グルメに行くばい!   第6回 :キャベツを食う

 結婚した。
 大学3年の終わり、3月のことである。23歳だった。

 

 

(メッセージ)
ここを読んで、
「あ、まだ結婚祝いをあげてない!」
と思いついたあ・な・た
今からでも遅くはありません。まだ受け付けております。
過ちを改めるに憚ることなかれ
でありますぞ。

 

 新妻は、東京のW大学(早稲田ではない。念のため)卒業を目前にした22歳。東京生まれで育ちは横浜。両親は群馬の産である。

 すでにご承知の通り、私は九州男児。
 何の因縁か、九州の山猿と、群馬の山猿の末裔がペアを組むことになった。

 23歳と22歳の結婚、ということならば、別に珍しくもない。ありふれた話である。
 珍しいのは、2人とも学生だったことだ。何かを勘違いした慌て者が2人もいて、出会ってしまって、助走もつけずに飛んでしまった。

 

 

(余談)
もっとも、結婚なんてものは、この程度の勘違いと勢いがなければできないものかもしれないが。

 

 せめて、卒業するまで待てばよい。せめて就職が決まるまで待つべきだ。
 誰でもそう思う。
 私も、今はそう思う。
 それが常識というものである。

 なのに、何故急いだのか。
 冷静になって顧みるに、主犯は「距離」である。博多と横浜。これは、若い2人がほのぼのとした関係を構築するには、あまりに離れすぎている。
 しかも、関係が構築されてから離れるのなら、まだ対処のしようもある。我々には、出会ったときから、福岡―横浜間の距離があった

 もっと近かったら、せめて同じ九州の中だったら、電話で

 「来週会わない?」

 といえば済む。
 急ぐときは、

 「これから会えないか」

 でも十分対応可能である。

 博多と横浜では、こういう対応はまず不可能だ。
 むろん、金さえかければ、あの飛行機とかいうやつに乗れば、やってできないことではない。だが、折り紙付きの貧乏学生には、絶対に不可能なのだ。逆立ちしたって、航空券を買うお金がポケットから転がり落ちることはないのだから。

 遠距離恋愛という言葉がある。
 東京と大阪。名古屋と仙台。
 会えるのは、頑張っても週末だけ。あとは離ればなれ。
 だが、2人を隔てる距離は、強烈なスパイスになる。
 我々は、強烈なスパイスに刺激され、しびれたまま訳も分からずに舞い上がってしまって、ジャンプしてしまったペアのはしりである名誉を保持している。

 

 

(連想)
インドカレーには、強烈なクミンの香りが欲しい。
トマトにはパセリが合う。スライスしたトマトに、生のパセリならみじん切りして振りかける。なければ、乾燥パセリで我慢する。
という具合に、スパイスは食の楽しみを広げてくれる。
しかし、日本食には、スパイスという観念が乏しい。いま使うものを考えても、唐辛子、わさび、山椒、ショウガなど数える程度であり、しかも、あちら風に乾燥させて使うものは唐辛子、山椒ぐらいしか思いつかない。
スパイスなしでは成立しない料理なんて、1つもないのが日本食なのだ。
新鮮な食材が豊富に手に入り、スパイスの助けがなくても美味しく食べられたたこと、気候が温暖で、強烈なスパイスがなくても食が進んだこと、が原因ではないかと思うが、食文化の不思議である。

 

 それにしても、だ。

 無謀である。
 無謀な人間の集まりである。

 まず、新妻
 何の見通しがあって、まだ学生、つまり半人前でしかない男と結婚しようなどという、丁半博打みたいな決断に至ったのか?
 男は、就職は決まっていない。就職するかどうか分からない。就職できるかどうかも不明である。
 そりゃあ、私は水も滴るいい男かもしれない。万人がそう認める事実である。
 しかし、古の知恵者はいったではないか。

 色男、金と力はなかりけり

 そんなもんに、1回限りの人生を賭ける。これを無謀といわずして、何を無謀と呼ぶ?
 人生とは、それほどに軽いものなのか?

 新妻の父
 突然、九州は博多から、兄ちゃんが出てきた。会ってみると、伸びているだけというロングヘアーで、ジーパンをはき、丸首セーターとアーミージャケットに身を固めている( 「グルメに行くばい! 第1回 :みそ汁」を参照してください)。
 うさんくさい、を絵に描いたような兄ちゃんである。
 しかも、この男、よく酒を飲む。娘との結婚の承諾を得に来るというから、近くの親戚を集めて酒宴をはった。ビールを飲み、日本酒を飲む。勧めると断らない。ついだ分だけ必ず飲み干す。日本酒は4、5本用意したが、こいつだけで1升以上飲んでしまった。
 飲みながら

