グルメに行くばい!   第21回 :根菜の煮物

 理論武装が端緒についた私は、研究を深めるのと並行して、実践にも乗り出した。

 

   

(蘊蓄)
実践なき理論は、空念仏にすぎない。
理論なき実践は、単なるバカ騒ぎである。

 

 「システム自炊法」は、「自分で朝食をつくるのがカギ」と指摘している。わが食生活をシステム化する実践は、朝食づくりから始まった。

 米はある。5日分、つまり平日1週間分を1回で炊いてしまえばたいした手間はかからない。最初の日は熱々のご飯、翌日からは冷や飯である。冷や飯がうまいというのは、丸元さんの主張でもある。冷たいご飯がいやなら、電子レンジでチンする。味は落ちるが、外食よりいいだろう。

 ゴマとちりめんじゃこを買ってきた。ゴマは、丸元さんが勧める金胡麻である。丸元さんの本を読むまで、そのようなものがこの世に存在することすら知らなかった代物だ。

 焼き魚は、基本的にはアジの開きを買ってきて、半身ずつに分解し、それぞれラップして冷凍した。

 課題は味噌汁である。なにしろ、「第1回 みそ汁」で書いたように、私は味噌汁に目覚めてしまっているのだ。

 平日の朝は時間がない。前日は深夜まで、もしくは当日の早朝まで酒を飲んでいることが多いのである。目が覚めて会社に出るまでの時間は、できるだけ短くしたい。つまり、できるだけ遅くまで寝ていたい。ダシをとって、味噌を溶いて、なんてことは絶対にできないのだ。どうする?

 

   

(思い出話)
昔、「5分あれば何でできる」という歌があった。
顔を洗ってご飯を食べて、お化粧して、
というから、たぶん働く女性の朝がテーマだったはずだ。
でもねえ、今時の女の子を見ると、どっちかっつーと、水商売的なごてごて塗りたくりの顔づくりが主流みたいだから、5分じゃ絶対できねえよな。
朝起きて5分で家を出ても、いやー、いい女だねえ、といいたくなる清楚な美女はおらんかい?

 

 回答は「システム自炊法」にあった。ダシだけ先に作ってストックしておくのだ。鰹節を使えとある。
 私は、ちょっと贅沢をすることにした。昆布と鰹節を使ってダシをとる。昆布は利尻昆布とする。決定事項である。

 日曜日が、1週間分の仕込みをする日となり果てた。
 朝食を終えると、まず鰹節と鰹節削り器(例の、1万円ほどで買ったヤツ)を取り出し、心を静めて鰹節を前後に動かす。
 シュッ、シュッ、と気持ちのいい音がする。音とともに、鉋屑のように薄く削れた鰹節が、下の引き出しにたまっていく……、はずである。

 そろそろ腕が疲れてきた。さて、どれくらいできたかな。鰹節削り器の引き出しをあけてみる。
 予期に反して、鰹節粉(そういう言葉があれば)が、こんもりと山になっていた。「鉋屑のように薄く削れた鰹節」なんぞ、ほんの数片あるだけだ。

 ん? 削る方向を間違えたか?

 鰹節の前後を持ち直し、再び前後に動かす。今度こそ……。

 鰹節粉の山が、前よりすそ野を広げ、すそ野が広がった分だけ小高くなっていた。

 

   

(余談)
高い山を作ろうと思えば、基礎をしっかり作らなければならない、というのとは違うシチュエーションである。

 

 おかしい。鰹節削り器の刃の調整がおかしいのか?
 金槌を取り出し、削り器からかんなを取り外して刃の出方を調整する。

 カンナのお尻を金槌でたたき、少し刃を出した。
 粉だった。
 さらにお尻をひっぱたき、もう少し出した。
 粉だった。
 カンナの頭を金槌でたたき、少し引っ込めた。
 粉だった。
 頭をさらにひっぱたき、もう少し引っ込めた。
 鰹節が全く削れなくなった。

 つまり、どう調整しても、鰹節粉しか手元に残らなかった。気づくと、手元の鰹節はすでに4分の1近くが粉と化していた。

 

   

(余談)
実は、いまだに鰹節削りが苦手である。
電動鰹節削り器なるものがあって、これを使うと、たちどころに、きわめて美しく鰹節を削れると聞いた。Web で探してみた。なかった。
誰か、鰹節の上手な削り方を教えてくれませんか?

