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 2010年10月12日 王様バッタ

 今日は、専属運転手になる日だった。妻女を前橋日赤まで連れて行く日である。
 4週に1回の日赤詣でだから、本来なら来週19日の予定だった。ところが、長女の騒動が持ち上がり、妻女は19日、四日市で長女一家の面倒を見なければならない恐れが出てきた。そのため、予定を1週間早めたのである。

 先週月曜日から仕事を休んでいる私は、その前の土日から計算すれば、11連休となった。と書くと豪華なようだが、休み中、仕事をしている日々の3倍から5倍は働いた、いや、働かされた。
 ま、どうでもいいが。

 さらに雑談を続けると、
 「可能性」と「恐れ」の違いが最近曖昧になっている。
 将来のことを語るとき、この頃好んで使われるのが「可能性」という言葉である。明るい見通しでも暗い見通しでも「可能性」という言葉で表現される。

 就職できる可能性が出てきた。

 という使い方は正しい。しかし、

 就職できない可能性が出てきた。

 は間違いである。

 「可能」というのは、できる、という意味である。そうしたいこと、そうあって欲しいことができるかも知れない。そのようなときに「可能性」という言葉を使う。

 悪いことが起きそうなときは「恐れ」という言葉がふさわしい。

 就職できない恐れが出てきた。

 が、正しい日本語である。就職できないことを喜ぶヤツはいない。そういうときに、明るい未来を感じさせる「可能性」が使われると、身体のどこかがむずがゆくなってしまう。おいおい、それはないだろ、といいたくなる。

 最近は、阿呆の見本とされる民放の女子アナだけでなく、見識あるといわれているHKのアナウンサーまでが、もっぱら「可能性」を使う。それだけでなく、朝日新聞にも散見される。

 言葉は時代とともに変わる。それに異論はないいま、暗い未来を示す「恐れ」は時代遅れとなり、死語に近づいているのかも知れない。
 だが、言葉が変わるとしても、本来の意味から離れて欲しくない。

 かつて、誰だったか

 「てふてふをちょうちょうと表記されると、優雅に飛んでいる蝶の姿をイメージできない」

 という趣旨のことを書いていた。てふてふと書いたって、どうせちょうちょうと読むんだから、だったら発音通りちょうちょうと書いた方がいいのではないか。戦後産まれ(これも死後に近い?)の私は思ったものだが、さて、「可能性」と「恐れ」は、それに似ているのか、似ていないのか。

 ちなみに、将来のことを中立的に表現するときは「公算」という言葉を使う。それが正しい日本語である。
 少なくとも「らかす」では、この原則を守っているつもりだ。酔っぱらって間違ったこともあるかも知れないが……。

 本題に戻る。

 妻女の通院日は、私の散髪デイでもある。
 前橋日赤で妻女は、医者の診察を受ける少なくとも1時間半前には採血をする。そのデータを元に医者が面接して診断する。つまり、妻女を前橋日赤までお送りした私には、何もすることがない時間が2時間ほどある。病院内で読書をしていてもいいのだが、右を見ても左を見ても病んだ人ばかりの院内では、まあ、気分も晴れない。
 だから、この時間を利用して散髪に行く。幸い、前橋日赤のすぐそばに、丁寧に髪を刈ってくれる理髪店が見つかった。4週に1回は、ちょうどいいリズムでもある。

 今回は、前回の散髪から3週しかたっていなかったが、この日を見逃せば、リズムが狂って私のお気に入りの理髪店に通うことができなくなる。少しもったいない気もしたが、今回に限っては仕方がない。

 理髪店には先客がいた。おばあちゃんである。えっ、こんなばあさんが理髪店で髪を切る?
 不審に思ったが、そうではなかった。このばあちゃん、ソファーに座りっぱなしで、髪を切る椅子に座る気配はない。そうか、髪を切りに来たのではなく、雑談しに来たのか。近くに住むばあちゃんらしい。

 ために、私はすぐに髪を切るための椅子に案内された。ばあちゃんは理髪店の妻女を相手に雑談を続けている。

 この妻女を呼びに来る人がいた。妻女が外に出た。数分後、虫かごを持って戻ってきた。

 「トノサマバッタがいたんですよ」

 椅子に縛り付けられた私には見えないが、トノサマバッタを虫かごに入れてきたらしい。ばあちゃんが早速口を開いた。しゃべりたくてたまらないらしい。

 「あら、こりゃあ、土色をしているね。バッタって、青というか、緑色してるもんじゃない?」

 だけど、これはこんな色してるんでですよ。

 「ふーん、こんな色のバッタ、見たことないねえ。珍しい。バッタって緑色だよね、普通。どうしてこんな色のバッタがいるんだろ?」

 さあねえ。こんなのもいるんじゃないの。

 「だけど、見たことないよ、私」

 妻女との雑談が続く。雑談とは、どうでもいいことを、ああでもない、こうでもないとしゃべり続けることである。
 見かねた、というか聞きかねた店主が、私の髪をハサミで切りながら口を出した。

 「バッタって、子供を産む時期になると色が変わるんじゃない?」

 なかなか科学的な知見である。この店主、教養豊かか? だが、ばあちゃんは動じない。
 
 「いや、私もね、バッタって  沢山見たけどね。こんな色したヤツはいなかったよ。珍しいよ、これ」

 ばあちゃん、あんた人の話聞いてるンか?

 「あのさあ」

 ばあちゃんが、突然話題を変えた。

 「私、イナゴはずいぶん捕ったけどね。あれ、食べるんだよ」

 ま、雑談である。連想ゲームでイナゴに話題がうつってもいい。

 「イナゴは食べるけど、バッタは食べないよね。イナゴは美味しいけど」

 理髪店の妻女が口を挟んだ。

 「イナゴが食べられるんだから、バッタだって食べられるんじゃないですか?」

 ばあちゃんが即座に反応した。

 「バッタを食べる? 冗談じゃない! イナゴならいいけど、バッタを食べるなんて気持ち悪いよ!!

 おいおい、ばあちゃん、イナゴとバッタってそんなに姿形が違うか? イナゴは食べても平気だけど、バッタは気持ち悪い? うちの瑛汰なんて、イナゴもバッタも、どっちも気持ち悪いっていうぞ!

 「ねえ、イナゴを食べる人は沢山いるけど、バッタを食べる人って聞いたことないよね」

 あのさあ、イナゴを食べるのはタンパク源が少なかった山間部での知恵なんだよね。昆虫の中で一番美味そうだったから食べたわけではないと思うよ。
 バッタだって食べた人はいるでしょう。ただ、群れているので沢山捕獲できるイナゴと違って、バッタは一度に沢山捕獲できない。だから食用として定番にならなかっただけじゃない?

 鏡の前の椅子に縛り付けられ、鋭い刃物を首筋に当てられながら、私は頭の中でばあちゃんに反論する。もちろん、言葉になって口から出ることはなかったが。

 そうやって聞き耳を立ていると、ばあちゃんはいった。

 「バッタなんて食べないよ、気持ち悪い!」

 そう断言すると、気分が晴れたらしい。

 「それじゃあ、また」

 といって、ばあちゃんは店を出て行った。
 
 世の中、平和である。
 平和が続いて欲しい。
 ばあちゃん、またな! 

 

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