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 とことん合理主義 - 桝谷英哉さんと私   第1回 :前史

 これからしばらく、一人の先達のことを書き続けようと考えている。

桝谷英哉

 先達の名は、桝谷英哉さんという。
 桝谷さんは、こよなくクラシック音楽を愛した。
 最高の音質で音楽を楽しみたいと思った。
 市販の製品ではどうしても満足できず、ほとんど独学でオーディオ回路理論、交流理論を学習してオーディオアンプを設計した。
 
オーディオ雑誌に発表したところ、

  「自分でも作りたいが、パーツが手に入らない」

  などの反響が殺到した。人の薦めもあってキット製品として販売した。
 
製品名を
「クリスキット」という。


   お付き合いが始まったのは1988年。そして、奇しくも、デジキャスが放送を始めた2000年12月1日早朝、75歳で冥界に入られた。これから書き継ぐのは、私と桝谷さんの12年である。

   立志伝中の人、とは思わない。亡くなったとき、クリスキット事業は数百万円の赤字を抱えていたと聞いた。赤字企業の経営者が立志伝に名を連ねることはない

   だが、すごい親父だった。理屈をとことん突き詰める合理性には、何度も脱帽した。そして、教えられた。

   彼の合理精神を私の中で整理してみたい。
  彼の合理精神を一人でも多くの人に伝えたい。
  それが、市井の1人のオヤジのことを書き連ねる動機である。

   これから書くのは、いまだに私の中で生きている桝谷さんである。

 
 1988年のボーナス前だったから、5月か6月だった。とにかくその日、私は初めてクリスコーポレーションに電話をするため、受話器をあげた。その先に何が待つのか。私には近未来の予知能力はなかった。

 

 

(注)
クリスコーポレーション = 桝谷さんが経営していた商社。主に化学工業薬品の貿易を手がけた。クリスキットの販売元でもある。

 

 自宅のアンプの調子がおかしくなったのは、半年ほど前のことだった。時折、
 「ブツン」
 「ジャリッ」
 という雑音が混じるようになったのである。
 当時使っていたのは、ラックスの真空管アンプキット。プリアンプが「A3300」、パワーアンプが「A3500」という組み合わせだ。
 プリとパワーの接続を絶ってやると、雑音は出ない。従って、不具合が起きているのはプリである。

 

 

(余談)
不具合が起きたときは、原因を突き詰める。実生活のイロハのイである。

 

 いずれにしろ、これでは音楽を楽しめない。音楽のない生活は味気ない。

 

 

(余談)
このアンプを買ったのは、その時から15年ほど前のこと。
それまではトランジスタのアンプを使っていた。だが、音に何となく膨らみがない。オーディオ雑誌を眺めていると、
真空管アンプの音は、ふくよかで、まろやかで、などと心をそそられる解説が施されている。私の耳には、真空管アンプで増幅された天上の音が聞こえ始めた、ような気がした。欲しい、欲しいものは、絶対欲しい!
だが、大きな障害があった。雑誌で紹介されているのは数十万円もする。財布と相談するまでもない。相談されれば、財布も困惑するに違いない。とにかく、手が出ないのである。 泣く泣く諦めた。諦めたと思っていた。しかし、
「求めよ、さらば与えられん」
である。
ずっと安い価格で、真空管アンプの
「キット」があることを、福岡市の天神にあるダイエーのオーディオ売り場で知った。
矢も楯もたまらず、買った。
しかし、キットである。キットということは、箱に入っている部品を、自力で組み立てねばならない。不幸なことに日本だけでなく、世界中がそのような仕組みになっている。
大学は
法学部。入学試験の理科は地学で受けたから、物理は皆目に近いほど判らない。もちろん、回路図というものが世の中に存在していることぐらいは知っていたが、読めるはずがない。ハンダごては、小学生の時、所属していた放送部で、断線したマイクロホンコードを修理して以来さわったことがない。
どう考えても、無謀である。
だが、本人はいたって気楽であった。
「キットだろ? プラモデルの少し複雑なヤツじゃあないか。俺に出来ないわけがない」
ハンダごてを買った。
ハンダを買った。
テスターを買った。
ラジオペンチを買った。
準備は万端整った。
なのに。
出来なかった。
部品が突然
発火した。テスターをあてる場所をまちがったらしい。あわてて吹き消して、さて部分的に燃えた部品がそのまま使えるかどうか、目で確かめた。
「あ、燃え残っている部分の方が多いじゃん」

