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 2010年9月13日 生徒会長選挙

 中学2年の秋だった。

 「安堂君、君が生徒会長になりなさい」

 強面で通っていた国語の河野先生に職員室に呼ばれ、そう言い渡された。この先生、竹の節のところを2cmほどそのまま残し、残りの部分を削ってパイプ型にした器具を、いつも胸のポケットに入れていた。悪童を見つけると、

 「ちょっとおいで」

 と優しい声で呼びつけ、パイプの細い方の先端を指で持ち、反対の節の部分でおでこをしたたかに打った。

 「痛てっ!」

 悪童が飛び上がるのを何度も見た。成績優秀な模範生であった私は、幸い、一度も呼びつけられることはなかった。だから、その痛さは想像するだけである。
 いまなら暴力教師である。が、当時は誰もそう思わなかった。悪いことをする。制裁を受ける。そんな当たり前の判断が世の中に存在した。
 にしても、私が生徒会長?

 考えたことも、もちろん望んだこともなかった私は当惑した。河野先生はいった。

 「君が生徒会長にならなきゃいけないんです」

 太宰治が大好きで、学生時代は著書を抱きしめて寝た、と自分で語ったロマンチストである。それはどうでもいいとして、でも、河野先生にそういわれたら、何故私が? といぶかっても、断るすべは中学2年の私にはない。
 それに、私が生徒会長? 生徒のリーダー? 考え始めてみると、何やらかっこよく思えてくる。

 「分かりました」

 校内に張り出すポスターを作った。立ち会い演説会の原稿を推敲した。さて、何を訴えれば生徒会長に当選できるか?
 必死で考えたのだと思う。だが、一言半句も記憶していないところから見ると、たいした原稿ではなかったらしい。きっと、頭だけで考えた生徒の自治だとか非行化防止だとか、よくよく考えてみたこともない、できそうにもないことだが、そういう主張をすることが正しい生徒のあり方であると教え込まれていた政策を並べ立てたのに決まっている。
 自分の頭で考えぬ優等生。だから河野先生の御推挙を受けたのかも知れないが、私は反省する。詰まらぬ中学時代を過ごした。

 さて、立ち会い演説会の当日。体育館の演台で、私は原稿用紙にまとめた原稿を前に、全校生徒に訴えた。
 だから、私に投票しなさい。私に任せなさい!
 うまくいった。皆、真剣に聞いてくれた。これで私が生徒会長……。

 対立候補が演壇に立った。これまで付き合ったことのない男である。金森君といった。

 「皆さん」

 金森君の演説が始まった。

 「私はこれまで、14年と3ヶ月、独身生活を貫いて参りました」

 ん? 中学校の生徒会長選挙と、独身生活? 中学2年の俺たちが独身であることは当たり前ではないか? こいつ、馬鹿か? そんなお前が俺と張り合うって? みそ汁で顔を洗ってで直したら?

 だが、次の瞬間、私は予期せぬ情景を見た。
 場内が笑い転げたのである。神聖なる生徒会長選立ち会い演説会で、有権者が笑い転げる!
 私は、何だか違った宇宙に迷い込んだような気がした。

 間もなく、投開票が行われた。
 金森君が当選した。私は次点だった。

 おいおい、票って笑いかよ?

 その後金森君から、生徒会を手伝って欲しいと申し出があった。漫談家の手下になる? 迷ったが引き受けた。一緒に仕事をしてみると、舟木一夫と三田明が大好きで、ところかまわず身振り手振り付きで歌い出す金森君は魅力的な男だった。彼の家に遊びに行ったら、書棚に「チボー家の人びと」が並んでいた。少年の必読書といわれた本だ。読んだこともない本だった。金森君は決して漫談と歌謡曲だけの男ではなかった。勉強家で努力家で読書家だった。すっかり仲良くなった。
 なのに、チボー家の人びと、いまだに読んでいない。ある時期を過ぎると、恥ずかしくて読めなくなる本がある。

 その後金森君は、あまり豊かでなかった家計を早く支えたいと思ったのだろう。高等工業専門学校に進んだ。そのうち付き合いは途絶えたが、いまでも元気でいるだろうか?


 突然の昔話を許されたい。民主党の党首選の報道にさらされて、ふと思い出したのだ。私が落選したとはいえ、あのときの生徒会長選の方が、いまの民主党首選よりも遙かにましだったのではないか?

