グルメに行くばい!   第23回 :タラのグラシオサ風

 高価なステンレス多層構造鍋も、使わなければステンレスとアルミの固まりにすぎない。高価なお金を払ったのは、大きな効果を得ようと思ったからである。使わなければならない。
 鍋は調理に用いてはじめて鍋になる。

 朝食、昼食と問題を解決してきて、いよいよ、週末の夜の食事を自分で作るところにたどり着いた。
 このころになると、土曜日の午前中は、丸元さんのレシピ集にかかりっきりになった。その日の夜の献立を決めるのである。

 初心者は、何から手がけたらよいか?
 答は簡単である。簡単な料理から手がける。挽肉、炒めた玉ねぎ、卵、パン粉、牛乳をこね回し、形を整え、パンパンとたたいて空気を押し出し、熱の回りが均等になるように真ん中をちょっとへこませ、などという手間を重ねなければならないハンバーグなど、端っから作る気がない。
 第一、ハンバーグもハンバーガーも好きではない。

 最初に選んだ料理が、本日のタイトル、「タラのグラシオサ風」である。グラシオサとは、スペイン領カナリア諸島にある島の名前だそうだが、してみればこれもスペイン料理の1つであろう。
 だが、そんなことはどうでもいい。気に入ったのは、きわめて大雑把な料理だということである。材料を切って、鍋に入れて、煮ればできる。これぞ、単身生活の男向けの料理である。

 今回はスタイルを変え、まずレシピからはいる。

 タラのグラシオサ風

 材料
    生ダラ 4〜6切れ
    トマト 4〜6個
    玉ねぎ 2個
  ジャガイモ 4個
   ピーマン 2個
    パセリ 2〜3茎
    セロリ 1茎
    調味料 塩、白胡椒
   そのほか エクストラバージンのオリーブオイル

 道具
    ビタクラフトの鍋

 作り方

 

1,
生ダラは皮と骨を取り、食べやすい大きさに切って湯をくぐらせておく。
2,
ビタクラフトの深い鍋にオリーブオイルを引く。
3,
5mm程度に輪切りしたトマトを鍋の底、つまりオリーブオイルの上に並べる。塩と胡椒を振る。
4,
トマトの上に生ダラの切り身を並べる。塩と胡椒を振る。
5,
薄く輪切りにした玉ねぎをタラの上に並べる。塩と胡椒を振る。
6,
輪切りにして種を取ったピーマンを玉ねぎの上に並べる。塩と胡椒を振る。
7,
みじん切りにしたパセリ、輪切りにしたセロリの茎をピーマンの上に並べ、塩と胡椒を振る。
8,
皮をむいて2mmほどの厚さに輪切りにしたジャガイモをパセリ、ピーマンの上に並べる。
9,

鍋に蓋をして、弱火で45分加熱する。このとき、セロリの葉っぱも入れておけばいい。香りがつく。

 

 以上である。
 おわかりのように、一滴の水も加えていない。全て材料から出る水分で調理する。
 このレシピで変えてはならないのは、一番下にトマトを敷くこと、一番上にジャガイモで蓋をすることである。あとの材料は、上下を入れ替えても全くかまわない。トマトを一番下に敷くのは、一滴の水も加えないので、焦げ付くのを防ぐためである。

 また、すでにご理解いただいたように、各層に塩と胡椒を振るから、トータルでどれぐらいの塩、胡椒の量になるかを計算しながら進めないと、塩辛い食べものになる。むしろ、塩は控えめの方がいいと思う。
 これを一歩進めると、各層に塩は振らず、材料から水分が出たあと、味見をしながら塩を加えるという調理法もある。我が畏友「カルロス」が提唱する作り方である。

 切って、並べて、蓋をして、例の「IHクッキングヒーター」に掛けて42分。いい香りが部屋中に漂い始めた。期待が高まる。だが、まだだ。

 「3分間待つのだぞ」

 の世界である。

 

 

(釈明)
昨年、テレビ朝日が「子連れ狼」を北大路欣也主演で放送したこともあり、それほど古いギャグではないと思いますが……。

 

 3分間待った。蓋を取る。一番上のジャガイモに竹串を刺す。もっとも煮えにくいジャガイモに火が通っていれば、ほかの材料にも火が通っていて食べ頃になっている、と丸元さんが書いていたからだ。
 竹串は、スッと通った。やった!

