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 2010年10月24日 今日はスポーツ

 といっても、私はギターの練習に明け暮れた日曜日だった。身体を動かしたのは、午前6時前から約1時間の散歩と、庭の草むしり程度である。

 目覚めと共に歩いて汗を流し、朝食をとって草むしり。腰が痛くなりかけたころやめてギター。昼食、草むしり、ギター、草むしり、ギター。
 ま、そんな1日だった。

 ギターを弾くときは無心である。

 「昨日見かけた姉ちゃん、なかなかいい女だったな」

 などと考えようものなら、確実に次のフレーズを間違える。
 あっ、これは別に、本当にそんなことが頭に浮かんだという話ではない。ものの例えである。決して実話ではない。
 第一、桐生で土曜日に、そんなに印象に残る女性に会うなんてことは、望んでも起きない。それは私が保証する。
 桐生の女性方、御免なさい。

 「明日の仕事はどうしよう?」

 などというのもタブーである。なにしろ、

 「いけねえ、間違っちゃった!」

 と思った瞬間、指が動かなくなる。

 「次は、あそこに人差し指を持っていって」

 などもいけない。いま弾いているところがおろそかになる。
 無心。とにかく無心で指を動かし、音を出す。無心に徹せねば、ろくな演奏にならない。

 私の場合、徹しても間違いだらけである。日暮れて道通し、のギター道なのだ。

 それに比べれば、草むしりは気楽だ。腰が痛くなるのを我慢すれば、の話だが。
 頭にどんな妄想を浮かべようと、右手の鎌で土を掬い起こし、左手でそっと草を抜く。根こそぎ抜きたいので、できるだけゆっくりと抜く。ついてきた土を払い落としてビニール袋に入れる。それだけの単純作業である。頭脳は、ほかの思いでフル回転していたって構わない。

 「それにしても」

 と私の活動的な脳は考え始める。

 「私はなぜ、腰の痛みを押してまで雑草を抜くのか?」

 目下の己の行動に対する根源的な問いである。

 「嫌いなのだ、庭が雑草に覆われるのが」

 己が出した問いに、己で答える。その答えに、なるほど、と相づちを打つ。

 「でも、何で嫌いなんだ?」

 最初の答えに満足していては深甚な世界には行き着かない。

 「だって、雑草って、私の領地への侵略者ではないか」

 あらゆる問いに答えを用意する。それがインテリたる者の務めである。

 「ほほう、侵略者か。しかし、その侵略者がお前に何か害を与えたか。多少の害を与えても、それが雑草の命を奪う理由になるか?」

 と問う私もなかなかの者である。

 「ん、なかなかいいとこ突くねえ。侵略を傍観するのは主権者として情けないが、でも、侵略を阻止するために相手の命を奪うのは、絶対平和主義である私に心情に反する。これ、なかなか難しいねえ」

 と考えながら、せっせと鎌を使い、雑草を次々と根こそぎにする。

 「しかし、さあ」

 問い詰められていた私が、問い詰めていた私に問いかける。主客転倒である。

 「こいつら、どうしてこんなに深く根を張るのかね。まあ、地上に出ているところを刈られても、再び根から芽を出して命をつなぐという生き残り戦略なのだろうが、それが分かっている私は鎌まで使って根絶やしにしようと試みている。これ、ヤツらの生き残り戦略が裏目に出てるんじゃない? はいはい、私たちはどうせ嫌われ者の雑草です。あなた、抜くんでしょ? はい、抜きやすいように、根も浅くしか張りませんですよ。どうぞ抜いてください。ほら、抜きやすいでしょ? 書けるご迷惑は最低限に抑えてます。でも、すでに種を沢山飛ばし、次の世代を作る仕事は終えました。私なんぞ、もう抜いていただいて結構ですよ。来年は、私の子孫がご迷惑をかけるかも知れませんが、って構えてたら可愛いと思うけど」

 問い詰められた方が、今度は問い詰める。逆襲だ。

 「ん、そりゃあそうだが、ある程度成長しなきゃ種も作れないだろ。それまでの生き残りのために根を張るんじゃないのかね」

 分かったような、分からないような問答である。
 ここで第3の私が乱入する。

 「そうだよね、生きものにとっての最大の使命は次の世代を作ることだよね。だったら、人間の場合、男はとにかく、多くの女に子種を注ぎ込むこと、女は多方面から子種を受け入れること、が一番生きものらしいことにならないか? それなのに、一夫一婦制なんて人間の自然の理に反していないか?」

 訳が分からなくなった。
 そうそう、スポーツである。

 浅田真央ちゃんが、NHK杯で惨敗した。ジャンプが飛べないのでは勝負にならない。どうしたんだろ? 別に親戚でもないが、気になる。

 真央ちゃんは、銀盤の妖精である。何より、身体の線が美しい。胸が膨らまないのは惜しいが、まあ、膨らんだところで私がタッチできるわけではないので、どうでもいい。
 いずれにしても、

 「なに、これ。日本の女子スケートって、ピッグダンス?」

 などといいたくなる時代、それは、日本の女子スケートが初めて世界に認められた時代でもあったが、が昔あっただけに、それこそ、時代が変わった印象がある。そう、女子スケートとは、美を競う競技なのだ、と思い知らせてくれたのは真央ちゃんである。

 その真央ちゃんの惨敗。

 恐らくいま、彼女は氷上を滑ることが怖くなっている。
 子供のころは、滑ることが楽しくて仕方がなかった。練習をし、大会に出る。練習で身につけた技を披露する。恐らく、怖さは感じなかったに違いない。頭にあるのは、練習で積み上げた技を成功させた自分だけ。失敗する? ありえなーい。なーに、失敗したら失敗したとき。ペロって舌でも出せばすむ。大人はそれでも褒めてくれる。
 世界大会に出ても怖さを感じることなく、心の底から楽しんで滑っていた。それが、結果につながった。

 その真央ちゃんも20歳になるらしい。人間、20歳にもなれば、子供の無邪気さからは遠いところに行き着く。考えなくてもいいことまで考えてしまう。演技に失敗した自分をイメージしてしまう。
 平凡な私でも、そうだった。ましてや、世界の頂点にいる真央ちゃんは、否が応でも考えてしまう。あるいは、バンクーバーでキム・ヨナの後塵を拝したこともプレッシャーになっているのだろう。

 そしていま、真央ちゃんは滑るのが、飛ぶのが怖くなった。自分で作り出したイメージの重圧で、身体が動かない。
 ジャンプが飛べない真央ちゃんを見ながら、そんなことを考えた。
 
 が、だ。競技人生、いいときもあればスランプもある。スランプにぶつかった凡才は挫折して消え去る。しかし、真央ちゃんは天性のスケーターだ。こんなことでつぶれるタマではない。初めてぶつかった壁を、きっと自力で乗り越える。一回り大きな真央に成長する。そして、名実ともに世界の頂点に立つ。
 私はそう信じる。

 セリーグのクライマックスシリーズが終わった。中日が優勝した。
 根っからのアンチジャイアンツである私には、ジャイアンツが優勝しなかったことが喜ばしい。

 で、日本シリーズは、中日対ロッテ。
 おいおい、マイナーチーム同士の対戦で、盛り上がるのかね? だって、中日ファンは名古屋にしかいないし、ロッテファン、ん、千葉にいるんだっけ?

 ま、そもそも、野球中継さえ見ない私にはどっちでもいい話ではあるが。
 

 

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