と判断して、使った。
ハンダ付けはした。時々、ハンダがきれいに盛り上がり、ピカッと光った。
多くは、何となく
ボソボソになった。
部品の一部を手に持ってハンダ付けをしていて、
火傷をした。
いろいろあった。が、とにかく、主観的にはアンプが完成した。
しかし、物理法則は非情である。電源スイッチを入れても、
音が出ない
「あのー、完成したんですけどね、なんかちょっと調子が悪いようで、
最終的な調整をお願いしたいのですが」
福岡にあったラックスの支店に調整に出した。
客観的には「修理」なのだろう。 しかし、主観的には「調整」である。
「はい、出来ました」
「それで、あのー、どうだったんでしょう?」
「3箇所ほど、
配線ミスがありましたが、それ以外はとりあえず作ってありましたよ。それにパーツがいくつかいかれてましたね」
修理代として1万円ほど取られた記憶がある。それも、
「学生さんということで、サービスしておきました」
という注釈付きで。

 余談が長くなった。  
 とにかく、プリアンプから異音が出る。寿命なのだろう。

 

 

(余談) いま考えると、ボリュームの劣化、コンデンサの劣化、抵抗の酸化あたりが原因だったのだろう。

 となると、買い換えを考えねばならない。そして、コストパフォーマンスを考えると、キットにこしたことはない。そして、アンプはやはり真空管である。
 なんてったって、明かりを消した部屋で、真空管アンプにスイッチを入れてご覧なさい。真空管が徐々に青白い光を出し始める。
この世のものとは思われないほど美しいオブジェである。ここから、 天上の音楽 が聞こえて来るに違いない。そんな気になる。    

  東京・秋葉原に、「三栄無線」という店があった。真空管アンプのキットをずらりと並べている店である。暇があれば、この店に通った。通って、
   

 「これが良さそうだが、高いなあ」
   

 「こっちは、安いのはいいが、やっぱりちょっと貧弱に見える」
   

  などとウインドウをのぞき込んでは財布と相談していた。
   

  正常に考えると、ひどい話である。

  アンプがどうやって動いているのかわからないし、回路図も読めないから、判断基準は

  ・真空管アンプであること
 ・見た目がいいこと
 ・高くないこと

  程度しかない。  
  キットである以上、試聴という概念が成り立たないのである。

 

 

(余談) こんなひどい基準で、アンプを選んではいけない。

 

  そんな迷いの最中だった。  
  朝、いつものように朝日新聞を開くと、書籍の全ページ広告があった。本が好きな私は、いつものように目を通し始めた。1つの広告に目が吸い寄せられた。この本は買わずばなるまい
   
 「オーディオマニアが頼りにする本1、2 桝谷英哉著 青年書館」    

  桝谷さんの名前に、初めて触れた瞬間だった。
   
  その日の昼休み、東京駅前の八重洲ブックセンターに走った。いま思うと、縁があったのだろう。書棚に2冊とも揃っていた。
   
  おわかりの通り、真空管アンプを、しかも自作したヤツを使っている私である。端くれであるとしても、マニアであることは疑いがない。

 
 

(余談) 当時使っていたスピーカーは、JBL38センチウーファーLE15Aと、ホーンドライバーLE85。これを自分で作った箱に入れ、純正のホーンと音響レンズ、ネットワークを組み合わせた。 就職して最初のボーナスが、このスピーカーユニットの買い物だけで吹っ飛んだ。    

 

 マニアの例に漏れず、オーディオ関係の雑誌や本はかなり読んでいた。
  とはいえ、回路理論がわかるはずもなく、なんとなく  

  「こうしたら音がよくなった」  

  「この製品を使うと音が見違えるほどよくなる」  
 
  という、ま、いまで言えば無責任な記事を拾い読みしてオーディオ装置の改良に取り組んでいた。

 スピーカーの下に10円玉を敷いた。

 

 

―銅製の金属をスピーカーの下に敷くと、不要な振動が抑えられて音がよくなると書いてある記事があった。このスペーサー、市販のものは8枚セットで数千円もした。だから10円玉を使った。

 

  接点復活材なるものを買い込んだ。

 

  ―米国の何とかいう研究機関で開発され、ピンプラグなど、接触する場所に塗布すると電気信号の通りが良くなって音質が改善されるということだった。

  LC-OFCのスピーカーコードを20メートルも買った。

 

 

