グルメに行くばい!   第37回 :番外編3 ダブリン

 不可能に挑む。いま、そんな気分である。

 不可能に挑む。この精神なくしては、人類は明日を築けない。コペルニクスもニュートンもアインシュタインも、不可能に挑んで、不可能を可能にした。レオナルド・ダ・ビンチもライト兄弟も同じ才の持ち主であった。現代文明が彼らに負うものはすこぶる大きい。我々は、不可能を可能にした偉才たちの恩恵を被り続けている。
 不可能に挑む。尊い行為である。

 私の不可能とは何か?
 ダブリンである。

 ダブリンの何が不可能か?
 面白く書くことが、絶望的なほど難しそうなのである。

 なぜか?
 面白く書くための素材が、私のダブリン体験にはほとんどないからである。あるいは、あったとしても忘却の彼方に消え去ってしまっているからである。

 だったら、書かなければよいではないか?
 いや、書きたいのである。

 何を
 アイリッシュコーヒーを。

 じゃあ、書いてみたら?
 ……………。

 ヒースロー空港でカメラをタクシーに置き忘れ、私は機中の人となった。目的地はアイルランド共和国の首都、ダブリン。1時間半ほどの空の旅である。とある日本企業の現地工場を訪問する。
 土曜日だった。ロンドンでは、ほとんどの企業が休む。必然的に私は暇になる。ところが、このダブリンの工場は稼働していると聞き、足を伸ばすことにした。

 

 

(余談)
海外に出張に出ると、何となく働きすぎる気がする。会社の金とはいえ、大金が出ていくので、柄にもなく、
「働かなくっちゃ」
と考えてしまうようである。
まだまだ小物である。

 

 工場は、ダブリンの郊外に位置していた。牧場のまっただ中といってもいい。屋上に上ると、近くに、遠くに、草をはむ牛の姿が望める。ざっと見渡したところ、1頭当たりの専有面積は1000平方mをはるかに越す。親子4人と犬1匹が暮らす我が家がマッチ箱にしか思えない。牛に劣る居住環境は悲しい現実である。

 「いやあ、日本のことを考えたら、環境は最高なんですよ。自然のまっただ中ですからねえ」

 確かに。
 周囲を360度見渡しても、遠くに見える市街地を除くと、自然と敵対しているのは、ほぼこの工場だけである。

 「失業率が高いんですよ。80%なんていう数字もあるほどです。だから、労働力には困りません」

 ま、いまは日本でも困らないだろうが。

 

 

(蘊蓄)
アイルランドは長い間経済的に恵まれず、生まれた国で食えなくなった人たちは移民として国を出た。
「移民で食い扶持を減らし、残った人間がやっと食べてきた国」
という人もいる。

 

 ざっと工場を見せていただき、1時間ほど話をうかがい、我々は食事をとるべく、市街地に向かった。

 「安堂さん、これ、何だかご存じですか?」

 レストランに着き、席に座ると、ここに駐在する1人が、私に問いかけた。
 見ると、何ということもない、真っ白なコーヒーカップである。これが何かって? コーヒーカップに決まっているではないか。私は世界の大都市である東京からはるばるやってきたものである。東京には何でも揃っているのである。コーヒーカップごときは、ゴミ箱にまで転がっている都会なのである。
 こいつ、俺を馬鹿にしてるのか
 それとも、こいつが日本を離れたとき、まだコーヒーは日本に輸入されていなかったのか?

 「はあ? これって……、コーヒーカップですよね」

 「あ、そうですね、コーヒーカップには違いありませんが、どこか、こう、普通のコーヒーカップと違うところにお気づきになりませんか?」

 もう一度、しげしげとながめる。
 違わない。

 「といっても、白い、シンプルなカップですよね。持ち手も普通の形だし、大き過ぎることもないし、小さすぎることもない。分厚すぎもせず、紙のように薄いわけでもない。四角や六角といった造形もされてないし。あまりに普通すぎて、名のある陶芸家の作品とも見えません。違うところといわれましても……」

 「いや、見ていただきたいのは外形ではなく、内側の方なのです。ちょっと覗き込んでいただけませんか?」

 内側?
 内側に、特殊な文様や絵が描いてあるとでもいうのか?
 ウィリアム・バトラー・イェイツの詩が書いてある?
 ケルトの装飾文様がプリントしてある?

