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 2007年9月7日 嫌な予感

 昨日から、嫌な予感があった。今日、予感が現実になった。東海道線、京浜東北線が朝から止まった。

 台風9号が関東を直撃した。久々のことだ。昨日の朝の予報では、日付変更線が変わるころから今朝6時の間に東海から関東にかけて上陸する恐れがあるとあった。それが嫌な予感の発生源である。

 昨日は、銀座で飲み会の予定が入っていた。徐々に接近する台風を気にしながら酒を飲むのも乙なものである。屋外の雨風の音が忍び込まない地下の店で寿司を食べ、ビールと焼酎を飲み、午後9時近くに店を出た。まだ雨風は、台風接近を実感させるほどではなかった。

 だが、私には嫌な予感がある。10時前に帰宅し、テレビに齧り付いた。嫌なことに、台風は予報通り、刻々と伊豆半島に接近しつつあった。画面では、ヘルメットと雨合羽に身を固めた男女の報道記者が、悲痛な声と表情で強まる風雨をレポートしていた。テレビ朝日の報道ステーションである。

 「あれまあ、いくら仕事はいえ、可哀想だよなあ。彼らにもしものことがあったら、テレビ朝日はどんな責任の取り方をするのだろう? こんなレポートのさせ方をしなくても、台風の脅威は視聴者に伝わる。記者連中を、無駄に危険な目に遭わせているよなあ。私が社長なら、すぐに報道局長を呼び出してやめさせるのだが」

 画面を見ながらそう考える私は、大変真っ当な人間である。そこに思い至らないテレビ局の関係者は真っ当ではない。だが、いくら真っ当でも、社長になるはずがない私には何の影響力もない。

 と無駄なことを考えながらも、嫌な予感が大きくなった。立派に育った予感は、やがて確信となる。

 「明日の朝、通勤の足はどうなる?」

 今朝は6時半に起き、いつものように愛犬「リン」と散歩に出た。戸外には強い雨と風の余波が残っていた。傘は風上に向かって突き出しておかないと、手からもぎ取られそうになる。その強い雨と風の中で、「リン」が気持ちよさそうに出した糞を始末する。

 どうせ雨で流れるんだから、どうして始末しなければならない?」

 とも思ったが、人目があったので糞取り器で回収した。なかなかの難事であった。

 7時少し前に帰宅し、再びテレビに齧り付いた。齧り付いて、嫌な予感と確信が、現実に変わったことを知った。東海道線、京浜東北線が動いていない。私は、このどちらかを使って川崎から新橋に向かうのである。

 だが、台風はすでに北に去った。である以上、時間とともに余波は消えるはずである。画面の上をテロップで流れる交通情報に注視した。東海道線は不通が続いた。京浜東北線は大船〜蒲田間が不通だった。東海道線の不通は続いたが、やがて京浜東北線の不通箇所が鶴見〜蒲田間になった。徐々に復旧している。やがて新幹線が復旧した。京浜急行は動いている。
 9時半まで待って家を出た。相変わらず東海道線は不通、京浜東北線は鶴見〜蒲田間が不通である。だが、新幹線が動き、京浜急行も運行している。道路も大丈夫だ。いまでかければ、川崎駅に着くころには復旧しているはずである。

 川崎駅に着いた。東海道線も京浜東北線も動いていなかった。多摩川が増水して危険なため運転を見合わせているのだという。

 「だったら、新幹線や京浜急行はどうして動いているわけ?」

 と突っ込む元気もなかった。仕方なく、京急川崎まで歩いた。
 ホームに入れなかった。というより、改札口に辿り着けなかった。改札口へのアプローチは人の波で埋まって立錐の余地もなかった。私は、このような混雑に身を投じるほど愚かではない。暑さに強くもない。さあ、どうする?

 自宅に戻ろうか? その方が楽だぞ! と囁く声があった。
 ここまで来たんだから、会社に行こうよ、と誘う声があった。鶴見〜蒲田間が不通なら、蒲田まで辿り着けば京浜東北線に乗れるじゃない。しかも、蒲田が始発だから、新橋まで座っていけるぜ!

 誘う声に負けた。男は、囁かれるのもいいが、やはり明確に誘ってもらいたいものなのである。
 タクシー乗り場に向かった。長蛇の列だった。危機に臨んでは、多くの人が同じことを考えるらしい。誘う声に負けるのは私だけではないらしい。

 だが私の頭脳は非凡である。多くの人がタクシー乗り場に並んでいるのを目にすると、通り過ぎ大通りに出で反対側に渡った。乗り場にやってくるタクシーは、客を送って戻ってくるのだ。であれば、ヤツらが乗り場に行き着く前に拾えばいいではないか!

 私の推論に間違いはなかった。タクシーはすぐに拾えた。乗り場で列を作っているのは愚かな連中である。
 もっとも、全員が愚かでなくなったら、私のようにいい思いができる人間がいなくなり、残るのは混乱だけなのだが。皆さん、ありがとう!

 「蒲田までやってくれる?」

 勝ち誇った私は、座席に滑り込むなりいった。

 「滅茶苦茶混んでますよ。蒲田からの戻りなんですけどね」

 といわれても、ほかの選択肢はない。この車のリアシートに座った瞬間に賽は投げられたのである。
 国道15号線に出た。本当に混んでいた。六号橋から見る多摩川は濁流が渦巻いていた。道の両側に救急車やパトカーが止まり、上空にはヘリコプターが舞っていた。

 「この救助活動で混んでるんですよ。誰か流されたんですかねえ」

 だが、六号橋を過ぎても一向に混雑は解消しなかった。ということは、電車通勤を断念した連中がマイカーやタクシーで職場に向かっているのか?
 君たち、そこまでして仕事がしたいの? 天災に抗っても仕方ないではないか? もっと余裕のある暮らしができないか?
 と声をかけてやりたかった。が、すぐに、私も余裕のない連中の1人であることに思い至った。
 声を出す前でよかった。

 会社にたどり着いた時、時計の針は正午に近付いていた。自宅を出て2時間半。
 嫌な予感が確信に変わり、それが現実として立ち現れると、3日ほど仕事をしたよりも疲れることを思い知った。

 

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