 「自信があります」

 などとほざく。
 何を言うか。お前みたいな若造に、人生の重さが分かってたまるか!
 酒宴が終わると2階の部屋に引っ込んだ。かと思うと、ギターなんぞをつま弾き始める。初めて我が家に来たというのに、こいつの神経は、いったいどうなっているのだ?
 という風に考えるのが普通である。
 が、この人は、結婚にいっさい反対しなかった。

 「もう少し時間をおいたらどうかね」

 とは言ったが、

 「いや、待つ必要はないと思います」

 というと、黙ってしまった。
 この人、娘の行く末が心配ではないのか?
 娘を愛していないのか?
 人生は、なるようにしかならないと達観しているのか?
 無謀である。

 そして、
 この世間知らずの青二才は、人生に100%確実な将来は100%あり得ないという真実に、まだ目覚めていなかった。
 自分が志し、挑めば、不可能はないと信じていた。
 人生は自分の思い通りになるはずだと決めつけていた。
 彼の辞書に、不可能という言葉はなかった。
 若さの特権ともいえる。
 若さ=バカさ、という世間の真実の象徴ともいえる。
 無謀である。

 

 

(弁解)
うまく就職できなかったら、またトラックの運転手でもすればいいと思っていた。2人分の食い扶持ぐらい、なんとしてでも稼いでみせると思っていた。
その覚悟だけは誉めてやっていいだろう。

 

 無謀×3
 いや、無謀3
 我々の結婚は、こうして成立した。

 私は学生である。金はない。

 「結婚式なんて意味がない。やめよう」

 と提案した。

 娘を愛していないのではないかと思われた新妻の父が、

 「犬や猫の子をやるのとはわけが違う!」

 と声を荒げた。
 ふむ、娘に対する人並みの愛情は持っていたのか……。

 私の古里で、親戚と友人だけの式を挙げた。
 私は新郎であった。レンタルでタキシードを借りた。のっぽのペンギンのような姿であった。着たくて着たのではない。みんながそうするからといわれてしぶしぶ着たのである。はっきり言って、あれほど様にならないものはない。結婚式における新郎は単なるさらし者である。
 あれ以来、

 「結婚は何度してもいいが、結婚式は一度だけでいい」

 と唱えるようになった。

 

 

(余談)
残念かどうかは別として、結果として、結婚式だけでなく、結婚も、いまのところ1度だけにとどまっている。

 

 結婚式には、高校の同級生、肉屋のM君も出て、スピーチしてくれた。

 「えー、今日はお日柄もよーて、俺の親友、礼人君のめでたか結婚式ちいうけん、プレゼントば買(こ)うてきたとです。黙って2人に渡したっちゃよかばってん、せっかく金ば使(つ)こたとやけん、何(なん)ば買(こ)うてきたか、これからご披露ばしよと思(おも)とっとです」
 (邦訳:えー、今日はお日柄もよくて、私の親友、礼人君のめでたい結婚式だというので、プレゼントを買って参りました。黙って2人に渡せば済む話ではありますが、せっかくお金を使ったので、何を買ってきたか、これからご披露しようと思っております)

 「まず、最初はこっですたい。こら、どこんでんあるティッシュペーパーちいうもんです。新婚さんの必需品やなかろかと思(おも)ち、いくら使こたっちゃしばらくはもつごつ、こんだけいっぱい買(こ)うてきたとです」
 (邦訳:まず、最初はこれであります。これは、どこにでもあるティッシュペーパーというものです。新婚さんの必需品ではないかとおもって、いくら使っていただいてもしばらくはもつように、これだけたくさん買って参りました)

 「ばってん、やっぱティッシュペーパーだけちいうとは、ちょっと寂しかですもんね。ティッシュペーパーば使わんとでけんごつなっためん、道具の要っとですたい。これ、これですもんね。俺が使うたなかで、一番具合の良かったやつですもん。えーと、こん箱にはコンドームと書いてあっとです」
 (邦訳:しかし、やっぱりティッシュペーパーだけというのは、ちょっと寂しいですよね。ティッシュペーパーを使わなければならなくなるための、道具が必要なのです。これ、これですよ。私が使ったなかで、一番具合が良かったものです。えーと、この箱にはコンドームと書いてあるのです)

 その夜、私と新妻と私の弟とM君は、夜の街を徘徊した。豚足を食った。蛙の足も食った。酒を飲み、仕上げに寿司を食って私の実家に戻った。午前2時を回っていた。あとは、眠るだけである。

 こうして結婚生活がスタートした。
 新婚旅行に行くゆとりなど、もちろんなかった。

 

 

(余談)
しばらくして、M君が新婚家庭に遊びに来た。
飯を食って、酒を飲んで、玄関まで送って出たら、突然新妻の乳房をむんずとつかみ、
「ははははは。ほんなら」
と笑いながら帰っていた。
セクハラ、と騒ぐべきだったか?
いや、私は無闇に意味が広くなったセクハラという言葉が大嫌いである。そんな言葉が大手を振って歩き回る今の社会は、人間関係の、特に男と女の関係のどこかが病んでいる。
M君への思いはこうだ。
お前の女房にあったら、乳房をもみしだいてやるぜ。待ってろ!