 お玉で、一番上のジャガイモから、一番下のトマトまで、一気にすくう。階層構造になっているから、この料理を味わい尽くそうとすれば、このすくい取り方しかない。

 すくって、ちょっと深めの皿に盛る。結構スープが出ているから、浅い皿だとスープがこぼれてしまう。
 スプーンで、まず皿のスープをすくい、口に運んだ。スプーンを縦にし、スープを口中に流し込む。スプーンを横にし、スープをすすり込むようなはしたないまねは、ま、人が見ていないときはしてもいいが、人が見ているときはしない方が、人間が上等に見える。本当に人品骨柄が卑しくないかどうかは別問題である。

 

 

(10口マナー講座)
スプーンでスープを飲むときのマナーは、多くの方がご存じでしょう。たぶん、このようなスプーンの使い方をした方が、スープをこぼさず、すすり込む音もしないからだと思われます。
では、意外とご存じないマナーを。
まだ食事中であることを示すには、皿の右側にナイフの先を、左側にフォークの先を乗せておくのはご存じでしょう。でも、置き方のマナーはあまり知られていないようです。東京のレストランでもしばしばマナー違反を目撃します。
ナイフの刃の向きです。
ほとんどの方が、ナイフの刃を自分とは反対側に向けておられます。マナーの観点からすると、これは「ブッブー」の警告音ものであります。
ナイフの刃は、自分の方に向けるのが正しいのです。
なぜ?
洋食のマナーを生み出した西洋の世界は、長い間、戦いの絶えない血生臭い世界でありました。この戦乱に果たしたキリスト教の役割は別の機会に譲ることにして、戦乱の世の中では、テーブルで同席するのが味方とは限りません。
心の底から殺したいと思っている相手とも、テーブルを挟んで食事をしなければならないこともあります。
夫に殺意を持つ妻も、夫を殺す日までは、夫と食卓を挟んで食事をするようなものであります。
このような物騒な世界ですので、せめて食事中は、相手に危害を加える気がないことを示すことがマナーとなりました。
考えてみてください。ナイフは刃物です。ナイフの刃が相手を向いていれば、テーブルに置いたナイフを右手でつかみ、そのまま右手を右に振れば、あら不思議、相手ののど頸がパックリと口を開け、真っ赤な血が噴き出します。死に至らしめることができるではありませんか。
そんなことをされるかもしれないと恐れていては、おちおち飯を食っていられません。だから、ナイフの背を相手に向け、刃を自分の方に向けて危害を加える意思のないことを表わすのがテーブルでのマナーとなったわけであります。
とにかく、肌が白い人たちが積み重ねてきた歴史というのは、物騒なものであります。
その物騒さから生まれたマナーがもう1つあります。
食事中は、両手をテーブルの下に持っていってはならない、という約束事です。両手は、常に相手から見えるところに置かいておかねばなりません。
もうおわかりですね。そうです、これは拳銃の驚異から身を守るためなのです。腰のホルスターには拳銃が入っています。目の前から消えた相手の右手は、ひょっとしたらテーブルの下で拳銃を握り、いま銃口が自分に向けられているかも知れない。そんなんで、おちおち飯を食ってられますか?
食事は、楽しい雰囲気で、落ち着いて食べないと、消化不良を起こしてしまうのです。
妻が作ったカレーライスに、ひょっとしたら砒素が入っているかも知れない、などと疑いながら食べると、消化不良を起こし、やがて衰弱して死んでしまう恐れがあります。
砒素が入っていれば、ほぼ確実に死にます。
そんな食事、いやでしょ?!
いずれにしても、テーブルマナーってのは、満員電車で隣に女性が立ったら、両手で吊革を掴んだ方がいい、というのに似ています。
なお、マナー部分は、東京のあるホテルで教えてもらったものです。
最初は「一口マナー講座」とするつもりでしたが、書き始めたら長くなったので「10口」に変えました。

 

 えっ!
 スープを口に流し込んだ瞬間、心底から驚いた。
 実に深みのある、たとえようもない美味しさが広がったからだ。
 トマトの酸味、玉ねぎの甘み、タラのコク、それにピーマンの、パセリの、セロリの、ジャガイモのエキスが渾然一体となると、こんな味が生まれるのか!