 

 

(余談)
幕末、開国を押し進めて桜田門外の変で倒れた井伊直弼の恋の相手で、密偵でもあったらしい村山たか女という女性がいた。渋谷の料亭で、彼女が作った短歌(だったと思う)を自筆で書いたぐい飲みというもので酒を飲んだことがある。飲んだときは彼女のことなど全く知らず、この店でごちそうしてくれた人に
「船橋聖一の『花の生涯』も読んだことがないのか」
とさんざん馬鹿にされた。翌日、この本を買いに走った。明治維新で権力を握った連中から極悪人と決めつけられていた井伊直弼の、時代を読む確かな目を知らされた。歴史を一面的に見ることの恐ろしさを教えてくれた本の1つである。
ついでながら、わが書棚には、「ケルト/装飾的思考」という本が収まっている。中身はほとんど忘れたが、独特の装飾文字、渦巻き模様など、人間の想像力のおもしろさ、それを民族として守り育てていく人間集団の不可思議さ、などに知的興奮を覚えたことだけが記憶にある。

 

 覗き込んだ。真っ白だった。いや、真っ白な中に線が1本だけぐるりと引いてあった。計量カップのような線である。カップの底から、そう2cmぐらいの高さだろうか。

 「何か、ぐるりと線が引いてありますね」

 「はい、あるでしょう。何のための線か分かりますか?」

 「装飾? いや、幾何学的な線だから、この線があったからといって、美術的価値が高まるとも思えませんね。そうだなあ、この線までしかコーヒーを注いではいけないとか。でも、だったら小さなコーヒーカップを作ればいいわけだし、第一、1回分のコーヒーがたったこれだけだと、アイルランドの人って、究極のケチってことになりますよね」

 「惜しいですね。確かに計量のための線なのですが、注ぐのはコーヒーではなくてアイリッシュウイスキーなんですよ。この線までウイスキーを注ぎ、上からコーヒーを加える。これが、正当なアイリッシュコーヒーの作り方でしてね。つまり、このコーヒーカップは、アイリッシュコーヒー用というわけで、このカップを使うと、誰でも正統派のアイリッシュコーヒーが飲めるんですね」

 アイリッシュコーヒー。コーヒーとウイスキーを混ぜ合わせ、上にクリームを浮かべていただく。紅茶にブランデーを注いで飲んだことはあるが、コーヒーとウイスキーの組み合わせは、このときが初体験だった。

 「いやあ、昼間からウイスキー入りコーヒーとは、ちょっと背徳的な感じもしますが、でも、おつなものですねえ。アイリッシュと名乗って、専用のカップまであるくらいだから、アイルランド独特の飲み方なんでしょうねえ」

 その場で教えていただいた「アイリッシュコーヒーの起源」は、次のようなものだった。

 まだ、飛行機に暖房が完備されないころ、高い空を飛ぶパイロットは大変に寒い思いをした。思い起こして欲しい。外気温は、高度が100m増すごとに0.6℃下がるのである。地上の気温が20℃のとき、5000メートルの上空は−10℃なのである。
 寒い思いをしてアイルランドの空港まで飛んできたパイロットを、地元の人たちはたいそうかわいそうに思った。慈愛に満ちあふれた人々なのである。

 「暖めてあげたい!」

 冷え切った体を中から暖めるには、酒である。地元の酒であるアイリッシュウイスキーである。
 オンザロックでは、逆に体が冷え切ってしまう。こんなときはホットウイスキーだ。

 

 

(余談)
私は……、できれば若く、美しい女性の人肌で暖めてほしい。

 

 「でも、ウイスキーのお湯割りでは、ちょっと味気なくないかい?」

 と考える知恵者がいた。何をもって湯の代わりにするか。彼は知恵を絞った。レモンと砂糖を加えてもよかった。暖めた牛乳でウイスキーを割るのも一案だったろう。
 が、彼はなぜかホットコーヒーを選んだ。アルコールで体を暖めるだけでなく、カフェインで気分もリフレッシュしてもらおうとでも考えたのであろうか。

 これがパイロットたちの人気を呼び、やがてアイリッシュコーヒーとして定着した。

 なるほど、である。

 しかし、私は意地が悪い者である。この原稿を書くにあたって、このアイリッシュコーヒーの起源に疑いの目を向けた。

 できすぎた話は疑え!

