グルメに行くばい!   第34回 :鯛の塩釜

 宴の余韻も消え、私は1人で名古屋に戻った。再び平穏な日々が始まった。
 朝目覚める。朝食を作って腹に詰め込む。シャワーを浴び、歯を磨き、髭を剃る。身支度を整えて仕事に向かう。
 1日の働きを終えると、会社の近くの「かつら」に足を運び、同僚、先輩、後輩と酒を飲みながら食事をする。腹が膨れると、自宅に戻る。
 どこにでもある、絵に描いたような、平穏な、日々である。

 人生には、山があれば谷がある。平地を歩けば、やがて川か海にぶつかる。
 平穏な日々とは、非凡な日、あるいは非凡な出来事までのプレリュードなのである。

 「また来たよ〜」

 いつものように、「かつら」のガラス戸を開けた。

 「あら、いらっしゃ〜い」

 いつものように、おけいちゃんの声が返ってきた。
 いつものような夜が始まるはずだった。

 

  (いつものような夜の例:その1)
 

先輩:


私:
先輩:

私:
先輩:

いや、俺ね、最近、小宮悦子が、なんかこう、よくなってね。小宮、いや、悦ちゃんて、見るからに知性があって、それでどこか色っぽいだろ? 中でも、あの足がいいんだよなあ。本物を一度見たいなあ……。
東京まで会いに行けばいいじゃないですか。
いや、それは……。名古屋に講演にでも来てくれないかねえ。仕事を放ってでも聞きに行くけどなあ。ついでにサインをもらってきたりして……。自分で講演会を企画したらどうですか?
いや、それは……。
 

根性のない先輩である。

(いつものような夜の例:その2)

 

後輩:


私:
後輩:
私:


後輩:
私:

後輩:
私:
後輩:

私:



後輩:
私:

いや、僕ねえ、司馬遼太郎さんを尊敬してるんです。本は全部読みました。すごい人です。日本人なら、司馬さんの本は読むべきです。ねえ、そうでしょ、礼人さん?
そうかなあ。それほどとは思わないけど。
えっ、なに言ってんですか。礼人さんは司馬さんの本は読んだんですか?
人並みには読んだよ。最初に読んだのは、「国盗り物語」だったな。岐阜に転勤したとき、是非読めって言われたんだ。岐阜の話がずいぶん出てくるからねえ。あれからずいぶん読んだなあ。
だったら、司馬史学のすばらしさが分かったはずでしょ?
いや、面白い読み物だけど、あれが歴史だといわれるとねえ。司馬遼太郎を持ち上げる人は多いけど、何か違う気がするなあ。
司馬さんのエッセイや評論は読んだんですか?
いや、読んだのは小説だけだ。
だからあんたはダメなんだよ。何も分かってない! 司馬さんのすべての著作を読まずに司馬さんを評価するなんて失礼だ!
ん? だって、司馬遼太郎ってプロの作家だろ? だったら、すべての作品に彼がいるはずじゃあないか。1冊しか読まない読者にだって批判する権利はある。そもそも、全部読まなきゃ理解できないプロの作家なんて、存在価値あるのか?
あんたは全然分かってない! 不愉快だ! 俺は帰る! 帰りますよ!
ああ、勝手に帰っていいぞ。

 

言葉の勢い、場の勢い、と申しましょうか。
翌日、2人は仲良く仕事の打ち合わせをしておりました。
私は、司馬文学の愛読者でもあります。彼が造形した歴史上の人物で最も好きなのは、才賀孫市であります。

 

 いつものような夜にならなかったのには訳があった。出迎え陣に変更があったのである。
 いつもであれば、我々を迎えるのは「かつら」のオーナーシェフであるおけいちゃんと、
いつも「かつら」のカウンターの隅っこで飲んでる人だなと思っていたら、ある日突然、カウンターの中に立って、えっと思ったら、何となく居ついていたという男性だけだった。

 

 

(余談)
2人は、まるで、かつてのテレビドラマ「時間ですよ」の梶芽衣子と藤達也であった。
面貌、スタイル、雰囲気が全く違うことを別にすれば。

 

 なのに、この日は「+1」がいた。
 我々客の注意を1人で引きつけるのに充分なほど美しい女性が、白いエプロンを身につけて、

 「い・らっ・しゃ・ぃ・ませ」

 と我々を迎えた。
 ちょっとおかしな日本語だった。だが、170cm近い長身、スリムさを際だたせる豊かな胸と腰。

 「………」

 瞬時、言葉を失っている我々に、おけいちゃんがいった。

 「あ、今日から来てもらうことになったの。スンさんっていうの。中国から名大に留学に来てるんだって」

 場の雰囲気が一変した。小宮悦子にあこがれる先輩も、司馬遼太郎の評価で私を面罵した後輩も、この日はその手の話題には全く関心を示さなかった。

 「ねえ、ねえ、どこから来たの?」

 「???」

 「何を勉強しに来たの?」

 「???」

 会話は困難を極めた。何しろ、来日直後なのである。日本語なんて、ほとんど理解できないらしい。

 “Where are you from?”