 私にも料理ができる。とてつもなく美味しいものを作ることができる。我が口中で、鮮やかなハーモニーを奏で続ける「タラのグラシオサ風」を味わいながら、私は確信した。自信が生まれた。

 一人でワインをあけ、祝宴を張った。うまかった。堪能した。

 

 

(余談)
我が畏友「カルロス」は、彼にしては珍しい、希有なことだが、この料理を知らなかったらしく、我が家で食して、やがて自分の店で客に出し始めた。たぶん、私よりうまく作っているのだと思う。
畏友「カルロス」によると、この料理はビタクラフトを使わなくてもできる。「土鍋」を使うのだそうである。

私は試したことがないが、お試しください。ただ、土鍋は底が狭く、上に行くに従って広くなっているので、一番下にトマトを敷くところなんかに苦労するかも知れません。

 

 感動は、自信は、人に伝えたくなる。様々なところで、私の作った「タラのグラシオサ風」を宣伝した。言葉のありったけを動員して、この料理の美味しさを伝えようとした。

 

 

(余談)
普通、このような行為を「自慢」という。

 

 まもなく、ちょっと困惑することが起きた。

 「私も食べたい」

 という人が現れたのである。
 いや、それだけなら、別に困惑する必要はない。宣伝は、このような同調者を生み出すために、手間や金を費やす行為である。
 通常、食べ物の味を言葉で伝えることは、絶望的に難しいことだといわれる。その障壁を乗り越え、私の拙い表現が、他の人間の中に深い興味と関心、ぜひ食べたいという欲望を呼び起こしたことは、むしろ喜ぶべきことである。

 困惑したのは、その人間が女性だったことだ。独身、美形ときているから、なおさら始末が悪い。

 ご存じのように、私は一人暮らしである。一人暮らしではあっても、横浜には妻と子がいる。こぶ付きである。

 彼女は、親と同居する独身女性である。しかも、ビタクラフトの鍋は持っていない。土鍋でもつくれるという知識は、当時の私にはない。

 向かうべき方向は2つしかない。

 私が、鍋を下げて彼女の家に行って作る。

 彼女が、私が単身生活する部屋に来る。

 どう考えても、それしかないのである。ここに困惑の根元があった。

 だってねえ、独身の女性ですよ。私が鍋を下げて彼女の家に行ったら、さて、ご両親がどんな反応をされるか……。心臓マヒでも起こされた日には、寝覚めが悪い。

 では、私の部屋に招くか?
 私は、健康な社会人である、と思っている。しかし、困ったことに、健康な男でもある。
 別人格といわれる下半身に責任が持てるか?
 これは難しい問いである。問いが難しいときには、答えは安全サイドに振っておいた方がいい。

 「責任は持てない」

 どちらの方向に進んでも、乗り越えがたい壁があるのである。このような岐路に立たされたとき、困惑しない人がいたらお目にかかりたい。

 

 

(解説)
いまになれば、第3の道があったことに気がつく。
「食べたい」
という彼女のリクエストを、すげなく無視することである。
が、現場には流れというものがある。流れに浮かぶと、冷静な判断ができにくいことは、賢明なる読者諸氏のご理解をいただけるところだと思う。

 

 彼女に尽くさねばならない義理は全くなかった。が、私は無類のお人好しである。あるいは、いい人と思われたい人間である。
 何とか、

 「食べたい」

 というリクエストに応えられないかと知恵を絞った。

 やはり、頭は使ってみるものだ。窮すれば通じるのである。
 不測の事態が起きないよう、安全弁を設ければいいのだ。

 「友達を連れておいでよ」

 複数人による相互監視システムである。このシステムのもとでは、不測の事態はまず起きないはずである。

 というか、唯一加害者となる恐れがある私が考えついたことだから、不測の事態が起きるはずがない。

 かくして、ある日曜日の午後4時、3人の女性が我が単身生活の部屋を訪れることになった。

 当日。
 昼食を済ませた私は、名古屋・栄の三越まで買い出しに出かけた。なにしろ、4人分の食材である。おまけに、「タラのグラシオサ風」だけでは寂しいと、ほかに2,3品つくれるだけの食材も買い込んだ。
 手に、腕に、肩に、ついでに財布に、ズッシリと響いた。

