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 2006年6月25日 おばあちゃんと元上司のこと

 本日夕、岐阜、愛知、三重2泊3日の旅から無事戻ってきた。愛車の走行距離計が一挙に1000km増えた。

 「増山たづ子さん(私とのご縁は、「グルメらかす # 08  山里の味」をご参照いただきたい)の墓参りをしたい」

 今年3月、新聞で突然おばあちゃんの死亡記事を目にしてから、妻がそう言い続けていた。私も仕事に縛られて葬儀に出ることもできず、気になっていた。
 その後、私が岐阜にいたときの上司、Mさんが脳梗塞を患い、リハビリ中だとの話も耳に入った。既に退職されているが、数少ない私の尊敬する先輩である。知性派で、仕事の原点を私に教え込んでくださった。
  墓参りとお見舞いに、岐阜と春日井に行く。ここしばらく、我が家の改題であった。それがようやく実現した。

 初めて訪ねたおばあちゃんの家(当然ですが、「シネマらかす #14  おばあちゃんの家 − クソガキの変身 」 とは別物です、はい)は、岐阜市の郊外、田園の中のそびえ立っていた。芝生を張った庭、庭木、庭石が配された庭もある豪邸である。中に入ると、まだ木の香が香ってきそうなほどピカピカだった。未整理の写真が入っているらしい箱が積み上げられた部屋もあった。畳も柱も、真新しかった。ここでおばあちゃんは最後の日々を過ごしたのだろう。
  徳山村でおばあちゃんが住んでいた、古びた茅葺きの家とは比べものにならないほど立派な家である。猫の額ほどの、使い物にならない空地しかない家に住む我ら夫婦なんぞは、逆立ちしても住めそうにない。恐らく、水没補償金で建てたのだろう。
 でも、人の幸せとは、住む家で決まるのか? 畳が新しくて、木の香が漂ってくる家に住めば幸せに浸れるのか?

 おばあちゃんは、出征して戻らぬ夫を徳山村の茅葺きの家で待ち続けた。

 「わらがなあ、引っ越ししてしまうと、村がダムに沈むと、あの人が帰ってきたとき、どこに行っていいもんやらわからんようになるでな」

 おばあちゃんは、ダムに沈む徳山村の人々の写真を撮り続けてダム反対運動の象徴になった。だが、おばあちゃんがダム建設に抵抗したのは、それだけのためだった。写真も、いつかは帰ってくるはずの夫に、村の時の流れを見せてあげるためではなかったか。
  お上と事を構えようなんて大それたことは考えてもいなかった。ごねて、補償金を吊り上げようなんて頭の片隅にもなかった。

 仏間に飾られたおばあちゃんと、若き日のご主人の写真に挨拶し、おばあちゃんの家からクルマで、8分離れた墓地でおばあちゃんのお墓に手を合わせて岐阜をあとにした。
 もし、あの世とやらがあるのなら、今頃はご主人と徳山村の写真を見ながら談笑しているのに違いない。なにしろ、60年以上も会っていないのだから、話が尽きることはないだろう。ひょっとして、フォルクス・ワーゲンで山の村を訪ねてきた私のことも、話題に出ているかな?

 岐阜から春日井までは、1時間ほどの道のりだった。岐阜を出るときに電話をしておいた。Mさんは自宅の前で待っていてくれた。
 突然の発病だったらしい。入院して狭くなった血管の手術をしたところ、取りきれなかった血栓が脳に入り、半身が麻痺した。手術ミスともいえる。が、手術の前に、ごく希にではあるが、このようなことも起きうると書かれた同意書にサインをしていたのだという。訴訟対策なのだろう。
 だが、患者の健康を預かる医者の責任って、そんなものなのか? 事前に本人がサインをしていたからって、免責されるのか?

 Mさんとの話は弾んだ。共通の知人の話、最近の会社の話。それに、私がMさんに差し上げたらしい(というのは、私に全く記憶がないからである)「海の都の物語」(塩野七生著)の話。この本はしばらく放って置かれたあと、一気に読まれたらしい。

 「いやあ、読み始めたら面白くってさ。安堂君、おかげで、塩野さんの『ローマ人の物語』も、既刊は全部読んだよ」

 いま私が読みつつある「<民主>と<愛国> 戦後日本のナショナリズムと公共性」(小熊英二著)は、書店で何度も手に取られたそうである。だが、とにかく分厚いのと、6800円もする価格に気圧されて、まだ蔵書には加わっていないとか。

 「いやあ、面白い本ですよ。赤線を引きながら読み始めたら、すべてのページが真っ赤になってしまうぐらい、頭が喜ぶ本です。Amazon.comで古本を探したら、安く買えますから、是非」

 久しぶりのMさんとの語らいに調子に乗った私は、押し売りを試みた。そばにいらっしゃった奥様がおっしゃった。

 「病気のせいで目も悪くなりまして、活字を追うのは辛いらしいんですよ」

 またもやレッド・カードだ。足を踏まれたことがない人間には、足を踏まれた痛みは理解できない。私は時折、そうした配慮に決定的に欠ける。申し訳ないことをしてしまった。

 だが、と思う。Mさん、リハビリに成功して、この本を読んでください。そして、語り合おうではないですか。

 その日から、四日市市に住む娘の元で2泊した。娘の子供の遊び相手である。断じて孫ではない。我が家の辞書には、「孫」、ないしはそれに類する言葉、「おじいちゃん」、ないしはそれに類する言葉は掲載されていない。
 ちなみに、娘の子供は、やっと覚え始めた日本語で、私のことを「ボス」と呼ぶ。私がそうし向けた。

 四日市を出たのが今朝の11時半。途中、浜名湖サービスエリアで昼食をとり、一部渋滞したが、午後4時過ぎには自宅に着いた。ちょいと速すぎ?

 

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