グルメに行くばい!   第29回 :カボチャのスープ

 世に、変な自信家というのがいる。おおむね嫌われ者である。できればそばに寄りたくない。男と女は1.5m以内の距離に長くいればいるほどくっつく確率が高まるという。であれば、少なくとも100m以上の距離を、いつも保っていたい。 そんなヤツらである。

 それはそれとして、ヤツらは、何故に変な自信を身につけたのであろうか?

 しばらく、パソコンと向かい合いながら腕組みをして考えてみた。
 コーヒーを飲みながら考えてみた。
 トイレの裏の喫煙コーナーに足を運び、たばこを吸いながら考えてみた。
 Webで「自信とは」をキーワードに検索しながら考えてみた。
 眠たくなった

 眠くなりながら、いくつかの可能性が浮かんだ。可能性を精査した結果、結論らしきものが浮かび上がった。

 変な自信とは、「たまたまうまくいったこと」がたまたま積み重なった結果、個人の中に芽生える、他に比較しての優越性の認識である。従って、その個人が生きる社会に、ある価値体系が存在しなければ自信は生まれない。
 たまたまでなければならない。ごく普通にできてしまうことは、自信につながらない。自分でごく普通にできてしまうことはあまりにも当たり前すぎて、他と比べる必要を感じないからである。

 東大卒にあらずんば人にあらず。
 も、変な自信の1つである。東大を頂点とした学歴体系、価値基軸が世にあって初めて成立する。

 とはいえ、4当5落などという熾烈な受験勉強などまったくしなくても東大に入った方々にとっては、自信の裏付けなどにはならない。東大に入ったことは、あまりにも当然のこと、自然なこと、取るに足りないことにすぎないからだ。

 東大に入って自信を持つのは、過酷な受験勉強を勝ち抜いて、たまたま東大の合格点に達する点数がとれて入学を許された方々である。不合格に終わるかも知れないというリスクを犯して挑んだ結果、学歴体系の頂点に立てたのである。これが自信にならずして、ほかの何が自信になるだろう。

 こうした方々が、たまたま、その時代に一流と目されている大企業などに入ったりすると、変な自信はますます鼻持ちならないものになる。たまたまが積み重なると、たまたまはたまたまではなかった、これは衆に優れた我が実力の、人格のなさしめるところであると誤解する。誤解して、自信が膨張する。
 なーに、こんなのは、たまたま他人より記憶力が優れていた結果にすぎないのである。実力も、人格も、記憶力だけによって優劣がつくものではない。価値体系があまりにも単純化された社会は、このような変な自信家を排出し続ける。
 価値観の多様化の必要が叫ばれるゆえんである。

 

   

(自己省察)
私は、「当然のこと」として東大に入ったものではない。
私は、「4当5落」で東大に入ったものでもない。
私は、「たまたま」でも東大に入ったことはない。
してみると、上記の論は単なるひがみか?
そう見えないこともないなあ……。

 

 変な自信家が、いわゆる順調な人生を歩む。肩書きがだんだん重くなる。重くなった分だけ自らへの誤解が膨れあがる。その分だけ、「変」の度合いが強まる。
 そのまま人生を終えれば、主観的には、多分ハッピーな人生である。が、世の中、それほど甘くない。いずれは定年になり、あるいは役員の職も解かれて、普通の人になる。

 普通の人になっても誤解を続けたい人は、「昔の名前」で出られるところを求める。まずは、名誉会長など、あまりなじみのないポストを新設して自らが座る。取締役相談役など、訳の分からないポストに居座る。それもできなくなると別の手をこうじる。曰く、OB会。曰く、OBクラブ。曰く、……。

 あまり美しい光景ではない。

 

   

(余談)
「老害」とは、このような方々がいつまでも企業内の現役にとどまっておられることを指す。企業の中に高齢者が増えることではない。

 

 順調にいかない場合もある。こんなはずではなかったと、愚痴る人生もある。ま、比率的には、こちらの方が多いはずである。

 そのとき、変な自信家はどうするか。自信を支える原点に戻る。うまくいった最後の地点まで立ち戻る。

 「きみ、大学どこ?」

 

   

(余談)
企業の経営幹部は、それぞれにうまくいった、うまくやった体験を、かつての競争相手より多く持っている、はずである。だからこそ選ばれて企業内の階段を上り詰めてきたことになっている。
「だから困るんだよね」
たまたま、場末のバーで隣り合わせた大企業の幹部が、私の方を向いて言った。
「彼らの持っている成功体験は、過去の成功体験なんです。彼らは過去の成功体験に縛り付けられすぎて、全てを過去の成功体験に照らして考えるから、新しいものを拒絶する。いまに対処できない。悪くすると、企業の革新を阻む存在になりかねない」
ふむ、世の中とはそんなものらしい。難しいものである。

