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 2010年2月4日 不起訴

 小沢さんが起訴されないことが決まった。
 数日前から、朝日、共同通信がそのような記事を流していた。今日はすべての新聞が書いた。

 しかし、この国はどうなっているのだろう?
 一連の小沢捜査を概観すると、そんな思いを強くする。

 検察とは、最も恐ろしい権力の1つである。何しろ彼らは、国民の自由を奪う権限を持つ。これに並び立つ恐ろしい権力は、国民を戦場にかり出す徴兵権限を持つところしかない。いまの日本には徴兵制はないので、検察は最も恐ろしい役所である。

 もちろん、それは社会が自分で自分を正すために組み込んだ凶器なのだが、凶器が暴走すると手がつけられれない。強大な権力は、その権力がまっとうに行使されているかどうかの監視は欠かせない。その役割が、実はマスメディアに求められているのではないか。

 しかし、今回の騒動を見る限り、マスメディアのほとんどは失格である。検察の権力行使に対して異を唱えたのは、そこまで行かなくても疑問を呈したのは、私が見た限り、週刊朝日東京新聞しかなかった。
 ほかのメディアは、検察の尻馬のにって小沢さんを叩き続けた。小沢さんを天下の極悪人に仕立て上げるお先棒を担いだ。

 「検察のリークで書いたわけではない。独自取材で書いたのだ」

 とどこかのメディアが弁解していた。にわかに信じがたい話だが、100歩譲ってそれが事実だとしたら、取材した記者、それを掲載したメディアは自らの手で罪なき人を罪人にしようとしたことになる。その罪は、検察のリークを垂れ流すのと同様に重い。自らの暴走とノータリンを恥じるべきである。

 いまメディアがしなけれなならないことは、何故自分たちの報道が偏ってしまったかを検証して己の不明を明らかにし、読者に詫びることである。
 とは思うが、その期待に応えてくれそうなメディアは思いつかない。きっと、口をぬぐって黙り込んじゃうんだろうなあ。

 そういえば、

 「嫌疑不十分で不起訴ということは、嫌疑がないということではない」

 とマイクに向かってしゃべっているアホ議員がいた。
 ちょっと待て。検察が持てるだけの権限を総動員し、微に入り細を穿つ捜査を強行したのに起訴できるだけの材料がでてこなかったってことは、小沢さんはシロであるということではないのか?
 ねえ、あんた。検察が疑わしいと判断した人は、必ずクロなのか? 検察は常に正しいのか? 検察ににらまれたら逃げられないのか?
 暗黒の検察国家、検察の意に添わぬ国民はすべて犯罪者として自由を奪われて社会から隔離されてしまう検察管理社会を、こんなアホな発言が招いてしまう恐れがあるとは、このアホ議員、考えないのか?
 こんな貧困な考え方しかできないヤツが、どうして国民の代表になっているのだろう?


 誤解があるといけないので、あえて書いておく。
 私はこの間、一貫して小沢さんを擁護してきた。検察のリークに乗って小沢さんたたきを続ける新聞、テレビに異を唱えてきた。
 だがそれは、小沢さんを守るためではない。1人の人間から自由を奪い、権威を失墜させ、信用を失わせるに足る容疑が、報道されている限りでは薄いと判断したからである。あやふやな材料で1人の人間がバッシングされる社会は歪んでいると思ったからである。
 こんなことが通用したら、検察が世の中のすべてを自由に操ることができる。私は、そんな社会で生きたくない。
 だから、

 「ああ、やっぱり小沢さんはクロだ」

 と納得できるデータが示されたら、いつでも判断を替える用意はあった。悪いことをしている人はそれなりの報いを受けてもらわなければ困る。
 それが、一貫した私の考えである。

 大山鳴動して鼠三匹。しかし、その三匹にしたところで、有罪になるのかどうか。
 検察の威信は地に落ちた

 次は、検察が丸裸にされるべきである。検察とはどのような組織なのか。何故に無理筋の小沢捜査に手を染めたのか。なぜ取り調べの可視化に抵抗するのか、検察の裏金作りはいまどうなっているのか。

 水に落ちた犬は、とにかく叩く。今回の小沢報道でも見えたマスメディアの習性である。
 いま、検察は水に落ちた犬だ。いつもの習い性で検察叩きに突き進むマスメディアは出るのか?

 出てこなければ、マスコミとは検察のリークに乗ってお先棒担ぎを務めることに血道を上げる無責任集団に過ぎない。そんなもの、有害無益である。
 ジャーナリストを自称している皆さん、そうは思いません? 


 本日は、久しぶりに散歩をした。約1時間、市内を歩き回った。途中で質屋さんによってカメラ用の三脚を買った。
 歩いた日は、心地よい疲れを感じる。
 巣も歩こう!

 

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