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 2008年12月6日 私と暮らした車たち・その17 ゴルフワゴンの2

 「欧州車に乗るなら、グリーンを選ぶべきである」

 何故か記憶に残っているフレーズだ。ずいぶん昔、「漫画アクション」のコラムで読んだ。コラムのタイトルも筆者も記憶にないが、

 「なぜ日本人は白い車に乗りたがるのだろう? 右を向いても左を見ても、走っている車の大半は白である。だが、白い車に乗っている人達は知っているのだろうか? 車の塗料で一番安いのは白だということを」

 などと、一般人ではほとんど知り得ない業界情報を使いながら、消費者の阿呆な選択に異を唱えるコラムだった。
 ちなみに、そのコラムで書かれていた一番高い車用塗料は黄色である。単価は白い塗料の4倍するとあった。なあ、みんな。利益を追求する自動車メーカーはコストが一番安い白い車をみんなが選ぶように誘導するんだぜ。あんたもうかうかとその誘導に乗るのかい?

 「俺は、俺の意志で白を選んだのだ。人にとやかくいわれることはない。よけいなお世話だ」

 と反発する人も多いだろう。いまでも、白は一番ポピュラーな車の色である。下取り価格もいいらしい。まあ、白を選ぶ人が多ければ、白い中古車が高くなるのは需要と供給で価格が決まる市場では当然である。
 だけど、あなたの好みは、本当にあなたの中から生まれた好みなのだろうか?

 いま、奈良時代の下ぶくれの美女、平安時代にのひき目かぎ鼻の美女を見て、美しい女と思う男がどれほどいるだろう。江戸時代にもてはやされた柳腰の美人がいても、

 「女はもう少し出ているべきところが出ていないとなあ」

 と断言するのが現代の男である。
 人の好みとは、時代の産物なのだ。
 ねえ、あなたは本当に白い車が好きなの? 自動車メーカーのキャンペーンで白い車が好きになるように誘導されちゃったんじゃないの? 彼らは多額の宣伝費を使って時代を作るからねえ……。

 ちょいと脇道にそれすぎた。いずれにしても、私は一度も白い車を選んだことがない。漫画アクションのコラムを読んだからかも知れない。単に、ほかの人間と同じじゃ嫌だ、という目立ちたがり屋なのかも知れない。

 その同じコラム氏が、欧州車に乗るならグリーンを選べと書いていた。それは、頭のどこかにずっと引っかかっていた。
 私は、コラム氏の教えてくれたデータに従って、最初のゴルフを最も塗料が高い黄色にしたのではない。あれは、それしかなかったから黄色のゴルフになっただけだ。
 だが、今回はこの色しかないと思い決めて濃緑のゴルフワゴンにした。ノーマルのゴルフでは濃緑はそれほど生える色ではない。だが、ワゴンになると、

 「この色しかない!」

 という魅力的な色になる。それほど、濃緑のゴルフワゴンは私の心を鷲掴みにした。

  golfwagon

 それなのに。
 いま、この濃緑のゴルフワゴンを書こうとしているのに、この車にまつわる思い出がほとんどないことに気が付いて唖然としている。私は濃緑のゴルフワゴンと、どんな時間を過ごしたのか?

 「いや、あのころ付き合ってた女の子がいてさ。ドライブに誘って助手席に乗っけたら『いい色ねえ。父が車を買う時に、グリーンにしなよ、って主張したんだけど採用してもらえなくて。やっぱ、グリーンにしておけばよかったんだわ』なんていわれてねえ。で、2人で富士に行こうって話になって。『安堂さん、運転上手いのね。私も運転してもらおうかしら』なんてことになっちゃってさ」

 などという話を書きたい。が、書けない。残念至極である。


 長男より2つ年下の長女が大学に入って免許を取り、はじめてハンドルを握ったのがこの車だった。一緒に車で出かける時は、できるだけ長女にハンドルを握らせた。安全な運転の伝授のためである。免許取り立ての長男のようにドアを凹ませてもらっては困る。

 当時、長女は大学生だった。毎日朝から大学に通うとは限らない。午前中が暇な日は、出勤する私を川崎駅まで送らせた。私を降ろしたあとの帰りが不安だが、まあ、それは生き受けるべきリスクである。我慢して運転させた。
 本人も、こわごわ運転したはずである。

 最初は不安だった。対向車が来るとハンドルを握る指に力が入る。おいおい、そろそろブレーキを踏めよ、と思っても右足はアクセルの上にある。もうウインカーを出すタイミングだぜ、と口で言っても交差点の5m前まで出さない。彼女が運転するゴルフワゴンの助手席で、私は半分前を見ながら、半分は彼女の足元を見ていた。右手は、いつでもサイドブレーキを引けるように準備していた。

 だが、しばらくすると彼女のハンドルさばきは実にスムーズになった。対向車が来ても力みはなく、ブレーキのタイミングも間違いがない。車幅感覚も身につけたようで、さわやかにハンドルを操る。安心して助手席に乗っていられた。ウインカーを出すタイミングだけは相変わらず遅かったが。
 長女は、わがドライビングスクールの優等生である。

 に比べて、次女は運転がなかなか上手くならない。実績は「らかす日誌 2007年1月13日 ドック入り」をお読みいただくとして、彼女はハンドルを握っている間、緊張のしっぱなしだ。体がシートの背もたれから浮いていることでもそれが読み取れる。
 長女は国立音大ピアノ課に進んだピアノ弾きである。運動神経がそれほど発達しているとは思えない。次女は中学で陸上部に所属し、短距離のランナーであった。運動神経なら、長女の数倍優れていると思われる。
 なのに、ドライバーとしては長女が優れる。運動神経とドライバーとしての神経は似ているようで違ったものなのであろうか。
 ちなみに2人とも、

 「私がハンドルを持ったらぶつけないはずがないじゃない」

 と恥ずかしげもなく言ってのけ、いまだに運転免許とは完全に無縁のから生まれたのであるが。


 という程度のことしか思い出さない。私は濃緑のゴルフワゴンと、どんな時間を過ごしたのか?