 

 ここまで書いてきて、というか、チェックのためにここまで読んできて、大いなる疑問にぶつかった。
 私の「自信論」は、ちょっと「変」でないかい?
 そうかもしれない。そうでないかも知れない。が、今さら後戻りはできない。前に進むだけである。

 で、本論である。
 私は、自信を持った。ただし、料理に関してである。
 それはそうだろう。
 料理のプロフェッショナルを、

 「う、うん。いやー、これは凄まじいね」

 と唸らせた料理を作った。
 遠い異国から日本にお見えになった方に、我が手で作りだした料理を、有料で給した。給しただけでなく、お褒めまでいただいた。

 豚もおだてりゃ木に登るそうである。
 だったら、私だって、登ってもよかろう。私は人間である。豚よりも、はるかに木に登るのに適した手足を備えている。

 

 

(プラス1)
最近、ニューヨーク在住の林和彦さんからメールをいただいた。私と同郷、福岡県の出身で、「とことん合理主義 - 桝谷英哉さんと私」の途中からご愛読いただいている。
「礼人さんのレシピをもとに何度か料理を作りました。私もイタリア料理が大好きで(なにせニューヨークはイタリア本国に次いでイタリア料理がうまいところです)、スパゲッティもトライしました。しかし、一番うまくて家族のみならず友人からも絶賛を浴びたのが「タラのグラシオサ風」でした。
メールで女房が日本にいる友人達へレシピを送ったところ、こんなに簡単でうまい料理はないとこれまた大変な賞賛をいただきました。種明かしはしたくなかったのですが、礼人さんと同じく誉められるとつい調子に乗るタイプの私は『グルメに行くばい!』のサイトを紹介してしまいました。今ごろは数人の”年増”の主婦がサイトを毎週覗いているはずです」
またまた、木に登りそうである。

 

 私の自信は、「変な」自信だったのかどうか。
 これが今回のテーマである。

 料理に自信を持った私は、説教をしてしまった。私に説教されたのはプロの料理人であった。

 「礼人君、飯食いに行こうか?」

 珍しく、上司が声を掛けてきた。
 うちの会社は、「傾斜配分」文化が連綿と続いている。一緒に飯を食って、割り勘はない。地位の高い方が、たくさんお金を払う。上司と飯を食うと、お金が助かる。下の連中と飯を食うと、お金が飛んでいく。
 いくら上司でも、いつも部下に食事をごちそうできるだけの収入はない。しかし、割り勘では、なかなか部下が付き合ってくれない。OJT(On the Job Training)よりOST(On the SakeTraining)が主流の職場で、飲ミニケーションを継続するための知恵ではなかったか、と解釈している。

 ま、それはいい。とりあえず、私は答えた。

 「行きましょう!」

 かくして、確か4人で会社を出た。夕方7時前だった。

 「どこに行きますか?」

 と問いかけた私に、上司は答えた。

 「新栄でスペイン料理の店を見つけたんだよ。一度行ってみたいと思っていてね。どうかな?」

 後で考えると、このときに強く反対しておくべきだった。が、相手は上司である。そこそこの反対しかできなかった。

 「えーっ、スペイン料理!? いやだなあ、僕は東京で、最高のスペイン料理を食べてたんで、行きたくないなあ。不味いに決まってますよ。違った店にしましょうよ」

 「いいじゃないか。一度食べて不味かったら、次から行かなきゃいいんだから」

 店は、広小路通りに面したビルの上の方にあった。エレベーターを降り、店に入る。ちょうど夕食の時間にも関わらず、客はまばらだった。
 いやな予感が膨らんだ。

 テーブルに案内され、メニューを見ながらオーダーする。どんな料理を頼んだのか、なんというワインを飲んだのか、残念ながら記憶にない。いや、記憶にないばかりか、全く印象に残っていない。その程度の料理と酒であった。

 一品だけ、明瞭に記憶に残っている。
 パエリアである。

 パエリアは、2〜3人前用のパエリア鍋で調理され、最後に運ばれてきた。これが本日最後の食べ物である。

 

 

(嘘! これって、五目飯みたいじゃん!)

 

 口には出さなかった。店の中で、テーブルで、そんな言葉を店員に投げかけるのは、いささか無礼ではなかろうか、と判断するぐらいの理性はまだ残っていた。

 だが、この目の前の食べ物を何と表現したらいいのだろう?