 生徒会長選は、所詮子供の世界である。そもそも、生徒会長とは何をしなければならない役職なのかも不明確だ。各候補者の間に路線の対立もなく、利益誘導する知恵も、資金もない。
 詰まるところ、民主主義という制度を子どもたちに教える実践教育に過ぎない。我々は、民主的リーダー選出のまねごとしたに過ぎない。

 が、民需党首選は違う。当選した方が次の首相になる。日本の最高権力者を決めるための選挙である。
 有権者は国会議員、地方の民主党議員、そして民主党員。いってみれば、全員が政治を志した人びとばかりである。民主主義の学校は卒業したはずの人ばかりである。

 にしては、レベルが低すぎないか?

 何故菅なのか?

 小沢さんでは、政治と金の問題で国会審議が進まない。
 首相を来る来る取り替えるのはいかがなものか。

 おいおい、それは菅を積極的に押す理由じゃないだろ? 

 何故小沢なのか。

 小沢さんは冷徹だから。
 今の時代、小沢さんの豪腕が必要だ。

 おいおい、あんたらは指示待ち族か? 自分の頭では何も考えず、小沢の指示に従って粉骨砕身したい、ってか?

 いま必要なのは、日本の現状の冷静な分析と、それに対する処方箋の提示であるはずだ。私は、それを次の首相に望む。
 なのに、残念ながら、それは2人の候補のどちらからも聞けない。取り巻きからはそんな問題を考えている空気すら感じ取れない。

 この人たち、日本をどうしようというのだろう?

 ま、世の中というのは、本当に必要なときは、本当のリーダーを生み出すという。してみると、日本はまだ、本当には困っていないのだと、ため息混じりに楽観せざるを得ない。


 さて、我が家である。我が家はピンチである。

 入院中の長女は、薬で子宮口が開くのは抑えていて、経過も順調である。だが、同時に前置胎盤であると診断された。開業医では出産できず、設備の整った総合病院で、しかも帝王切開での出産となる。たとえ四日市に戻ることができたとしても、掛かり付けの産院での出産はできない。
 これを受けて長女は、

 「この病院で産みたい」

 といっているそうだ。居心地がよほどいいのか。まあ、それはいい。

 これもピンチだが、さらなるピンチはベースキャンプにある。横浜の我が家、いまは次女一環が住む家である。この家にいま、次女一家のほか、長女の長男である啓樹が同居し、さらに私の妻まで住み着いている。

 先週から、次女の長男である瑛汰は幼稚園に通い始めた。が、啓樹の幼稚園は四日市にある。横浜からの通園は不可能で、いまだに休園したままである。
 瑛汰が幼稚園に出かけたあとは、ばあばとおばさんとおじさん、それに生まれたばかりのいとこがいる家にいるしかない。それだけでもストレスである。ママ、パパと一緒にいられない現実がストレスをさらに強める。

 いくら仲がよくても、相手への思い遣りを知らない年代の同居生活は、いつしかとげとげしさが寄り添う。啓樹と瑛汰はその段階にさしかかりつつあるらしく、

 「よく喧嘩してる」

 とは妻のレポートだ。
 瑛汰は本拠地にいる。啓樹はアウェイで喧嘩せざるを得ない。ストレスは倍加する。
 あわせて、啓樹にぜんそく発作の兆しがあるという。

 ふむ。

 レポートをしてくる妻も、熱が出たり引いたりの半病人である。

 「体力がなくなったわ」

 というのが本人の申告で、できるだけ早く桐生に戻りたいのだという。角を突き合わせてばかりいる亭主でも、娘夫婦、孫3人との同居より体も心も安まるものらしい。

 子供の面倒を見、病院に姉を見舞い、病がちの母を支えと、ほぼ1人で奮闘する次女も疲れ気味だとのこと。それはそうであろう。

 妻から、できるだけ早く横浜に来てくれとの泣きが入った。仕事のスケジュールをにらみながら、

 「木曜か金曜から、俺が行こうか?」

 と昼過ぎに電話をした。次女が出た。

 「いいわ。お姉ちゃんの旦那さんが明日仕事でこちらに来て、ひょっとしたら休みを取って金曜日か土曜までいるといってたから、お父さんが来るのは土曜日でいい

 私は必要とされているのか、いないのか。
 いずれにしろ、ピンチである。フォーメーションを整えて乗り切るしかない。

 長女の出産予定は20日ほど早まり、10月6日とのこと。まだ20日以上先である。

 我が家には当分、緊急事態が続く。私には、いつでも仕事を放棄して必要な場所に駆けつけるフリーハンドを確保する工夫が必要である。

 

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