 

 鰹節1本の4分の1を使って作り出した鰹節の粉の量は圧倒的である。なめると、ちゃんと鰹節の味がする。部屋中に鰹節の香りが漂う。なんだか、自らの労働が報われてような気がして嬉しくなる。
 いや、喜んでいる場合ではない。
 私の作業の最終的な目標は、ダシをとることである。いつまでも、鰹節の粉に愛着を持ち、拘泥しているわけにはいかない。

 さて、この、鰹節の粉をどうする?

 きれいな削り節でダシをとりたい。そう思って作業を継続してきた。が、戦い我に利あらずして、わが目の前に現れたのは、膨大な鰹節の粉であった。
 が、待て。この粉も、なめると鰹節の味がするのである。香りもあるのだ。であれば、この粉でダシをとってどこが悪い?
 コーヒーでもそうではないか。粗挽きの豆もあれば、細かく挽いた粉もある。そもそも、コーヒーミルには、挽き具合を調整するレバーがついているのである。
 粗挽きの豆でも、細かくひいた豆でも、ドリップすれば立派なコーヒーが抽出される。鰹節だけが、きれいな削り節にならなければダシをとれない、という理屈は成立しない。

 回答は1つしかない。

 鰹節の粉でダシをとっちゃえ!

 ここまで考えが進んだとき、新たな問題に気づいた。
 手元にあるのは、大量の鰹節の粉である。この粉で、これからダシをとる。ダシは、99%間違いなくとれるであろう。
 しかし、である。ダシをとった後、ダシと、鰹節の粉をどうやって分離するのか? 削り節でダシをとるときに使う金網程度では、目が粗すぎて、鰹節の粉はダシから分離してくれないではないか!

 考え方は2つある。

 

1,
分離を放棄する。どっちみち粉である。ダシの中に残っていたところで、どれほどの障害がある? 舌触りはやや悪いかもしれないが、我慢の限度内である。
2,

完全なダシをとり、完璧な味噌汁を作りたい。何かで、ダシと粉を分離しなければならない。

 

 しばらく頭を使った。周囲を見回した。何か使えるものはないか……。

 やはり、私は並ではない。求めよ、さらば与えられん、である。あったのだ、これ以外にはないだろうというほど適したものが。

 ペーパータオルである。これなら、充分に目が細かい。鰹節の粉など、平気で濾しとってしまうはずである。

 再び私は、わが天才的な発想に自ら驚くとともに、このような才を私に与えたもうた神に、心からの感謝を捧げた。

 

   

(余談)
問い :男の料理と女の料理の違いは何か。10文字以内で答えよ。
答え :完璧を求めるか否か
厨房に立つ男子は、綿密にレシピを読み込み、すべての材料をそろえて調理に取りかかる。冷蔵庫を開け、そこにある材料だけで何かを作るなどまずできない。
女性は、必要な材料が1つや2つ足りなくても平気である。足りないまま作る。あるいは、代替品を考えつく。買い物に行くのが面倒だと、冷蔵庫にある材料だけで料理を作ってしまう。
とは、平気で手抜きをする横着な生き物である。
長い間、そう思っていた。
自分で定期的に調理を始めたら、違って見えてきた。
要は、データベースの差であると思い至ったのだ。
日々調理をする女には、本人が意識するかどうかは別として、それぞれの材料に関する膨大なデータベースが積み上がる。データベースがあると、様々な計算が可能になる。たとえば、8種類の材料が必要な料理を作ろうとして、うち7種類の材料しか手元にないことに気付いたとしよう。データベースがあると、
8−1=?
の計算が即座にできる。7種の材料で作った料理の味がたちどころに脳裏に浮かぶ。
その味が否定的なものであれば、手元にない1種の材料に代わりうる材料があるかどうか、冷蔵庫の中を点検する。あれば調理に取りかかる。なければ、この7種の材料で違った料理を作る。これもデータベースがあるからできることである。
たまに厨房に立つ男子には、このデータベースがない。調理はすべての材料を買い集めることから始まる。1点でもそろわないとパニくる。これでは、作りたいものがつくれない。1点抜きで作ってしまうと、およそ人の口に入れるにはふさわしくない食べ物しかできない。代替品など思いつかない。
「だめだ!」
とつぶやいた男は、自作を放棄し、心持ちうなだれながら外食に出る。
鉋屑のような削り節を想定して、鰹節粉しか手に入らなかったのに、その粉の活用法を考えつく私は、ベテラン主婦への道を一歩進んだのかもしれない。