 「第14回 :パエリア」でご紹介したように、パエリアは、鶏肉、アサリ、ムール貝、イカ、海老、 ピーマン、 タマネギ、 トマトを煮込む。煮込んだところに サフラン、 パプリカ、 オレガノをぶち込む。場合によっては、鯛などを交えてもよろしい。つまり、鶏肉、魚介類、数種類の野菜で一種のブイヤベースを作り、そこに生米を入れて煮て、スープの中に溶けだした「具」のエキスが染み込んだ米を楽しむ料理である。
 真っ当なパエリアの見た目は、こうした「具」が半分、米が半分、といったところだ。この程度のバランスにしないと、美味しいスープがとれないからである。また、米はサフランで深い黄色に染め上げられている。

 ところが、目の前にある食べ物は、鮮やかな黄色に染まった米があった。

 「これは、サフランで染めたのではなく、ターメリックを使ったのに違いない」

 と私は見当をつけた。

 なにしろ、サフランは1gで千数百円する。極めて高価なスパイスである。
 対するターメリックは、1びんで数百円程度。
 料理人としてはサフランを使いたい。使わないと風味、味、香りが出ない。
 経営者としてはターメリックがいい。味? わかる客なんて、たいしているものか!
 永遠の対立である。

 米の上を見る。手長エビのような、やせて細いエビが 2 尾乗っているだけ。他の「具」は、米をほじくらなければ姿を現してくれそうにない。ほじくっても、さて、どの程度入っているやら。これでは、いいスープが出るはずがない。

 何がどうであれ、本日の最後の食べ物はこれしかない。小皿に取り分けてスプーンで口に運ぶ。
 味が……、薄い。奥行きがない。エビ味付き色つきご飯、といいたくなる。

 「あのー、これってですね」

 と話しかけようとする私を、上司は、

 「言いたいことはあろう。が、ここはまだ店内である。話は後である。いまは、まず食べろ」

 と抑える。仕方なく、黙然と口を動かす。これでも腹に詰め込んでおかねば、午後11時をすぎたら空腹感に苛まれるに違いない。
 物言わぬは腹膨るるわざなり
 ともいうが、なーに、店を出ればすぐに口を開くのだから、すぐに腹は減るのである。
 楽しむための食事ではない。生きんがための食事である。

 終えた。何とか終えた。何とか食べ終えた。
 決して安くない精算を済ませ、4人は席を立ち、店を出るべく、ぞろぞろと出口に向かった。そのままエレベーターに乗るはずだった。

 はずだったのに、「飛んで火に入る夏の虫」が現れた。出口に向かい始めている我々に、声を掛ける人間がいたのである。

 「今日はどうもありがとうございました。お味はいかがでしたでしょうか?」

 壁に四角くあいた穴の向こうから、40歳前と思える男性が、にこやかに我々を見ていた。

 戯れに、斧で桜の木を切り倒してしまった少年、ジョージ・ワシントンは、父親に正直に告白して罪の許しを請うた。父親は、ジョージの罪を咎めず、その正直さを称揚した。かくして、この少年は長じて米国初代大統領となった。作り話であることは後に知ったが、少年時代の柔らか頭に擦り込まれた私は、いまでも正直は最大の美徳であると信じているものである。

 「お味はいかがでしたか?」

 と問われたのである。正直に答えなくて何とする。

 「あのー、あなたが料理長さん?」

 「はい、私が料理長を務めております」

 「ああ、そうですか。それだったらお伺いしたいのですが……」

 横から、上司が私の脇腹をつついた。話の展開に不穏なものを感じ取ったらしい。感じ取って、正直になってはならないとメッセージを送っているらしい。正直さの価値を否定するとは、何と倫理観に欠けた上司ではないか。こんな上司の下で働いている部下の顔が見てみたい。
 無視した。

 「パエリアなんだけど、中に入っているものが少なすぎるようなんですが……。たったあれだけの具で、でどうやってスープをとるんですか?」

 「えっ?」

 「だって、パエリアって、魚介類と鶏肉と野菜から出るスープで生米を煮るから美味しいんでしょ? いってみれば、濃厚なブイヤベースの中に生米をぶち込んで、スープのエキスをみんな米に吸い取らせる、そんな料理だと思っているんですが、あれだけの具では満足なスープは出ないでしょ?」

 「ああ、なるほど、そういうことですか。その点につきましては、当店では、ブイヨンを入れておりますので、ダシは充分に出ているかと存じますが……」

 「ブイヨンって、あの……、キャラメルみたいな形をしたブイヨン、ですか?」

 「はい、さようでございます」

 ブイヨン?
 一瞬、目が点になった。頭の中で、何かが「ブチッ」と音をたてて切れるのが分かった。
 観客は、ことの展開についてこられなくなったのか、はたまた、私を見放したのか、傍観を決め込むのみである。脇腹つつきメッセージも、もう来ない。

