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 2010年2月26日 情報公開

 23日の日本経済新聞で、カチンと来る短い記事があった。桐生に来る新聞の4面に掲載されていた

 「役員報酬の個別開示 東証社長『慎重に』」

 というタイトルのコラムである。
 それによると、東京証券取引所の斉藤惇社長が22日の記者会見で、金融庁がやろうとしている企業役員の報酬を個別開示せよ、つまりそれぞれがいくらもらっているかを公開しろという案について、

 「慎重な議論がないと取り返しがつかなくなる」

 と持論を述べたのだという。以下、このコラムに出てきた斉藤なる人物の発言は以下の通りである。

 「企業の情報開示を拡充するという意図には賛成する」

 「何のために開示を求めるのか説明する必要がある」

 「単に報酬額だけをみて社会的な批判や後ろ向きの見方が出るのは好ましくない」

 「個人情報保護の流れにも矛盾する」


 この記事に取り上げられている発言は、記者会見から記者が拾い上げたものだけである。まさか記者会見が、たったこれだけの発言で終わったとは思えないが、いかんせん、我々に全貌を知るすべはない。記者がすくい上げた発言だけで考えざるを得ない。

 という姿勢でこの記事を読んだ私は、

 「斉藤とは、とんでもないヤツだ」

 と断言する。この人、この程度の理屈で国民の納得を得られると思っているとすれば、国民をなめきっているとしか思えない。

 このおっさんの議論の進め方の狡猾さは

 「単に報酬額だけをみて社会的な批判や後ろ向きの見方が出るのは好ましくない」

 というところにある。

 「単に報酬額だけをみて」

 という前提を設けることで、本来は広々している世界を小さく矮小化し、その矮小化された世界の中ではこういう結論になる、という話の進め方だ。実は、彼が切り捨てた世界の方がよほど広くて沢山の判断材料がある。本来ならばそれもあわせて考えないと正しい結論には至らないのに、聞いている方はいつの間にか矮小化された世界に閉じこめられ、思わず

 「ああ、そうだな」

 と頷いてしまう。ディベート術に長けているといってもいい。

 おっさん、よく聞け。俺たちは報酬額だけを見て、

 「こいつ、1億円を超える年棒をもらってるのか。けしからん!」

 などと怒るのではないぞ。
 ま、確かに、

 「俺は真面目に働いているのに、手取りはたったこれだけ。なのにあいつら、仕事らしい仕事は何もせず、美人秘書がついて運転手付きの車を乗り回し、夜は会社の金で料亭って、いったい何様なんだ? 挙げ句、給料は俺より遙かに多い。ふざけんな!」

 と僻む輩もいる。時には、私だって己の財布をのぞき込んで僻んでしまう。妬みとは人間が持った生まれた感情だから、それは仕方がない。

 だが、議論のベースを僻み、妬みまで落としてしまったのでは、床屋談義と何の変わりもない。おっさん、あんたは床屋談義をしたいのか?

 では、企業の役員報酬はなぜ開示されなければならないか?

 米国で、サブプライムローン問題をきっかけに金融機関の破綻が相次いだ。そこで浮かび上がったのは、巨額の役員報酬だった。リーマン・ブラザーズの最高経営責任者は数年まとめて4億8000万ドル(約435億円)、メリル・リンチの最高経営責任者の退職金が1億6000万ドル(約150億円)……。おいおい、俺の生涯賃金の何倍、何十倍、何百倍だ? 米議会で明らかになった数字に唖然とした人も多いはずだ。

 こうした巨額の役員報酬を支払うため、破綻した金融機関は目先の利益を追い続けた。そのために開発されたものの1つが、サブプライムローンという、危険極まりない金融商品だった。何のことはない。一部の経営者に天文学的な報酬を支払ったために、米国の金融破綻が起きたともいえる。

