、との評もあるが、私、この人をあまり評価しない。そもそも、脇が甘すぎる

 普通の人なら、多少脇が甘くても、多くの場合はご愛敬で通る。通してもらえなければ、私のような大甘な人間が社会人として存在を許され続ける訳がない。
 だが、彼は政治の第一線に立つ政治家なのである。脇の甘さは致命傷になる。

 偽メール問題をご記憶だろうか?
 当時、ゼニゲバの象徴としてみんなに滅多打ちにされたライブドアの堀江が、衆議院選挙に立候補しようと考え、メールで自民党の幹事長の息子に金を振り込む指示を出した。そのメールがとある民主党議員の手に渡り、その議員が国会で追求した、のが幕開けだった。
 ところが、自民党も検察庁もライブドアも、こぞってこのメールの存在を否定した。だが、当時民主党代表だった前原君の戦意は衰えなかった。新たな証拠を示しますから期待しておいてください、などと大見得を切った。そのファイティングポーズはよかったのだが、示すといった新しい証拠はいつになっても出てこず、偽メールにだまされたということになって、ついには民主党代表を降りざるを得なくなった。
 という騒動である。

 ま、ガキの喧嘩なら分からないこともない。が、大きな政党を代表する立場にいる人間が、何の根拠もなく、新たな証拠を出す、などといってはいけない。
 その場の議論で相手を打ち負かしても、最終的に自分が負けては何にもならないのである。

 「こいつ、軽いヤツだな」

 と思ったのは、私だけだったか?

 私がいま住む群馬県の問題でも、やや世間離れの感覚が目につく。八ッ場ダム(これを、やんば、と読むとは、長い間気がつかなかった)問題である。
 私は、八ッ場ダムは造るべきではないと思う。治水・利水の両面から、こんなダムは造るべきではないと思うし、八ッ場ダムに流れ込む水が有名な毒水である以上、作ってはならないダムである。
 民主党、そして前原君も同じ考えであった。それはいいのだが、地元との接触の仕方が青臭い。

 八ッ場ダムの計画が動き出したのは1952年のことだ。当初、地元はこぞって反対した。そりゃあそうである。豊かに、かどうかは置くとして、地元の人たちはその場で生きてきたのだ。これから先も、この土地で生きていこうと思い定めていたのだ。それを、突然ダム湖に沈めます、といわれて、はい、そうですか、という人はいない。

 俺たちの土地を守れ、だけが反対運動の理由であったのではないかも知れない。反対すれば、補償金額がつり上がる、金儲けのために反対する。そういう人も、多分混じっていたのだろう。
 だが、様々な思いで始まった反対運動も、徐々に切り崩されていく。それも仕方がない。いくら反対しても、世の中はダムを造ることを前提に動いていくのだ。
 国は、ダム建設計画を進める立場である以上、ダムを造るための金は出せても、ダムを造らないことを前提にした金は出さないし、出せない。こうして生活基盤が徐々に崩壊し始め、地元はダム建設を受け入れざるを得なくなる。
 全国のダム建設予定地で繰り返されたことが八ッ場でも繰り返されただろうことを想像するのは、決して難しいことではない。
 地元の人たちは、戦い、悩み、苦しみ、煩悶を繰り返して、ダムをいけ入れるしかない、というところに追いやられたのだ。
 それを、

 「マニフェストに書いてあることなので中止します」

 と前原君は言ってのけた。その発言に、論理的誤謬はない。だが、半世紀以上にわたってダム建設と睨み合い、受け入れるしかないところまで追い詰められた地元の人たちの心への思いはなかった。

 もう少し違ったやり方はなかったろうかと思う。ダム計画に翻弄されてきた人たちと涙を流しながら語り合うすべはなかったかと考える。
 が、前原君には、そんな心はないんだろうな、という諦めの気持ちがわき起こるのを抑えられない。彼は、すべては理屈で割り切れると思い込んでいる、たちの悪い秀才ではないか。

 というわけで、私は前原君を全く評価しない。
 菅直人がヨレヨレになり、後継首相に前原君の名前が挙がり始めた昨今、

 「冗談じゃないよ」

 と不愉快であった。

 それでも、である。今回は外相を辞任する必要はないと思う。

 新聞やテレビで見聞きしたところだと、彼は、政治資金規正法で禁止されている外国人からの政治献金をもらっていた。

 まあ、政治資金規正法の立法趣旨はよく分かる。政治家が、北朝鮮や中国から金をもらっていてくれては困る。カダフィーから政治献金をもらっている政治家なんかいて欲しくない。みんなが大好きなアメリカからだって貰っていただきたくない。現実には、かなりの政治家が貰っていたらしいが。
 そもそも、その手の金は、政治家を金の力で動かすために流れるものである。日本の政治が、外国の政府、個人の思惑で動かされるのはまっぴらごめんである。
 恐らく、多くの人が同じ思いを持っていらっしゃると思う。

 だが、なのだ。
 指摘された献金額は5万円である。しかも、献金したのは在日韓国人の女性。貧しい暮らしの中で上を目指す幼き前原君に同情し、ずっと見守ってきた。その前原君が政治家となり、励ましたかったのだという。

 これ、政治資金規正法が思い描いている「外国人からの政治資金」に該当するのか?

 小さいころの前原君を知っているということは、この女性、日本国籍は取得していないが、長年、日本で暮らしてきたことは疑いない。日本の法制度の下で暮らし、税金も納めてきたはずである。そういう人が政治に参加してはいけないのか?
 5万円である。今時、5万円でパンツを脱ぐ女はいるかも知れないが、5万円で主義主張を買える人間がいるとは考えにくい。この女性だって、5万円で政治家を動かせるとは夢にも思っていないはずだ。

 法の論理からすれば、確かに前原君は違法である。だが、実体面から見ると、政治資金規正法の立法趣旨に反しているとは思えない。

 法とは、一律にしか記述しえない。だから、時折、こうした齟齬が起きるのは避けられない。だが、齟齬が起きたとき、

 「これは違法である!」

 と騒ぎ立てる阿呆どもと同じ鍋の飯は食いたくない。齟齬が起きたら、齟齬が起きないような法律の記述方法はないかと探し求める立場に、私は身を起きたい。
 法とはルールにすぎない。ルールが実態と合っていないとき、変更すべきは実態ではない。現実に合わせて法を変えるのが立法府にいる人たちの使命だと思うのだが、いまの立法府には、そうした知恵者が払底しているのが悲しい。

 とはいえ、前原君が首相になるのはごめん被りたいという私の思いはちっとも変わらない。
 念のために申し添えておく。

 

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