●日誌一覧

シネマらかす

グルメらかす

音らかす

旅らかす

スキーらかす

事件らかす

 2010年10月28日 これもいじめ

 読売新聞の編集手帳といえば、いまや、新聞業界最高のコラムといわれている。個人的には異論があるが、まあ、そんな評判が高いのだから仕方がない。
 筆者の竹内政明氏には、

 「名文どろぼう」(文春新書)

 などの著書がある。私なんざ、足元にも及ばない文筆家である。

 だが、これはどうだろう。今日、10月28日付けの編集手帳である。

 とリンクを張ったが、このリンク先、いつなくなるか分からない。怒られるかも知れないが、ここに全文をコピーする。読売新聞さん。ごめん!

 芥川龍之介の歌がある。〈幾山河(いくやまかわ)さすらふよりもかなしきは都大(みやこおお)路(じ)を ひとり行くこと〉。にぎやかで華やいだ空間に身を置くとき、大のおとなでも孤独は骨身に染みとおる◆食器の触れ合う音と、笑い声と、おしゃべりと、好きな 子同士が机を寄せ合って食べる給食の時間は毎日、ピクニックのような楽しい音に満ちていただろう。ひとりぼっちのその子には拷問(ごうもん)の 時間だったかも知れない◆自殺した群馬県桐生市の小学6年、上村明子さん(12)の父親によれば、以前にも同級生から「近寄るな」「汚い」などと言われた ことがあり、両親が学校側に10回以上も、いじめについて相談していた◆事件後の保護者会でいじめの有無を問われた校長は「プライバシーの問題」だとして 答えなかったという。「保身の問題」と聞こえる。死んだあとまで、明子さんを泣かすのはやめよう◆遺品を整理していた家族は、明子さんがノート3ページに 描いた漫画を見つけた。「関口桜」という名の女の子が新しい学校に転入してきた設定である。表題は〈やっぱり『友達』っていいな!〉。架空の少女に見果てぬ夢を託したのだろう。

 この人、古今東西の名文を引用するのが得意である。そこから「名文どろぼう」も産まれたのだろうが、いやまあ、よくぞこんなに沢山、他人の文章を記憶しているものだと、いつも感心する。
 いや、全文を記憶しているのではなかろう。いくら何でも、そんな頭脳の持ち主はいないはずである。だが、何かの事象にぶつかって、

 「あの本に、使える文章があったはずだ」

 と呼び覚まされるぐらいの記憶がなければ、とてもこうはいかぬ。恐るべき知識量である。

 で、今日の編集手帳も、芥川龍之介の短歌で始まった。

 「でも、なんで、たいしてよくできているとも思えない短歌を引くのだろう?」

 といぶかりながら読み始めて、目が吸い寄せられた。お読みいただければ分かるが、取り扱われている題材は、我が在住地、桐生で起きた小学6年生の女の子の自殺である。思わず読み進んだ。

 だが、読み進むうちに、

 「何、これ!」

 という違和感がムクムクとわき上がった。そう、私は前回の日誌で、この事件を取り上げている。
 
 どうやら竹内氏は、小学校でいじめがあったことを自明とし、その上でいじめがあったことを認めない学校を責めているらしい。
 竹内氏は、

 「父親によれば、以前にも同級生から『近寄るな』『汚い』などと言われた ことがあり、両親が学校側に10回以上も、いじめについて相談していた」


 と書いて、いじめがあったことは証明済みだとする。だが、前回の日誌を見ていただきたい。私が新聞で読んだ限り、この部分は死んだ明子さんが誤解していたとして解決済みのことである。彼女は、他の子がいわれたのを自分が言われたと誤認した。彼女に対するいじめではなかったのだ。
 しかも、地元のことだけに関心を持った私が知人に聞いた限り、両親が学校に相談した回数については、両親と学校側で認識が食い違っている。両親は10数回といっているが、学校側が相談を受けたと認識しているのは数回である。当事者同士の主張が食い違っているとき、

 「10回以上も、いじめについて相談していた」

 と断定していいのか。
 粗雑な証明であり、粗雑な文章といわざるを得ない。

 このボロボロの基礎の上で、竹内氏は論を進める。

 「事件後の保護者会でいじめの有無を問われた校長は『プライバシーの問題』だとして答えなかったという。「保身の問題」と聞こえる。死んだあとまで、明子さんを泣かすのはやめよう」

 いじめが会ったと認めない校長を「保身」と切って捨てる。論は明快である。
 でも、校長は「保身」に走ったのか? 校長は「自分の身」を守るために口を閉ざしたのか。校長は潔く、いじめを認めた方がよかったのか。

 校長が校内のいじめを認めたら、次に何が起きるだろう?  
 恐らく、犯人捜しである。明子ちゃんを殺したのは誰か。

 「お前、あのときこんなこといってたよな。だから明子ちゃんが死んだんだ」

 誰かが言って、周りが同調する。

 「そうよ、あんたが悪いのよ」

 明子ちゃんをいじめたと決めつけられた子は逃げ場がなくなり、悪くすると明子ちゃんの後を追う。すると再び、その子を殺したのは誰かという犯人捜しが始まる。
 延々と続く負の連鎖が始まる。

 校長は、学校が、教室がそうなってはいけない。だから、自分がどれほど非難されようと。潔くないといわれようと、身を挺してそれを阻止する。ひょっとしたら、そんな悲壮な覚悟を固めているのではないか。
 見ず知らずの校長への思い入れが強すぎるかも知れない。だが、私が校長なら、そう考え、覚悟を固めて行動する

 竹内氏、あなたは、校長の立場に身を置く想像力をお持ちでないのか。華の都の東京の、エアこんディションが聞いた部屋で、

 「コーヒーくれる?」

 と叫べば温かいコーヒーが出てくる環境で、先人の残した膨大な名文と、己の頭脳から湧き出してくる名文を織り交ぜながらパソコンに向かって文章を書き続けるあなたには、右か左かで割り切れないことだらけの実社会で生きてこそ蓄積されていく、どうしようもない、明瞭な言葉では語れない、でもとっても大切な経験が欠けているのではないか。要するに、頭でっかちではないのか?

 しかも、だ。

 「死んだあとまで、明子さんを泣かすのはやめよう」

 って、思わず笑っちゃったよ。
 死者は悲しまない。まして泣くことはない。竹内氏、笑っている死者や泣いている死者にお会いになったことがおありか?
 あれば文句は言わない。なければ、こんな安っぽい、お涙ちょうだいの演歌みたいな文章を書いては、せっかくの業界一の名文家の名が、それこそ泣きますぞ。
 と、名もない文章書きにいわれても、痛くも痒くもないだろうが。


 この人、確かに名文家である。だが、ろくでもない思想が名文によって運ばれるのは危険である。
 太平洋戦争に国民を動員したのは、名文で戦意高揚を煽った名文家たちではなかったか?

 以上は、ろくでもない文章しか書けない男の、ごまめの歯ぎしりである。


 桐生は今日雨。この季節は一雨ごとに気温が下がる。
 床暖房のスイッチを入れる日も遠くない。

 皆様、くれぐれも風邪をお召しにならないように。

 

前の日誌                

無断               メール