 金融機関ばかりではない。破綻の縁に立った自動車会社GMの最高経営責任者の年俸が8億円。政府の命令で半分に減らされれるらしいが、それでも4億円だ。同時に米国政府が年俸削減を命じたのは175人に上る。

 米国のジャーナリスト、デイヴィッド・ハルバースタムに「覇者のおごり」という著書がある。日米の自動車産業史を書いたもので、その中に強く印象に残っているエピソードがある。
 1960年代初め(だったと思う)、経営危機に陥ったフォードは、ロバート・マクナマラを社長にする。フォード家以外からの社長就任は彼が初めてだった。
 マクナマラはその後、急速にフォードの経営を立て直し、名経営者の名をほしいままにする。その後、乞われてケネディ政権の国防長官になるが、それは別の話だ。

 ハルバースタムによると、マクナマラの経営再建策は、徹底した設備投資削減だった。工場の機械は古くても何とかなだめればしばらく使い続けることができる。研究開発投資も、減らしたからといって目先の収益に響くわけではない。マクナマラ社長時代は、こうしてともかくも車を作り続け、コストが減った分だけ利益が増えた。
 フォードはとりあえず危機を脱する。が、マクナマラが去ってみると、フォードの工場は老朽設備で埋まっていた。これではもう、車を作り続けることはできない。そして、新車開発にも遅れが目立ってきた。競争力の劣化、巨額の設備資金負担として再びフォードの経営が圧迫されたのは間もなくだった。

 四半期ごとに業績が評価される米国の企業社会で、経営者は四半期ごとの業績の責任を問われる。勢い、目先の利益を追う。自分の在任中だけ業績が上がればいいのである。あとは野となれ山となれ。目先だけでも業績が上がれば、報酬額も増える。そんな経営者たちが巨額の報酬を受け取りながら、いまの米国の自動車産業の衰退を招いた。

 ここでも、自動車産業の経営者たちの報酬が公開されていたらどうだったろう? 売り上げが振るわず、日本メーカーに抜かれ、ついには政府に救済を頼み込むという流れができる前から経営者たちの報酬が公開されていたら?
 違った力学が働いて、ここまで米国メーカーが落ちぶれることはなかったのではないか?

 米国では、1965年に24倍だった最高経営者と労働者の報酬格差が、89年には71倍に拡大、2005年には、何と262倍にまで広がったそうだ。労働者の年収を500万円とすれば、最高経営責任者の年収は、何と13億1000万円である。262年も働き続ける労働者はいないから、労働者は一生働いても、最高経営責任者のわずか1年分の報酬にも、絶対に届かない。
 にしても、だ。平均的な労働者の262倍も働くことができる人間って、いったいなんだ?

 確かに、これだけ格差があれば隠したくもなるだろう。何故私があなたの262倍の報酬を得る資格があるかを説明するのは至難の業だ。
 だが、隠さねばならないほど巨額な報酬を得る一部の人たちと、隠したくても隠せるお金がないその他大勢が同居する社会に、できれば私は住みたくない。そんな社会で犯罪が多発するのは仕方がないとも思う。
 偉いさんたちの報酬を公開する社会になれば、格差は説明可能な範囲にまで縮まるように世の中が動き、より安定した社会になる。と考えるのは楽観論過ぎるだろうか?

 ちっとばかり難しい話にしてしまった。読みにくかったらお許しを。論理の破綻には温かい目を。

 そうそう、報酬の公開に賛成する以上、私の収入を公開しておく。

 月収基礎額:14万円
 時間外手当:2万円(やってもやらなくても)
 ボーナス:15万円×2回

 以上である。年金が一部支給されているのと、現役中、お節介な会社が

 「年金が満額支給される年齢までのつなぎ資金」

 として半強制的に貯蓄させられた資金から毎月払い戻される金で、何とか暮らしが成り立っている。
 以上である。私は、公開しても恐れるものは何もない。それより、日々の暮らしで、財布が空になる方が遙かに恐ろしい。

 

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