 午後3時55分。電話が鳴った。

 「あ、安堂君? 僕だけどさあ。申し訳ないんだが、いまから会社に出てきてくれないかなあ。いや、例の仕事なんだけどね、担当している彼だけでは、ちょっと心許なくてさあ。手伝ってほしいんだよ」

 いつも脳天気な上司の声が聞こえてきた。

 「えっ、いまから客が来るんですが」

 「いや、そうかも知れないが、君がいないと困るんだ。何とか出てきてくれよ」

 「といわれても……」

 「なに言ってんだ。じゃあいいよ。これは業務命令だよ」

 サラリーマン世界で、上司とは、「無理」偏に「拳骨」と書く。これ以上の抵抗は難しい。

 「分かりました」

 というしかない。

 しかし、困った。困っているところに、玄関のベルが鳴った。3人娘が到着したらしい。
 どうする?

 とりあえず3人を中に入れながら、選択肢を考えた。考えて、即決した。

 「申し訳ないんだが、たったいま会社から電話があって、出社しなければならなくなったんだよ。申し訳ない。そこでだけど、作り方を教えるから、君たちで作って食べていってくれるかな? 材料は全部買ってあるし」

 こうして私は、先に書いた「タラのグラシオサ風」の作り方を3人に説明した。

 「わかりました。じゃあ、行ってらっしゃい!」

 実に久しぶりに聞くお見送りの言葉だった。

 面倒くさい仕事を何とか仕上げて部屋に戻った。時計は午後10時近かった。
 腹ぺこである。食事もせずに仕事をしてきたのである。帰宅すれば、夕食が待っているはずなのだ。
 3人がゆっくりと食事をしているのなら、まだいるだろう。早めに済ませて帰宅したとしても、私の分が残っているはずだ。食材は4人分買ったのである。
 外で夕食を済ませて帰っては、一人分だけ無駄になる。

 玄関のドアを開け、部屋に入った。誰の姿もなかった。してみると、早めに済ませて帰ったのであろう。
 おかげで、何のいいこと事故もなかった。失望慶賀すべきことである。

 台所を見た。使われた鍋と食器が、美しく洗い上げられていた。
 ひと通りの躾は受けている娘たちらしい。いや、ちゃんとした躾を受けているのは1人だけで、ほかの2人は真似しただけか?

 さて、私の夕食は?
 テーブルには、何もない
 食器棚にも 何もない

 「ああ、ここにいれてあるのか」

 と冷蔵庫を開けた。何もない
 3人娘が作ったはずの料理は、何も残されていなかった

 やがて、テーブルに1枚の紙が置かれているのに気がついた。拾い上げると、なにやら書いてある。

 「ごちそうさま。本当に美味しかった! 食べ過ぎて、おなかがはち切れそうです。3人娘より」

 こちらの脳血管の方が切れそうになった。
 食欲に負けた3人の娘には、作った料理の一部をホストに残しておくという発想、親切、思いやりは全くなかったらしい。
 4人分の食事を3人でたいらげたら、そりゃあおなかがはち切れそうになるわな。
 おなかがはち切れて死んだら、自分の食い意地を恨むのかな?
 恨んだところで、自業自得ではないか!

 などとぼやきながら、冷蔵庫の野菜室を引っかき回した。遅い夕食を作ろうと思ったのだ。

 できたのは……、インスタント焼きそばだった。エビスビールを飲みながら、胃に流し込んだ。
 何とも情けない、味気ない夕食だった。

 ちなみに、この3人、その後結婚したと聞いた。うち1人からは、今年も賀状がきた。元気で暮らしているようだ。
 この「1人」、なぜか

 「私も食べたい」

 といった女性ではない。

 やっぱりあの食い気が勝った女性は、おなかがはち切れて変になったのだろうか?

 


【初出2004年1月16日】
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