 の原則は、物書きが瞬時も忘れてはならないものである。

 Webで調べた。

 アイリッシュコーヒーの起源は、アイルランドの空港で、冷え切った乗客の体を温めるために供された飲み物とあった。

 ん? パイロットと乗客が入れ替わったぞ!

 このようなときに登場するのは畏友「カルロス」の特権である。ヤツは、その風貌からは想像もつかないが、食の歴史や文化に、きわめて詳しいのである。このときだけは、彼がわが大学の後輩であることを信じる気になる。能ある豚はへそを隠す、ということわざの真実味を思い知らされる。

 「という2説があるんだけど、アイリッシュコーヒーの起源はいったい何なんだ?」

 「あちゃー、そげん馬鹿なコツば信じるかね。これやけん、ものば知らんやつは困っとたい。ほんなこつば教えてやるけん、よー聞かんね」

 

 

(余談)
畏友「カルロス」は常日頃、知的な分野で私の抑圧を受けている。知識量の多寡、論理の緻密性、発想力の豊かさ、頭脳の回転速度、様々な面で我が後塵を拝する結果に終わっている。
それ故に、何事かを私に教える立場立つこと―希有なことであることはいうまでもないが―は、彼がこの上なく楽しみとするところである。楽しみのついでに、居丈だかな態度をとる。
我が高みから見ると、カワイイというしかない。

 

 畏友「カルロス」は、次のような説を唱えた。

 「パイロットはパイロットばってん、『水先案内人』のパイロットたい。考えてもみんね。飛行機は、たかだか100年の歴史しかなかろが。コーヒーもアイリッシュウイスキーも、ずーっと古くからあるもんたい。飛行機の出てくるまで、コーヒーとウイスキーば一緒に飲もうち思わんかったつかね。そげんかはずはなかろもん! 水先案内人のパイロットは、飛行機の出てくるずーっと前から、体の冷える仕事ばしよったつばい。そげんか奴らが、寒かときに飲みよったつがアイリッシュコーヒーたい。常識やろが!」

 ふむ、事実がどうであったかは別として、理屈は一番通っている。畏友「カルロス」、なかなかのものである。

 というわけで、アイリッシュコーヒーの起源については、究極の定説に行き着けなかったことをご報告するしかない。

 話は、ここで唐突に終わる。
 なぜなら、そのあとはホテルに帰って寝ただけだからである。いや、夕食をホテルで食べるのも知恵がなかろうと思い、町に出た。土曜の夜は、極めて静かだった。
 歩いた、歩いてレストランを探した。30分ほど探して、やっと1件見つかった。ダブリン大学トリニティーカレッジのそばだった。
 たぶん、この大学の学生たちと同じものを食べた。終えて、近くにあったパブでウイスキーを飲んだ。もちろん、Bushmillsのblackである。
 3杯ほど飲んで、ホテルに戻って寝た。ほかに夜を過ごせそうなところがなかったからである。
 翌日曜日、目が覚めるとすぐに空港に行き、ロンドンに戻った。当初の計画では、ダブリンで半日観光をして戻るはずだったが、町が静かすぎて断念したのである。
 という事情なのである。

 ほとんど丸1日しか滞在しなかったダブリンであるが、これだけはいっておきたい。

 ロバは旅に出したからといって馬になって戻って来たりはしない

 という。大挙して無意味な旅に出て、脳天気に

 「はい、パリに1週間ほど」

 「ハワイで羽を伸ばしてきました」

 などといっている日本人を揶揄したのである。なるほどと思う。
 が、なーに、ちっとばかり知的関心を高めれば、ロバも藁の1本ぐらいはくわえて戻ってくるのである。

 現地でアイリッシュコーヒーを味わい、私は、藁をくわえたロバになったのである……?

 


【初出2004年5月21日】
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