 

 鍋には、すでに15分ほど前から水を張り、中に利尻昆布を沈めてある。この鍋を「IHクッキングヒーター」に直置きしてスイッチを入れる。あとは、「第1回 みそ汁」「第4回 ダシ」でも書いたように、慎重にダシをとった。

 さて、いま目の前には、きれいな飴色をしたダシがある。底には、鰹節粉が沈殿している。この鰹節粉を濾しとるのが、ここからの作業である。
 「第4回 ダシ」に登場した「馬の毛漉し」なんぞという道具は、この時点では存在すら知らない。自分で思いつき、発想の巧みさを自画自賛したペーパータオルを使っての作業である。

 鍋をもう1つ用意した。金網でできたこし器の金網部分にペーパータオルを広げ、その上から、鰹節粉が沈殿したダシを注ぐ。
 うまくいった。我が才を神に感謝したほどのアイデアである。うまくいかないはずがない。
 が、異変に気付くのに長い時間はかからなかった。こし器に注いだダシが、なかなか減らない。こし器とペーオパータオルを通って下の鍋に落ちていくダシの量が急速に細っている。
 目詰まりである。
 私のプランの限界である。
 仕方なく、ペーパータオルを何度か取り替え、どうにか鰹節粉を取り除いた。

 

   

(後知恵)
何の疑いもなくペーパータオルを使っていたけど、ペーパータオルを通した熱湯って、安全なんだろうか……。
いまもって、とりあえず生きてはいるが。

 

 ダシが冷めるのを待ち、ミネラルウォーターの入っていたペットボトルに移し替えた。この状態で、冷蔵庫に保管する。やっと、1週間分の味噌汁の準備が完了した。

 翌月曜日の朝。
 ペットボトルから味噌汁用のお椀にダシを注いだ。1食分の量を量るためである。こうして量った1食分のダシを鍋に入れ、「IHクッキングヒーター」にかけた。

 沸騰するまでには、しばらくかかる。この間に、中に入れる具を整える。初日は大根である。
 適当な長さに切った大根の皮をむき、短冊状に包丁を入れる。大根だけでは寂しいか。そういえば、昨日の鍋に使って余った豆腐があったな。こいつも使ってやれ。
 豆腐を冷蔵庫から取り出し、手のひらの上で賽の目に切る。

 やがて、ダシが沸騰する。沸騰したところに大根を入れる。大根が煮えたら、豆腐を入れて「IHクッキングヒーター」の電源をオフにする。ここから味噌を溶き入れる。お玉に味噌をとり、大根と豆腐を煮たダシで、慎重に伸ばしていく。
 これでできあがりだ。所要時間は3分ほどか。そういえば、冷蔵庫に三ツ葉があったな。これも散らしてやれ。これで、しっかりダシがとれた味噌汁の完成である。
 美味しかった。がかなりすぎ、味噌が多少すぎたことを除けば。

 何でも、最初はこんなもんではないかい?

 

   

(工夫)
後に、味噌汁づくりにもう一工夫加えた。
油揚げである。
買ってきた油揚げをまず、短冊に切る。切った油揚げは容器に入れ、冷凍室に保管する。
いつものように味噌汁を作り、できあがったところに、この冷凍油揚げを数片落としてやる。油揚げが傷む心配はないし、解凍する手間もいらない。
こうして、我が味噌汁はさらに豊かなものになった。

 

 朝食のシステム化は、味噌汁にとどまらなかった。
 次に挑んだのは、葉菜の積極的な摂取である。ほうれん草を茹でて、保存食にしようと企てたのである。

 野菜を茹でる湯は高温でなければならない。これも丸元さんから仕入れた知識である。湯の温度が下がると茹で上がるのに時間がかかり、野菜の中の栄養素が壊れてしまう。
 もう1つ。ほうれん草は、根っこの部分も葉の部分も食べる。が、ご存じのように、それぞれの部位は固さが違う。よって、茹で上がる時間も違う。

 この2つの条件をいかにクリアするか。

 まず、ほうれん草は一茎ずつ茹でる。沸騰した湯の中に、買ってきたほうれん草をどさっと入れてしまうと瞬時に湯温が下がる。そんな杜撰な取り扱いをしていては、美味しくて栄養のある食べ物には、絶対にならない。
 2つめはこうした。ほうれん草の葉の部分を菜箸でつかむ。このまま、まず根っこの部分を沸騰する湯につけ、その後全体を湯に沈める。全体で2〜3秒ほどで茹で上げる。

