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 2002年8月9日  回天

 1つの言葉に魂を揺さぶられる。
 揺さぶられた魂が素晴らしい作品を生み出す。

 吉田直哉さんが書かれた「発想の現場から  テレビ50年の符丁(キーワード)」(文春新書)を読んで、その感性に脱帽した。吉田さんは、多くのドラマやドキュメンタリーを生み出した元NHKマンである。吉田さんを動かしたのは「50分」という言葉、生まれた作品は「魚住少尉命中」という。

 第2次世界大戦の敗色が濃くなった1944年、日本海軍は「回天特別攻撃隊」を創設する。魚雷の中に人間が入り、魚雷を操縦して敵艦に体当たりする。出撃して狙い通り命中すれば、搭乗員は死ぬ。命中しなくても、回天には脱出装置がないから搭乗員は死ぬ。全長14.75メートル、直径1メートル、重量8.3トン。1.55トンのTNT火薬を積む回天に乗り込んでハッチを閉めると、搭乗員には確実な死が待つ。
 米軍の圧倒的な物量と技術力に追いつめられていた日本海軍の、狂気の選択だった。

 吉田さんは、回天のドラマを創ろうと思った。史実に基づいたドラマを創るには、詳しい調査が要る。その一環で、特別攻撃隊にいた人をインタビューした。そして、

 「なにより、発進してから命中するまでの時間の長いことに驚いた」

 敵艦を沈めるための武器である魚雷は、高速で海中を進まなければ相手に回避されてしまう。だから、ほんの短時間で命中すると思っていた。念のために聞いてみた。

 「発進して命中するまで、どれくらい時間がかかったんですかねえ。3分とか5分とか、どうだったんでしょう?」

 思いもかけない返事が戻ってきた。

 「いえいえ、そんな短時間では敵艦まで行き着きません。そうですなあ、50分以上かかったこともありましたなあ」

 米海軍が優秀なレーダーを使い始めたため、潜水艦が3000メートル、4000メートルまで近付くと発見されてしまう。回天はそれ以上の距離から発進せざるを得なかった。だから、長い時間がかかる。

 恐らく吉田さんは、そんな会話を交わしていたのだろう。そして、思いもかけない返事に、

 「えっ、50分……」

 と絶句したのだと思う。「50分」に魂を揺さぶられる感性と想像力が吉田さんには備わっていた。死ぬことが生存の目的となった50分。自分の50分と比べる。乗組員の50分の重さと、自分の50分の曖昧さを比べる……。

 どこを探しても、この様な感性も想像力も持ち合わせていない私は、吉田さんのそれを非常に尊いものだと感じる。

 吉田さんの驚きは、それだけにとどまらなかった。

 回天が目標にしたのは、戦艦や空母ではなかった。油槽船である。敵が使う燃料を吹き飛ばせ。燃料を絶てば、サイパンから日本本土を空襲するB29を減らすことができる。戦艦や空母を沈めてもどうにもならないほど戦局が悪化していた。

 吉田さんは、思わず質問した。

 「それにしても、石油と刺しちがえるというのは,本音では複雑だったんじゃないでしょうか?」

 魚住少尉の乗った回天も、敵油槽船を目標に発進する。重苦しい時間が30分、40分と経過する。だが、命中音はない。回天が出す音をトレースしていた聴音手の耳から、回天の音が消えた。母艦である潜水艦の艦長も

 「命中できなかったか」

 と諦めかけた。
 その時、回天が命中したときの特徴的な音、「カーンという、冬の真夜中に金づちで鉄板をたたいたような音」が伝わってくる。

 吉田さんはこう書く。

 「ドドド、ズシーンという大音響が消えたあとも、母艦の中は大喚声というようなことにはならない。号泣が聞こえるのは、だいぶたってからである。しばらくは、静寂で、ただ壁や鉄梯子を拳でたたく烈しい音がきこえただけだ、という。みんな、恐ろしい形相で、声もなく泣き続けているのだ。
  同じように音もなくうねる波の画面に、
  『三日後、終戦になった』
  という字幕を出してエンディングにした」

 折悪しく、通勤電車の中でこのくだりを読んだ。不覚にも、周りの景色がぼやけだした。眼鏡を外し、ハンカチを取り出して、私は涙を拭った。

 テレビ指定席「魚住少尉命中」は、昭和38年12月に放送され、平成13年7月、「NHKアーカイブス」の時間に再放送されたという。

 遺憾ながら私は、見逃した。再放送も知らなかった。
 そして、今年も8月が来た。

 

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