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 2008年4月3日 社説

 昨夜は、私が尊敬する会社のOB1人をまじえて4人、京橋の蕎麦屋で飲んだ。現役組では私が最年長、残る2人も50歳前後だから、完全なオヤジ集団である。若い女性があまり来ないであろう蕎麦屋を選んだのは、幹事役のK君の配慮であろう。

 別に目的はない。単なる懇親会である。生ビールに始まり、燗酒に移り、刺身やら焼き海苔やら板わさやらを頬張りながらぐいぐい行く。飲むほどに酔うほどに談論風発するのは、オヤジの集団の特徴である。
 いい酒だった。最後のざる蕎麦も胃に収め、さて、帰途につこうかとしたときだった。K君が大声を上げた。

 カラオケに行きましょう!」

 カラオケ? 親父4人で? 若い女の子も交えずに? お前、正気か?!
 突拍子もない提案である。我が尊敬する先輩は当然だめ出しをするはずである。先輩の顔を見た。

 「行こうか!」
 
 こうして、私のこの夜の運命が決まった。タクシーで新橋まで出て、カラオケビルに4人で吸い込まれた。
 オヤジ4人、酒を飲みながらマイクを握った。順番が回ってきて私も歌った。「ジェームス・ディーンにはなれなかったけど」(岡林信康)、「Wonderful Tonight」Eric Clapton)、「涙をふいて」(三好鉄生 )、「酒と涙と男と女」(河島英悟)、「乾杯」(長渕剛)……。
 自宅に戻ったら、日付変更線を超えていた。
 我が人生に、また1つ、恥が塗り重ねられた……。

 今朝はやや二日酔いである。だからであろうか、突然話題を変える。
 思うところあって、今日から朝日新聞の社説を読む。読んだ結果を日誌で報告する。いつまで続くか自信はない。終わるまでの間、しばらくお付き合い願いたい。それぞれの社説にはリンクを張っておく。できれば、そちらを先にお読み頂きたい。

 【チベット―福田首相はもっと語れ
 福田首相に、一体なにを語れというのだろう? 「中国が国際社会から非難され、信頼を失うのは、隣国の日本にとって見過ごすことのできないことである。首相はチベット問題の深刻さを、もっと明確な言葉で中国に語るべきだ」とあるから、入試問題なら「チベット問題の深刻さ」が正解である。
 だが、入試問題の正解が社会人としての正解であるとは限らない。
 同じ社説に、すでに五輪開会式に首脳が出席しないという国が現れており、米国議会にブッシュ大統領の開会式出席取りやめを求める声もある、と書いてある。中国の行動を批判する国が増えているのである。中国政府もバカではない。とっくに「深刻さ」は理解しているはずである。その上で、いま日本の首相が語るべき「深刻さ」とは、さて何なのか? 私には分からない。
 語れという中身が不明確である以上、隔靴掻痒の主張にならざるを得ない。読んでいてはぐらかされたような気分になるのはそのためである。
 チベット問題は、そもそも中国がチベットを領有することに正当性があるのかという点に起源があると思う。第2次大戦後、民族自決が世界の流れになったが、どう見ても中国は民族自決を踏みにじっているとしか思えない。中国のチベット領有が認められるのなら、日本が中国本土を領有しようとした日中戦争も正しかったことになってしまわないか?
 ことは、チベットの自治権拡大のを中国政府が受け入れるかどうかではない、と私は思うのだが。

 【原発の耐震―「ゆとり」頼みは禁物
 何故ゆとりに頼ってはいけないのか?
 今回の耐震設計指針の変更で、最大の揺れの強さが1.6倍に引き上げられた。そもそもゆとりとは、今回のような事態に備えるために組み込まれたはずである。だから「ゆとり」で吸収できるというのが電力会社の主張で、筋が通っている。「ゆとり」で吸収できたということは、最初の設計がきちんとしていたことを証明したのである。
 社説にあるデータを素直に読み取れば、そう考えざるを得ない。
 社説は支離滅裂でもある。「ゆとりは最後の安全弁だ。それに頼るのでは心もとない」、つまりゆとりに頼ってはならないと書いてみたかと思うと、「揺れの想定の引き上げで食いつぶした分のゆとりを早く取り戻すべきだ」と、ゆとり部分を増やせと主張する。一体どうしたらいいのか?
 無論、原発の安全性は高ければ高いほどいい。いや、可能な限り高くしておくべきものである。そのために「ゆとり」があり、おかげで今回の耐震設計指針の変更をクリアできた。それをさらに強固なものにしろというのなら、少なくともどの程度のゆとりがあれば安心できるのかを示さねばならない。
 従来の指針をもとにすれば数倍のゆとりがあったとある。まあ3〜5倍だったとしたら、今回の変更で2〜3倍程度に落ちたわけだ。そもそもゆとりは、従来のように数倍でいいのか、10倍が望ましいのか、100倍にしなければ安心できないのか。
 耐震強化の目標数値を欠いた主張は、「とにかく、もっと安全なものにしてよ」という単なる心情論である。説得力はない。社説の筆者は、一種の専門家であるはずだ。専門家が心情論を説いてはいけない。これだと、原発関関係者は「素人さんは分かっちゃいないからねえ」と呟いておけばすむはずだ。

 

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