 いくつかの原因がある。
 優先使用権は私にあるとはいえ、長男との共同所有車であった。長男は半分しかない所有権をフルに使った。

 「お父さん、今週の土日、車使う?」

 まあ、土日というのは、それほど予定があるものではない。

 「友達と泊まりがけで遊びに生きたんだけど、いいかな?」

 ダメという理由は見いだせない。
 かくして、私は平日は仕事で車を使えず、週末は長男が車を持ち出すので車を使えない。これでは、思い出ができるはずがない。

 子供たちの年齢構成もそれに輪をかけた。長女が大学生、ということは4つ離れた次女は中学生から高校生のころである。
 親父が、一番胡散臭く見える年頃である。
 ために我が家から、家族で動くという行事が一番廃れた時期でもある。家族で動けば、当然車を使う。運転するのが誰であれ、思い出はできる。が、家族で動かなければ思い出はできない。
 濃緑のゴルフワゴンを使って家族で動いたのは、伊豆に旅行に行ったぐらいではなかったか。


 だが、思い出が少ないということと、印象が薄かったということは、全く別のことである。思い出はあまりなくても、この車のすばらしさだけはいまでもはっきりと記憶にある。私はこの車に、心から満足した。

 ある日、出張帰りで夜の10時過ぎに新幹線の新横浜駅に着いた。長男に、駅まで迎えに来るようにいってあった。ここから家に帰るタクシー代は3500円前後である。それを惜しむ気持がなかったとはいわない。だが、タクシーに乗るよりゴルフに乗りたかった。

 仏頂面をして迎えに来た長男が運転するゴルフワゴンの助手席に収まった。改めて、いい車だなあという気持がわき起こってきた。

 絶妙の座り心地を楽しませてくれるシート。アコードでは、どう座ってもほんの少しの違和感が残った。
 広くもなく狭くもない車内。これに比べればアコードは広かった。だが、広すぎる車内というのは何となく落ち着かないものだ。
 ダッシュボードの高さもちょうどいい。適度な広さの室内空間と併せて、上手に包み込まれている安心感がある。アコードのダッシュボードは低かった。フロントウインドウがやたらと広かった。広々とした開放感を演出したかったのだろう。しかし演出が過ぎると、何かがあった時に守ってもらえないようで心細くなる。ゴルフに座ると、守られている感じがするのだ。もちろん、車を激しくぶつけてしまえば実は守ってはくれないのかも知れないが。
 エンジンの音が高まり、車が動き出す。加速する。この感じは自分でハンドルを持った方がよく分かる。アクセルを踏み込んだ分だけエンジン回転数が上がり、その分だけ速度計の目盛りが上がる。ああ、この車は俺の指令通りに動いている! この感覚は、運転をしていて実に楽しい。同じ感じを、助手席に座っていても味わえたのである。

 「ゴルフワゴンにして正解だったな」

 新横浜から自宅に向かう道すがら、そんなことを口走ったような記憶がある。長男がどう答えたかは覚えていないが。

 濃緑のゴルフワゴンとの暮らしを楽しんでいるうちに、長男の卒業が迫った。要領が悪い長男の行き先は御殿場である(「らかす日誌 2006年11月22日 息子の結婚」をご参照下さい)。当然、愛しのゴルフワゴンは長男と一緒に御殿場に行く。そういう約束である。
 年明けから、さて次の車を何にしようかと考え出した。しかし、ゴルフワゴンとこれほど充実した時間を過ごしたあとで次の車を選ぶのは至難の業だった。同じ車を、と考えないこともなかったが、それも別の意味でつまらない。

 「おい、我が家に車がないというわけにもいかんだろう。次の土曜日に車を見に行くか」

 妻の声をかけたのは2月に入ってからだった。
 さて、私が見に行った車は何だったのか。それは次回にご報告する。

 ところで、「らかす日誌 2008年11月27日 私と暮らした車たち・その15 アコードの3」で、私の血液からC型肝炎の抗体が見つかったことをご報告した。その中で、2度目の採血でC型肝炎ウイルスの有無を調べていることも書いた。専門的には、HCVコア抗原検査、というのだそうだが、まあ、専門家ならぬ我々が記憶する必要はない。
 私の体を心配してくれたのは身内に限られていたようだが、この場で書いたことにはこの場で決着をつけねばならない。
 昨日、その結果が判明した。それによると、全く正常とのことである。何とかという数値が正常範囲内にあるとのことだった。

 「その検査結果の紙、くれませんか?」

 と医者に言ったが、それは彼らが保管するのだそうだ。私の体に関するデータなのに、どうして私が保有できないんだ?
 とも思ったが、まあ、不安が払拭されたことでもあり、素直に従った。だから、その数値が何の数値だったのかのご報告ができない。メモでもしてくればよかったが、とっさのことでそれも忘れた。ごめんなさい。

 身内も胸をなで下ろしたようだが、しかし、あれか?
 私は、本人が知らないいちにC型肝炎に感染し、本人が知らないうちに、自力でウイルスを撲滅したということか? 
 C型肝炎が発症してインターフェロンで治療中の方もたくさんいらっしゃるだろうに、まあ、なんと立派な免疫力を備えた体を親に恵んでもらったことか。
 
 というわけで、昨日から安心して酒を飲んでいる。一昨日までは不安を抱えながら飲んでいた、というわけでもないが。

 長男よ、ということだ。酒を飲みに来い!

 

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