 “What are you studying in Nagoya University?”

 たどたどしい、中学レベルの英語を駆使した会話が始まった。が、彼女は、あまり英語が得意ではないらしい。さらに、それ以上に、我々は英語が苦手であった。やがて、我々の関係は、顔を見合わせてニコニコ笑うだけの関係に行き着いた。

 それでも、あの先輩と、あの後輩にとっては、楽しい、スペシャルな夜だったらしい。翌日から、窓の外が暗くなると、2人が私のところに来た。

 「礼人君、『かつら』に行こう」

 「礼人さん、『かつら』に行きましょう」

 こうして、我々は、いつもにも増して『かつら』に通い詰めることになる。「かつら」としては、彼女のバイト料を払ってもお釣りが来たものと思われる。

 この集団の中から抜け出したのは、後輩だった。

 「僕ね、少し中国語が分かるんです。試してみようかな……」

 「えっ、何でお前が中国語? 何で今まで黙ってたんだ?」

 「いや、できればね、将来、中国に行きたい、中国の支社に駐在したいと思ってましてね、それで自分で勉強していたというか……。その程度で、あまり自信がないんで、みなさんの前で披露するのが恥ずかしかったものですから」

 「何を言うか! 言葉は道具である。道具は使わねば光らない。使え! 使え! どんどん使え! 使えば光るぞ」

 

 

(余談)
その後、この後輩は志を達し、中国に赴任しました。戻って日本勤務をしていましたが、再び今月から、台湾に行っております。

 

 かくして我々は、謎の美女とのコミュニケーションツールを手に入れた。ツールが、司馬遼太郎論で私を面罵する後輩であり、きわめて扱いにくいという問題はあった。しかし、である。電動サンダーが手元になければ、どれほど不便であっても紙ヤスリを木片に巻いて、両手を使って木の表面を磨くしか手がないのである。この際、ツールの善し悪しなど言っていられない。

 言葉とは、偉大なものである。
 彼女は、我々共通の友人になった。出身は北京。29歳。日本には、経営学を学びに来た。才媛である。
 父親は、企業の経営者だという。中国における企業経営者がいかなるものか、長い間経済体制が違ってにわかには理解しにくいが、いずれにしても彼女は社長令嬢なのである。
 社長令嬢が、我々の行きつけの小料理屋で、エプロンを身につけて我々サラリーマンに給仕をする。この時点における彼我の経済力の違いがなければ、このようなことは決して起こり得ないことである。

 

 

(余談)
いつだったか、中国からの研修生が会社に来た。
「1日付き合ってやってくれ」
と上司にいわれ、職場の先輩と2人で付き合った。昼時、ポケットマネーで昼食をごちそうした。ホテル系のレストランだった。3人でカレーライスを頼んだ。1人前1800円だった。高い。高いが、遠来の客をもてなす気持ちの表れでもある。
そのとき、メニューを眺めていた研修生が、ポツリと言った。
「このカレーライスの値段、私の1ヶ月分の給料と一緒です」
私と私の先輩は、思わず顔を見合わせて言葉を失った。

 

 我々は、日中友好の使徒たらんとした。架け橋たらんとした。
 日中の過去はこの際、問うまい。過去は問わなくても、我が国にとって中国が重要であることは変わらない。なにしろ、中国から見れば、日本なんぞは、東の夷なのである。

 

 

(注)
夷=えびす=異民族・野蛮人

 

 国土の広大さ、人口の多さ、どれをとってみても、中国が怒っちゃったら日本なんかひとたまりもない。日中戦争の過去を引きずり出してくるまでもなく、仲良くするにこしたことはないのである。いや、仲良くするしかないのである。

 日中の架け橋たらんとした我々は、彼女に快適な日本生活を送っていただきたいと考えた。
 といっても、企業経営者である親からの仕送りでは暮らしていけず、小料理屋でアルバイトをして勉学にいそしむ社長令嬢に援助交際経済的援助を申し入れたのではない。彼女のような方にそのような申し出をするなど失礼極まりない。

 

 

(余談)
というより、我々全員、残念ながらそんな金を持ち合わせていない。
いや、待てよ、あの後輩……。ひょっとしたら……。言葉もできるし……。
あのヤロー!