 「あのさあ、あなた、プロだからおわかりだとは思うけれども、パエリアって、ブイヨンは使わないのよね。中に入れる具から出るダシがいいのよね。だから普通は、水をはるのよね。もう少し豪華に作る場合は、ムール貝でスープをとって、それを使うのよ。素人の私だって、それぐらいのことは知ってるわけ。ブイヨン?! そんなんで作ってるパエリアって、知らないんだよ、私」

 「………、あのー、お客様、本当に素人の方で……」

 このような際、なにゆえにおねえ言葉になるのかよく分からないが、いずれにしても、この場合は料理を飯のタネにしていない人間を素人という。素人ほど怖いものはない。
 私がプロの料理人なら、料理人が抱える悩みも問題も経営上の課題も、恐らく全て分かる。だから、このような料理人を見ると、裏側に隠された事情もある程度察することができる。

 「あんたも大変だねえ」

 と同病相憐れむことができる。
 が、素人には向こうの事情はさっぱり分からない。客としての不満をぶつけるだけである。論理の正当性を主張するだけである。
 素人に情け容赦はない。

 「うん、素人だよ。サラリーマンだよ」

 「いえ、あまりにお詳しいものですから」

 私は、とどめをさしにかかった。

 「ああ、友人が東京でスペイン料理の店をやってるんだわ。スペインで修行してきたヤツでね。スペイン大使館御用達のレストランなんだわ。そいつと話していると、いろいろ覚えることがあってね」

 もちろん、畏友「カルロス」のことである。勝負はついた。

 「いや、本日はどうも申し訳ありませんでした。これからもいい料理をお出しできるよう努力を重ねますので、今後ともいろいろと教えてください」

 壁の穴の向こうで、料理長が頭を下げた。
 我々はエレベーターに乗って店を出た。

 

 それにしても、礼人とはいやなヤツである。血も涙もない男である。惻隠の情を持たぬ輩である。いくらなんでも、料理人をあれほどまでに痛めつけることはなかろう。
 それから半年ほど、その日の4人で酒を飲むたびに、私は非難の的になった。

 まあな、いわれてみれば大人げなかったかも知れないけどなあ。だけど、あの日払った料金だって、決して安くはなかったじゃないか。それなのに、あんなものを出す方が悪いんだよ。いわれて当然じゃあないか。
 で、自らの非を認めたにもかかわらず、ちゃんと正規の料金を取ったじゃないか。いや、お代はいりませんと言われたところで、ちゃんとお金を払って出てきたんだろうけど、あいつ、言い出しもしなかったじゃないの。
 反論する言葉に、何となく力がこもらなかったのは事実である。

 下手に料理の道に突っ込んでしまったが故の勇み足である。
 生兵法は大けがの元
 を実践してしまったのかも知れない。

 さて、私の自信は、真っ当な自信だったのでしょうか? それとも「変」な自信だったのでしょうか?
 判断は読者のみなさまに委ねるしかございません。

 

 というわけで、パエリアの作り方はすでにご紹介してしまったので、今回はカボチャのスープを。カボチャ独特の甘みと、とろりとした舌触りが楽しめる。丸元さんの本で学んだ料理です。

 材料
   カボチャ
   タマネギ
   牛乳
   塩
   黒胡椒

 作り方

 

1,

カボチャを4cm角ほどの大きさに切る。

2,

ビタクラフトの鍋に1cmほど水をはり、ひとつまみの塩を入れる。そこに切りそろえたカボチャを入れ、蓋をして中火で加熱する。竹串が通るようになればいい。

3,

タマネギを半玉スライスし、炒める。
4,
仕上がったカボチャ、タマネギをブレンダーに入れ、適量の牛乳を加えて、ブレンダーのスイッチを入れる。
5,

こうしてできあがったものを再び鍋に戻し、弱火にかけて味を見ながら塩と黒胡椒で味を整える。仕上げに生クリームを少々加える。

 

 以上です。
 いくつかポイントを。
 カボチャは外側から切り落とすようにすると切りやすい。
 カボチャは必要最低限の水で煮る。
 牛乳の量は好みで。カボチャと一緒にブレンダーに入れ、ブレンダーの刃が回転する量が最低限。
 タマネギと生クリームは畏友「カルロス」のアドバイス。プロの業だそうです。

 カボチャとタマネギと牛乳と塩と胡椒、プラス生クリームだけ。たったこれだけの材料で、意外なほど豊かな味が楽しめます。

 是非お試しを!

 


【初出2004年3月12日】
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