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 2010年3月13日 死

 やれやれ、世の中というのは、酒を飲んでギターを弾いて、たまに車を洗って寝る前に本を読むだけではうまくいかないものらしい。
 でも、ほかに何をしたらいいというのか?

 そうぼやきたくもなる辛い死に出会った。
 亡くなったのは、会社の先輩である。入社する前からお世話になった。

 ある人の紹介で、福岡の支社に出かけた。学生時代の話である。小柄で、くりくりした目が生き生きと動く人だった。

 「安堂君、いうたね。何でこんな会社に入りたいの?」

 会うなり、パンチが飛んできた。さて、どんな返事をお返ししたか、記憶はおぼろである。おそらく、私が選びたいのは会社ではない、仕事である。そして、その仕事をするのなら、最高峰にあるこの会社しかない、というようなことをいったのではなかったか。

 「そらな、確かに君のいうことはわかるわ。俺かて、同じようなこと考えてこの会社にしたんや。でもな、下らん人間がようけおる会社やで」

 何でも、この先輩は転勤願いを出したのだという。すると、同期入社の人間が次々と電話をかけてきた。

 「お前、何であそこを希望するんや、いうてな。何かあったんか、いうんや。俺の希望先は、社内でいえば絶対に出世せんところや。あそこに行って役員になったヤツ、1人もおらん。でもな、仕事は最高に面白いと思て希望を出したんや。別に偉くなりたいとは思わんしな。そういうたら、相手が喜んどるのが電話でも分かるんや。ああ、これでライバルが1人いなくなった、いう感じやな。うちの会社、そんな奴らの集まりや。安堂君、それでもええんか?」

 それでもいい、と返事をした。周りがくだらなくても、私が下らない男にならなかったらいいんでしょう。

 受験した。幸い通った。電話で知らせた。

 「そうかあ。そらよかったなあ。どうや、安堂君、今日は暇か? 今晩お祝いしたるわ。若手も連れて行くから」

 博多・中州に出かけた。飲む相手は、全員がやがて先輩になる人ばかりである。いささか緊張しながら酒を飲んだ。
 時間がたつに連れて人が増える。仕事を終えた将来の先輩たちが、次々と合流してきたのだ。

 「ほな、次行こうか」

 時計の針はとうに午前0時を回っていた。全員でスナックのようなところに転げ込んだ。
 
 さて、この人たちは、私を祝ってくれているのだろうか? 徐々にもうろうとしてくる頭脳で、そんな思いが強まった。
 この夜の主役は私のはずである。だが、集まってきた人たちにはまったくそんな意識が見えない。仲間に入れてもらうことになりました、と挨拶しても誰も関心を払わない。私に祝意を表するそぶりはまるでなく、それぞれの会話に熱中している。

 「だいたいなあ、最近、文学が衰退しとると思わんか?」

 「そうや、戦後文学が一段落して、いまの作家たちは方向性を見失ってる」

 「そんなことはない。○○の△△を読んだか? 読んでない? あれを読まずに文学の衰退など語るな!」

 文学論が始まったのは、午前1時を回っていた。ついて行けない議論を耳にしながら、いい会社に入ることになったと嬉しくなった。午前1時過ぎに、文学論で口角泡を飛ばす連中に悪人がいるはずがない。

 「先輩、やっぱりいい会社じゃないですか」

 招いてくれた先輩に、動きが怪しくなった舌を駆使していった。

 「そうかあ、でも、こいつら、絶対偉くならへんで」


 ご長男の話を聞いたのは別の機会だったろうか。

 「息子が生まれてな。『まほろ』って名前を付けたんや。君、まほろ、って知ってるか?」

 知るわけがない。

 「素晴らしいところ、という意味や。古事記に出てきてな。倭健命(やまとたけるのみこと)が『倭(や まと)は 国のまほろば たたなづく 青垣(あおがき) 山隠(やまごも)れる 倭(やまと)し うるはし』と歌ったことになってる。まほ、って真秀と書くらしい。そこから取ったんや」

 こういう人を教養人という。 倭健命といえば、三船敏郎が演じた東宝映画(確か、「日本誕生」?)しか知らなかった私は、ただ黙るしかなかった。


 残念ながら、先輩と一緒に仕事をする機会はなく、時折会社で顔を合わせ、数回酒を飲んだ。その程度の浅いお付き合いが続いた。

 「安堂君、君は彼のことを知ってるんだって?」

 3年ほど前、私に声をかけたのは上司の常務さんだった。

 「俺、あいつと同期で仲いいんやけど、あいつガンで入院しよってなあ。退院して時々会社に来とるらしいんやが、君、あいつの時間を取ってくれへんか。一緒に飯を食いたい」

 初耳だった。先輩に会った。ガン、だったんですって?

 「おお、そうなんよ。幸い、手術はうまくいってな」

 でも、その割にはずいぶんふっくらされて。

 「それがな、手術後、食事制限があったんよ。でも、果物はいい、いうんや。俺、果物好きなんや。医者が果物はいいというし、腹は空くし、とにかく果物を食いまくったのよ。そしたらさ、体はこんなになるし、おまけに糖尿病になってしもてな。ガンの手術で入院して、入院中に果物の食い過ぎで糖尿になった、いうんは俺だけやろな。果物も体にいいだけやないで」

 で、糖尿は?

 「おお、これも食事制限でな。何とか正常値に戻ってきたわ」

 数日後、3人で寿司を食った。まだ酒を飲むのは控えているという先輩に、健康を回復したら一緒に飲みましょうと持ちかけると

 「おお、そらええな。やろ、やろ。しばらく待っとってな。飲めるようになったら連絡するわ」

 と明るい声で話していた。

 連絡は来なかった。飲み会は実現せず、1年前、私は東京を離れて桐生に赴任した。そして今日、訃報に接した。
 63歳。死因は転移性肝臓ガン。

 にしても、だ。社内だけを見ても、あんな連中がのうのうと生き残って権力を振るい、惜しい人が先に行く。
 世の中はままならないものである。

 冥福を祈る。

 

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