 

 せめて、日本での生活をエンジョイしていただきたいと考えた。日本で、名古屋で、いい思い出がたくさんできれば、架け橋の橋脚は太く、頑丈なものになる。

 遊びに誘った。
 冬場、よく仲間内でスキーに出かけた。目的地は木曽である。朝6時ごろ車ででかければ、夕方6時には戻れる。
 4人までなら車1台で向かう。5人以上になったら、車を2台にする。おおむね2台ないし3台が必要なほど人が集まった。
 この雪遊びに誘った。

 我らが仲間内でお金を出し合い、社長令嬢にレンタルのスキー用品を借りた。リフト券も与えた。昼食も夕食もごちそうした。
 なあに、この程度の大盤振る舞いをしても、1人当たりの負担は2000円か3000円である。
 なにしろ、日中友好である。崇高な目的を思えば、情けなくなるほど取るに足りない額ではないか。この方式が効果を生み出せば、究極の財政改革ができるはずである。

 社長令嬢はスキーがうまかった。故国では、優雅にスキーを楽しめる階級に属していると見た。
 こうして、我々の間柄はきわめて良好に発展した。

 

 

(余談)
彼女が美人ではなかったら、ですって?
クレオパトラの鼻の故事をひくまでもなく、日中関係は累卵の危うきに至っていたかも知れませんなあ。

 

 やがて、雪がなくなった。もうスキーはできない。

 「礼人さん、テニスしませんか?」

 好きこそものの上手なれ、という。中国語を操り、

 「中国語をブラッシュアップするため」

 と称して、社長令嬢との間に親密な関係を構築しつつあったあの後輩が言い出した。

 「彼女も、きっと喜びますよ」

 それから数週間後の土曜日、名古屋・本山にテニスコートを借りて、7、8人が集まった。うち1人は社長令嬢、残りは我々である。

 まだ少しだけ肌寒い風が吹くアンツーカーのコートでひたすら玉を追う。ネットを越えてきた玉をラケットのスイートスポットで受け止め、ラケットを振り切ってややトップスピン気味の玉を相手のコートに返す。よし、チャンスだ。ここでネット際に出よう。見事にボレーを決めてやるぞ!

 などというレベルの高いテニスではないが、それでもコートで体を動かしていると汗ばんでくる。心地よい汗である。

 「おーい、代わってくれ。俺、ちょっと一息入れるわ」

 私は、コートのそばに置かれたベンチに腰を下ろし、持参したバスタオルで汗を拭った。たばこを取り出し、一服する。吐き出した煙が、春の微風に乗って青く澄んだ空にゆっくりと上っていく。
 身も心も健康になる瞬間である。

 たばこを吸いながら、目をコートに戻した。
 我が同僚と、あの社長令嬢がコートでラリーを繰り返している。同僚が短い足を互い違いに出してコートを走り、何とか玉を拾って相手コートに返す。社長令嬢は長くてきれいな足を生かし、滑るように玉際に走り寄ってラケットを振る。
 なかなかの腕である。
 テニスシューズに白いスコート、これも白いテニスシャツ。社長令嬢は古里北京でもテニスを楽しんでいらっしゃったとみえる。

 私の目は、2人のラケットで打ち返されるボールを追って右に動き、左に動き、再び右に戻り、と忙しく動く。

 その時だった。
 異様なものを目にした、気がした。
 いや、まさか、そんなことが……。
 目の錯覚のはずだ。目の錯覚に違いない。目の錯覚である。

 目が、再びボールを追った。
 ん? 錯覚か?
 いや、これは断じて錯覚などではない。
 私は、このような場所で見るはずのないものを、見てはならないものを、見てしまっている!

 それでも自信がなかった。妄想かも知れない。そういえば私は、最近、あちらの方面では不自由しているし……。

 隣に、我が同僚の女性が座っていた。
 彼女に、私が目にしたと思っているものを説明した。それがどこに見えるかを告げ、確かめて欲しいとお願いした。

 「えっ!」

 といった彼女は、私と同じように目でボールを追い始めた。やがて、彼女は言った。

 「間違いないわよ。礼人さんの妄想じゃない!」

 若い女性がテニスをするときの姿を思い浮かべて欲しい。
 若い女性のテニスウエアで最も好ましいのは、スコートである。ここまで布をケチったかと言いたくなるほどの、究極のミニである点がよろしい。しかも若い女性の動きとともに、この究極のミニは揺れ動き、男の目を釘付けにする。その下から伸びる健康的な2本の足は、この上なくまぶしい。
 若い女性のテニスウエアはスコートに限るべきである。

 

 

(余談)
もっとも、最近では、町中でもミニスカートばかりで慣れちゃったせいか、昔の興奮が戻って参りません。
エロスとは、隠すことであらわあれるものでございます。

 