―LC-OFCとは純度99・99%の無酸素銅で、スピーカーコードに使うと抵抗値が下がって音の抜けが良くなるとあった。1m1300円もした。1300×20 = 26000円である。値引きはしてくれなかった 。
(後日談) スピーカーコードはよじらないと、スピーカー端子の穴に入らない。が、LC-OFCは固い。よじるのが一苦労である。しかも、よじっても端子の穴に入らない! どうやってつなげというのかい!? 私は、ヤスリで端子の穴を大きくしたのだが。

 

 屋内配線用に使われるFケーブル(銅の単線)をスピーカーコードと並行につないだ。

 

 

―我が家に、私が買ったレコードプレーヤーを運んできたお兄ちゃんが、
「いいことを教えますよ」
といって教えてくれた。
「スピーカーケーブルとFケーブルを並列でつなぐと、ぐっと音が良くなります」
が、ちょっとしたFケーブルは、導線の直径が2、3mmもある。LC-OFCだけでも端子に入らないのに、どうする? 解決法を案出した。LC-OFCとFケーブルを同じ長さに切り、それぞれ先端の被覆をむく。裸になったケーブルを、導線できつく結わえる。その上で、どちらか細い方を残して、他方のケーブルは結わえたところから切る。こうして、残った部分をスピーカー端子の穴に押し込む。めでたしめでたし。

 

 などなど。
 で、音が良くなったかって?
  これだけ、金と知恵をかけて苦労したのだから、

 「良くなった」

 と思い込むしかないのであります。
 鰯の頭も信心から、であります。
 無駄のない人生ほど味気ないものはありませんです。

 いま考えると、マンガのようなことを繰り返していた。       

 そんな下地があるところへ、「オーディオマニアが頼りにする本」は強烈な刺激だった。私が、雑誌や書籍で仕込んできたオーディオの概念が吹っ飛んだ。

 まず、私があれほど信頼し続けていた真空管アンプが、一刀のもとに切り捨てられた。

  この時代になってもまだ、球の音には音楽性があると信じ込まされている人々がかなりおられるようだ。技術と、部品が進歩しているのに、昔の球の方がよいといったり、SPレコードの方が音楽性があると考えている人のことを時代錯誤という。
      (「オーディオマニアが頼りにする本 1」より)

  なぜ、管球式アンプには問題があるのか。その理論的説明がなされていたことは当然である。そのころ、アンプは重い方がいいというのが、雑誌などで広く伝えられていた“常識”だった。スピーカーから出る音は空気の粗密波である。これがアンプにぶつかるとアンプを振動させ、音に悪影響を与えるというものだった。  
 1kg あたりの単価が安いアンプが、コストパフォーマンスに優れたアンプである、などという、判ったような判らないようなことがまことしやかに書かれており、私も自分のアンプの重量を量ったりしたものである。

  これも、桝谷さんにかかるとこうなる。

  アンプが振動で音がひずむかどうかは、音質の良いアンプで、コンパクトディスクを鳴らしながら、平手でアンプの天板をパタパタと叩いてみれば判る。証人に、スピーカーのすぐ前に、誰かを座らせて、注意深く音を聞いてもらう。何の変化も起こらない筈である。
 音楽を鳴らしながらでは良く判らないかもしれないので、今度はコンパクトディスクの演奏を止めて、アンプ叩きの実験をする。この時はスピーカーにぴったりと耳を付けて聞いてみる。ハム雑音のあるアンプは、元もと落第だから、ノイズの少ないアンプを使ってこの実験をしてみれば納得が行く筈だ。  
 一体、誰が最初に、アンプは重い方が良いなんて不合理なことを言い出したのであろう。
 この実験をしてご覧になると、お判りになるように、真空管アンプならいざ知らず、ソリッドステートアンプに振動を与えても、出来の良いアンプでは何の害もないことが判る。

       (「オーディオマニアが頼りにする本 2」より)

 なに、手のひらでアンプをパタパタ叩けって?!  そんな、あんた……  しかし、よくよく考えると、もっとも合理的なテスト方法である。
 2冊の本は、こうした合理精神の固まりだった。

 私にとっては、オーディオに対する考え方の革命だった。
  
 本の裏表紙には、ご丁寧に会社の電話番号まで書いてある。逃げも隠れもしないということなのか。
 だったら、この、桝谷という親父に電話をする。とにかく話を聞いてみる。

 私は受話器をとった。

 

【初出2002年10月4
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