 完璧である。茹で上がったほうれん草は、さっと水をくぐらせて温度を下げた。温度を瞬時に下げないと、残った熱で栄養素が壊れる。水にさらすとえ栄養素が水中に逃げる。
 その上で全体を軽く絞って水を切り、食べやすい長さに切りそろえた。

 ここまでは、丸元さんの本を忠実に実行しただけだ。私の工夫はこの先である。

 切りそろえたほうれん草を1食分ずつ小分けし、それぞれラップして冷凍室に放り込んだ。食べるときは電子レンジで解凍しようという腹である。
 このような処理が理にかなっているのかどうか、残念ながら知らない。冷凍―解凍の過程で、味が落ちるという人もいる。確かに、冷凍の過程でほうれん草中の水分が凍結して膨張し、周囲の組織を壊してしまうかもしれない。凍った水分が解凍されて溶けてしまえば、壊れた組織と相まってぐずぐずになってしまうかもしれない。
 が、それでも、日々食べた方がいいと判断した。ポパイになるためではない。単身赴任の健康を守るためである。

 こうして、我が朝食システムは、完成の域に達した。

 というわけで、今回は野菜を加熱して調理する話が出たので、レシピは根菜の煮物ということで。丸元さんの本を参考に作ってみたのだが、日本料理の奥深さを教えられた一品である。

 材料
   レンコン
   コンニャク
   里芋

 作り方

 

1,

レンコンは1cmほどの厚さに切る。

2,

コンニャクは指でちぎり、軽く水洗いする(包丁で切るより、味が良く染みるそうです)。
3,
里芋はたわしで土を洗い落とし、皮をむいてボールに入れ、塩で揉んでぬめりを取っておく。丸のまま煮るので切る必要はない。

4,

昆布と鰹節で取ったダシ(「第4回 ダシ」を見てください)に、醤油と酒で味つけしたものでレンコンを煮る。落とし蓋をして強火で約4分間。煮えたら、レンコンだけ取り出す。煮すぎると柔らかくなりすぎるので、時間に注意する。

5,

レンコンを取り出した煮汁で、水気をよく取ったコンニャクを煮る。落とし蓋をし、中火で。味が染みるまで煮たいので、30分〜40分程度かかる。

6,

コンニャクを煮る傍らで鍋に湯を沸かし、沸騰したら酢、塩を少量入れ、里芋を入れる。強火で沸騰を維持しながら2分間煮た後、10分ほど放置して、湯を捨てる。
7,

醤油と酒で味つけしたダシを里芋が隠れるまで注ぎ、強火で煮る。沸騰したら弱火にし、竹串が通る柔らかさになるまで煮る。

8,

すべて煮えたら一緒の鍋に移し、全体を暖めて配膳する。

 

 どうです、面倒でしょ!
 でも、ここには料理の基本が詰まっています。
 それぞれの材料を一番美味しくいただくには、それぞれ煮る時間を違えねばなりません。それぞれに最適時間があるのです。
 コンニャクと一緒にレンコンを煮てしまったら、
 味の染みないコンニャクを食べることになるか、
 煮くずれてドロドロに近くなったレンコンを食べるか、
 それとも2つともに中途半端になってしまうか、
 しかありません。
 こんなことは、私が調理する欧風料理にはありません。そもそも、材料を個別に加熱調理し、最後にあわせるという考え方は西洋料理にはないのだそうです。
 それぞれの加熱に、強火とか、強火の後中火とか、火加減に細かく気をつかわねばならないのも、この料理の特徴です。
 落としぶたというのも、西洋料理では見ません。煮くずれを防ぎ、煮汁を全体に行き渡らせる工夫といいますが、これは中国、韓国にもあるそうで、東洋の知恵といえます。

 ついでながら、材料を切りそろえるときは、切り離された1つ1つが同じ大きさになるように切らねばなりません。大きさが違うと、煮えすぎのもの、ちょうどいいもの、生煮えのものが同居する結果になります。これは、畏友「カルロス」に教えられたことです。

 こういうことをいろいろと教えられました。
 結論。
 和食の調理は面倒だ!

その気になったら、お試しを。

 


【初出2003年12月19日】
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