 前にも述べたが、社長令嬢はスコートを着用していた。合格である。
 スコートを着用する若い女性は、1つだけ野暮なことをする。
 アンダースコートの着用である。
 あの、究極のミニに身を包みながら、最後の、ギリギリの一線で男の視線を遮るのである。
 すべてが許されていると期待に震えながら這い登る男の視線が、最後の最後でシャットアウトされる。
 これを野暮といわずして、何を野暮と言おうか。

 中国からやってきた社長令嬢は、な人だった。野暮ではなかった

 おかげで、目が点になった。

 

 

(余談)
日中間で、見せてもいいもの、見せてはいけないもの、の感受性に、これほどの差があるのだろうか?
文化とは不思議なものである。

 

 隣に座る同僚の女性に助けを求めた。

 「お前さあ、ちょっと、彼女に言ってやれよ。アンダースコートが必要なんだって」

 「………………。いまいったら、テニスできなくなるでしょう。終わってから言うわ」

 我々は、最後まで見て見ぬ振りを強いられた。楽しい苦しいテニスであった。

 

   

(究極の余談)
白でした。

 

 帰路。たまたま方向が一緒で、私は社長令嬢を送った。考えに考えた末、私は社長令嬢をスポーツ用品店に誘った。社長令嬢が必要だと認識したのなら、アンダースコートをプレゼントしようと考えたのである。

 店内を2人で歩き回った。社長令嬢は、ラケットの売り場で足を止めた。テニスウエアの売り場で足を止めた。足を止めて、

 「買ってくれないのかなあ?」

 ってな目で私を見た。
 無視した。買ってあげようかと考えているのは、そんなものではない。もっと基本的なものである。

 社長令嬢はアンダースコートのある売り場では足を止めなかった。見ることさえしなかった。
 私たちは何も買わずに店を出た。

 今も思う。
 あれって、何だったんだろう?

 

1,
日中の文化の違い
ということは、中国の女性はみんなあんな姿でテニスをしているのか?
2,
個人的な生活環境の問題
ということは、彼女の育った地域では、書生はみんなあんな姿でテニスをしているのか?
3,

我々へのサービス
恩に報いるにサービスをもってする。それって、中国の文化?

 

 そのうち、彼女には旦那がいて、近く名古屋大学に留学に来ることが知れた。

 さらにそのうち、我々の仲間は1人、また1人と転勤で名古屋を離れた。私もその1人だった。

 こうして、私立日中友好推進協会は、自然消滅した。

 あの社長令嬢、いまごろどうしてんだろ?

 

 ということで、私も単身赴任生活を終え、横浜の自宅に帰ることになりました。自宅に帰ると、食事を自分で作る必要が薄れ、いつしかあまり台所に立つこともなくなりました。台所に立たないと、レシピは増えません。
 従って、食べ物にからむ話はもう少し続きますが、レシピは今回が最後です。最後なので、ちょっと豪華に行きましょう。鯛の塩釜です。

 材料
  尾頭付きの鯛:1尾
  粗塩
  シェリー酒

 作り方

 

1,

鯛の腹を割き、内臓、エラを取り去ってきれいに洗う。取り去った内臓のあとに、レモンを乱切りして詰める。鯛の鱗は絶対にとらない。
2,
粗塩にシェリー酒を加え、手で持ってポトリを落ちる程度の固さに練る。

3,

オーブン用のトレーに練った粗塩を敷き、鯛を乗せる。さらにその上から粗塩を厚さ1〜2cmほどかぶせ、鯛が完全に見えなくなるようにする。

4,

これをオーブンに入れ、250°で20分〜25分加熱する。この時間内で、魚が焼けたようないい匂いがし始めたら完成。火を止め、10分ほど冷やして、火傷をしないように手袋をしてトレーを取り出す。

 

 以上です。オーブンから取り出すと、塩が石のように固くなっています。この塩を割って中の鯛を取り出すのですが、金槌を用意した方がいいかも知れません。

 食べ方

 

1,
鯛の回りで固まった塩を細かく砕き、この塩をつけて鯛をいただく。
2,

すり下ろしたニンニクをマヨネーズに加えたニンニクマヨネーズを鯛につけていただく。

 

 念のため繰り返しますが、この料理では絶対に鯛の鱗をはずしてはいけません。鱗を取り去ると、鯛肉に塩が入りすぎ、不味くなります。

 なお、鯛の周囲の塩は、砕いて瓶などで保存します。鯛の旨み、ダシを吸収した塩ですから、吸い物に入れたり、ご飯に振りかけて茶漬けを作ったり、活用法はアイデア次第です。

 以上、お試しあれ!

 


【初出2004年4月16日】
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