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 2008年6月12日 女の涙

 書くか、やめるか。しばらく迷った。迷った結果、やっぱり書いておくことにした。

 私は女を泣かせた。大学を出たばかりのうら若き女が、私の言葉で涙を溢れさせた。人目も憚らずに彼女が落涙したのは5月30日、金曜日の夜のことである。

 我が勤め先は近年、バカ丁寧に新人を研修する。私が入社した時は2週間の研修で現場に放り出されたが、いまや研修期間は3ヶ月にも及ぶ。

 おいおい、こんなに長々と手取り足取りしてやらないと、今時の新入社員は仕事に適応できないのか?
 と、心配になる。

 おいおい、仕事って、自分で考えてやってみて、失敗して叱られて、もう一度考えてやってみる。そんなことを繰り返して初めて身に付くもんだよなあ。先輩社員に密着させて仕事ぶりを見させたり、会議室に詰め込んでノートを取らせたりして何の役に立つのかね? 考える必要がない、絶対にリスクがない作業をいくらやらせたって、そんなもん、仕事ごっこ以上のもんじゃないだろ。ままごとをいくらやったって、野菜炒めは作れないぜ!
 と、こんなアホなことを考えた人事の連中を罵りたくなる。

 話が別の方向に進んでしまった。元に戻す。
 事件が起きたのは、そんな新人研修のひとこまでのことだ。

 5月、我が部署では、別の部署への配属が決まっている新入社員6人が研修を受けていた。配属先だけでなく、会社全体を理解するため、というのが建前だ。人事の連中は、我が勤め先は、わずか1ヶ月、自分でリスクも取らずに通り過ぎるだけで理解できる程度の仕事しかしてない部署の寄り集まりだと思っているらしい。だったら、とうの昔に会社は潰れてなくなっているはずである。

 また脇道にそれた。ごめんなさい。

 5月30日夜は、我が部署で1ヶ月の研修を終えた新入社員を慰労して送り出す飲み会が計画されていた。

 「安堂さんも出てくれませんか」

 1週間ほど前、我が部署の研修担当者から頼まれた。

 「研修にはタッチしてないし、新入社員の顔も知らないんだけど、俺も出る必要があるの?」

 「いいんです。我が部署の社内ファンを作るのが目的ですから、とにかく、飲み会に出て頂ければいいんです」


 我が勤め先には、こういう飲み会に使える会社の金がない。すべて自腹である。しかも、6人の新入社員から金が取れる集まりではない。この飲み会の経費は、この飲み会に参加した先輩社員がすべて負担する。つまり、飲み会に参加する先輩社員の数が多ければ多いほど、1人あたりの負担額は減る。
 割り勘要員。まあいいか。出ることにしよう。

 飲み会は会社近くの蕎麦屋で、午後6時半から始まった。4つのテーブルに分かれ、私は一番奥のテーブルに陣取った。前に、新入社員2人が座った。とりあえずの話し相手である。
 生ビールが出、食べ物も並び始めた。とりあえずは乾杯である。そして、飲みかつ食いながら雑談をする。

 「君たち、どうしてうちの会社を選んだの?」

 「もう会社には慣れたかな」?」

 「研修を受けてどうだった?」

 「大学では何を勉強したの?」


 このような質問を、無難な質問という。このような質問を次々にし、

 「ああ、そうなの」

 「へーっ、そんなことやってたんだ」


 などと受け答えしていれば、会話は無難に継続する。何の問題も起きず、やがてお開きとなる。
 が、問題がある。金と時間と体力を使って会話をしているのに、終わると何も残らない。それに、クソ面白くない。第一、私の性に合わない
 が、最初はそんなところから始めるしかない。

 そのうち、目の前に座った女性がたびたび口にするフレーズが、妙に気になり始めた。

 「充実したレクチャーを受けさせていただいて

 「ほんのちょっとしたことですが、仕事もさせていただいて

 「いろんな先輩の方とお話しさせていただいて


 神経に引っかかり始めたのは、「させていただく」というフレーズだった。

 「君さあ、レクチャーも仕事も会話も、なにも君のためを思って親切心でやっている訳じゃないんだよ。会社として、あるいは先輩として、君を一刻も早く役に立つ社員にしようとやってることで、それに対して君が『ありがたいことだ』なんて思う必要はまったくない。レクチャーを受けた、仕事をした、話した、で充分じゃないか。過剰にへりくだられると、嫌みに聞こえることもあるぜ」

 おもわず、日本語の使い方を指導した。このあたりから会話が真剣勝負の気配を漂わせ始めた。

 「でも、私、学生時代にチアリーダーをやらせていただいていて、体育会系なんです。先輩とお話しさせていただく時は、こんな言葉になってしまうんです」

 そのあたりで打ち止めにしておけば、事件は起きなかった。なのに、会話は継続した。

 「もう君は社会人なんだ。先輩を敬う気持ちは大切だが、へりくだりすぎるのはどうかな? それに、君の人格は100%体育会系なのか? 幾分かは体育会系のマインドがあるだろうが、そうじゃない部分だってたくさんあるだろう。人間って、そんなに単純なものじゃないはずだが」

 まだ私には、それほどやばい会話をしているという自覚はない。

 「だって、皆さん、私は体育会系だっておっしゃるんです。体育会系だからお前は大丈夫だって。そうおっしゃっていただけるんだから……」

 「おいおい、君は周りが作った君のイメージに自分を当てはめようってか? やめと、やめろ。君は人前で、ズーッと演技を続けるつもりか? それは疲れるぞ。もっと本当の自分を出した方がはるかに楽だよ」

 「だって、ホントに皆さん、私は体育会系だって……」

 彼女の目に水滴が浮かんだのは、この時である。えっ、この娘、泣いてる……。何で? おれ、何か酷いことを言った? 当たり前のことしかいってないと思うが。
 突然彼女は席を立った。 30分ほど戻ってこなかった。戻ってきたと思ったらほかのテーブルにつき、私の前の席には戻ってこなかった。
 大変に後味の悪い飲み会だった。

 数日後。社内の喫煙室で、彼女の配属先の中堅社員と一緒になった。彼と2人、タバコをくゆらせながら、 金曜の夜の話をした。

 「というわけで、君の後輩になる女の子を泣かせてしまってさ。そんなに悪いことをいった記憶もないんだが、なんか後味が悪くてさ」

 「えっ、それって誰でした?」


 私は彼女の名前も知らない。仕方なく、彼女の特徴を描写した。

 「ああ、それって○○ですよ。だったら、それでいいんです。何か変なんですよ、あいつ。私も研修で付き合いましたが、安堂さんのおっしゃるようなタイプで、あれじゃあ、客との距離感が取れないんですよね。あれで来られたら、客の方が引きますよ。言ってもらってよかったんですよ」

 多少救われた気はした。が、後味の悪さは相変わらずである。
 私は踏み込みすぎたのか? 口にしてはならないことを言ってしまったのか? それとも、あの子はやっぱりおかしいのか?

 私はいまだに、はっきりした答えが出せないでいる。それが、今日まで書かなかった理由である。
 なのに、書いてしまった。1人で考えるより、いっそぱーっと公開しちゃえ。同じような事態にぶつかった人もいるはずだ、ひょっとしたら何かアドバイスがもらえるかも知れない、と考えた。

 ねえ、皆さん、どう思います? 私って、罪な男でしょうか?

 

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