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 2006年9月28日 飲酒運転

 いや、日本は大変な国になった。経済大国の次は男性主導型淫乱大国になったと9月15日に書いたが、いまや日本を特徴づけるのは色狂いだけではない。どうやら、車のハンドルを持っている人の半分以上は酒に酔っているらしい。飲酒運転大国の名誉も、我が日本のものになった。

 最近の新聞やテレビのニュースを見ていると、そんな気がしてくる。来る日も来る日も、飲酒運転で捕まった人のオンパレードだ。町は飲酒運転のドライバーで埋め尽くされているんじゃないか?
 これも大量の負け組を創出した小泉改革の結果である。希望を失った負け組メンバーは自暴自棄となり、大量の酒をあおってハンドルを握る。生きていたってどうせいいことなんてないんだから、何をやっても勝手だろ? ひどい世の中になってしまった……。

 ということでは、恐らくない。私の見るところ、飲酒運転大国の仕掛け人は、言葉だけの正義感を振りかざして駆け回っている記者さんたちである。

 きっかけは 1 件の事故だった。8月25日、福岡市東区の海の中道大橋で、大量の酒を飲んで酩酊した福岡市職員が車を運転し、親子5人が乗ったRV車に追突した。あおりでRV車は海に転落し、子供3人が死亡した。悲惨な事故である。
 飲酒運転のニュースが急増したのは、この事故のあとだ。どうやらその日を機に、飲酒運転以上に重要なニュースはない時代に突入したらしい。

 恐らく、報道機関の末端では、こんな会話が繰り返された。

 「おい、飲酒運転だよ。今ならニュースになる。でかくても小さくてもいい。とにかく、飲酒運転は記事にしろ。えっ、事故を起こさなければニュース価値がないって? お前、記者やっていく気はあんのか? ニュースセンスの問題だよ。いまは飲酒運転がニュースなんだよ、バカヤロー。それが分からないんだったら荷物まとめてとっとと故郷に帰れ!」

 かくして、飲酒運転の記事が続々と生産される。8月25日までは記事にするどころか取材すらしなかった飲酒運転が、いまや最大の飯の種になったのである。

 このような報道の仕方を集中豪雨的報道という。
 集中豪雨的報道に参画するそれぞれの記者に、問題意識はない。いや、

 「飲酒運転はいけないよな」

 程度の認識はあるかもしれない。だが、それより深いものではないはずだ。少なくとも、飲酒運転による事故への切実な思いはない。
 飲酒運転はいけないという記事を書いていた朝日新聞の記者が、自分が飲酒運転で検挙されてクビになった。その程度のヤツが記事を書いている。彼は集中豪雨的報道の代表である。ブラックユーモアである。今のメディアの象徴である。

 まあ、集中豪雨的報道にも、ある程度の効果がないわけではない。
 我が家では8月25日の事故の後、飲酒運転追放が高らかに宣言された。宣言したのは我が妻である。その対象は私である。若いころはずいぶん無茶もやった私だが、最近はずいぶんおとなしくなった。ほんの時たま、ま、ビール1本程度だし、近場だから大丈夫だろう、とハンドルを握ることがある程度の、相対的には真面目なドライバーである。それも、夜、子供を迎えに行ったり、送っていったりする場合だけであった。それも禁止された。
 似たようなことをされたご家庭も多かったろう。その程度には集中豪雨的報道にも意味はある。
 ん? だとすると、飲酒運転の件数は、メディアが作り出した印象とは逆に激減しているのではないか?

 それはそれとしよう。集中豪雨的報道の最大の問題点は、集中豪雨がいつまでも続くことがないことである。いずれはやむ。晴天になる。しばらくは後片付けに追われても、やがては日常が戻る。そう、いつしか飲酒運転の記事にはお目にかからなくなる。記者の関心が薄らぐと同時に、世の関心も薄らぐ。これを、ほとぼりが冷める、という。
 その時点で、恐らくすべてが元に戻る。あれほど降った雨の痕跡はどこにも見あたらなくなる。飲酒運転が見つかった記者も、処分は受けてもクビにはならない時代になる。そして、いつか再び、飲酒運転による悲惨な事故が起きる。メディアは、2006年8月25日以降の記事とそっくり同じ記事を生産し続ける。
 そんなことを繰り返して、いったい何の役に立つのかね? 飲酒運転の規制や取り締まりが強化されて終わり、というところが関の山ではないか?

 飲酒運転におおらかだった米国(ハリウッドの映画を見れば一目瞭然である。何とおおらかに酒にを飲み、女を口説き、その勢いに乗って2人でドライブを楽しむカップルの多いことか)では、飲酒運転の取り締まりを強めたら事故が減ったとのレポートもあるからなおさらだ。メディアのおかげで飲酒運転追放に固まった世論が警察の強い味方だ。

 だけど、警察の権限をかさ上げするだけの結果に終わったのでは、風が吹いて桶屋が儲かる話になりかねない。そう、現代のキーワードは民営化なのだ。飲酒運転取り締まりをより効率的に、より強力に進めるための民間会社ができ、警察OBの天下り先になるなんてことも、決して夢物語ではない。そんな夢は死んでも見たくない。
 えっ、死んだ人間は夢を見るのか……。

 だけど、アメリカだって事故が減っただけで、絶滅わけではない。みんなの願いは飲酒運転による事故を絶滅することなのに、規制強化、取り締まり強化では足りないことは、もう証明されちゃっているのである。
 だからこそ、メディアはいたずらにムードを煽るより、具体的な対処法、解決策を探らなければいけないんしゃないの? ムードを煽るだけなら、なにも大学卒の優秀な人材(と一般的に言われている。ひょっとしたら本人たちもそう思いこんでいる)を集める必要もないはずだし。

 へーっと思った記事もあった。

 自動車メーカーが、飲酒状態では運転できない車の開発に取り組んでいるそうだ。技術的な面からの飲酒運転事故防止に向けた取り組みが始まっているわけだ。
 私が目にしたのは、運転席に取り付けたアルコール濃度検知器に息を吹き込まないとエンジンがかからないようにする、酩酊状態では打ち込めないほど長い暗証番号を設定する、という2つの手法だった。
  まあ、研究はまだ緒に就いたばかりなのだろう。アルコール濃度検知器が付いたために割高になった車を買う酔狂な人はいそうにない。法律で義務づければ、俺は飲酒運転など絶対にしないというまっとうなドライバーの反感をかうだろう。長い長い暗証番号は、しらふの時でも覚えていられそうにない。そんな不便な車が、果たして売れるだろうか?
 それでも、ムードを高めるだけのメディアのアプローチよりもまともである。研究が始まれば思わぬ展開だって期待できる。いつか、誰かの閃きで実用に耐える装置が開発されるかもしれないではないか。

 私の関心を惹いたのは、この記事ぐらいだった。
 人はなぜ酒を飲んでハンドルを握ってしまうのかという心理学的なアプローチは欠かせないはずなのに、そんな記事にはお目にかかっていない。
 ウィキペディアによると、飲酒運転、それによる事故は同じ人間が繰り返しているのではないかという問題提起もあるそうだ。だとすれば対策の立て方はずっと簡単になるはず。でも、記者さんたちはそんなアプローチを見せてくれない。

 このままでは、福岡の事故でなくなった3人は、遺族の方には申し訳ない表現だが、無駄死にになってしまうのではないかな……。

 冷静、沈着に、歩みはのろくても、確実なアプローチをお願いしたい。

 

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