 

 食生活が、比べようもないほど良くなった。
 毎日食事を作ってくれる人ができて、学食や学生相手の食堂に通わなくてもよくなったというだけではない。
 思い出して欲しい。私が、生まれて初めて「美味しい」と感じたみそ汁を作る人の娘が作る食事なのである。しかもこの娘、高校生の時から家事を手伝っていたという。
 世間の水準は、完全に凌駕していた。

 

 

(遅ればせながらの余談)
みなさん、新婚旅行だけは、死んでも行くようにしましょう。
結婚生活が長引くと、何かにつけて、
「私は新婚旅行にも連れて行ってもらえなかった」
という言葉が繰り返されます。
一種の精神的拷問です。
「それでいいと言ったではないか」
などの反論は、女人には通じないと知るべきです。
では、と言ったところで、結婚から時間がたてば、旅行したとしても「旧婚旅行」にしかなりません。
かくして、
「私は新婚旅行にも連れて行ってもらえなかった」
というつぶやきを死ぬまで聞かされることになります。
一種の精神的拷問です。

 

 食生活の基本は、お金である。お金がないことには、食材を買うことができない。

 我々は共働きをした。
 新妻は、近くの材木屋さんの事務に潜り込んだ。
 私は、アルバイトに精を出した。生活協同組合の配達だった。1年間休学してトラックの運転手をした経験が生きた。

 大学へは、必要なときしか通わない。はっきり言えば、ゼミ(なんと、私は法哲学のゼミを選び、カントの「純粋理性批判」を読まされた)以外、ほとんど通わない。それでも、単位ぐらいは何とかなる。日本の大学の7不思議の1つである。
 なんといっても、Aの数にこだわらない学生なのだ。ぎりぎりでも単位さえ揃えればいいと割り切れば、文系なら何とかなるものなのである。下手な学問より、日々の暮らしの方が大事ではないか。
 私はアルバイトに励んだ。

 それでも、家にいる時間は私の方が長い。ほとんどの場合、私が家にいて、

 「お帰り」

 と新妻を迎える。結婚と同時に、大学のそばに3Kの半戸建て(2戸がくっついて1件の家になったもの)を借りていたから、玄関までお出迎えするのである。新妻は、それから夕食の支度にかかった。

 たまには、俺が夕食を作って迎えるか。
 そんな殊勝な考えが脳裏に浮かんだ。私はアルバイト、新妻は正規社員、というコンプレックス、というか、申し訳ないという気持ちからかもしれない。
 単に、退屈だったのかもしれない。

 

 

(注)
かつては私もあこがれた職業に「ひも」というのがある。そう、何もせずに、女の水揚げをピンハネする職業である。
「ひも」も、時には食事を作って女を待とうという殊勝な思いにとらわれることがあるのだろうか?
当時は、そんなことも考えた。

 

 思い立っては見たものの、料理は素人だ。というより、私に、インスタントラーメン以外の料理が作れるなどとは、1度も考えたことがなかった。
 いや、思い出した。小学生の時、学校の授業でカレーライスを作ったことがあった。
 しかし、1日の労働を終えて帰ってくる新妻を迎えるのに、カレーライス? それってお洒落じゃないよねえ。

 

 

(想い出)
小学校でのカレー作りは、班単位でおこなった。
できあがると、ちょうど昼食時である。みんな一斉に皿にご飯を盛り、できたばかりのカレーをかけてパクつき始めた。
食べ盛りである。一皿でお腹が満杯になるはずがない。先に食べ終えた者から2杯目に取りかかった。私も、2杯目を食べ始めた。
「あれっ、もうカレーはなかと!?」
素っ頓狂な声が聞こえた。目をやると、徳永君である。
徳永君は、ご飯を盛った皿を手に持ち、先程までカレーが入っていた鍋をのぞき込んでいる。
子供とは、一面で残酷な生き物である。1杯目を素早く食べ終えた班員たちは我先に2杯目にとりかかり、自分の好きなだけカレーをかけた。自分のあとで2杯目を食べる人がいるなどということは、もとより念頭には浮かばない。自分が、食べたいだけ食べるだけである。
徳永君の直前に2杯目のカレーに挑んだのが誰であったのかは、いまだに判然としない。仮にA君としておこう。
A君は、ほかのメンバーに遅れた、と焦りを感じていた。このままではいけないと急いで皿にご飯を盛り、カレーの鍋の蓋を開けた。
「あれっ、もうこんだけしか残っとらん」
鍋の底をこそぐようにして、残ったカレーをすべて自分のご飯にかけた。A君の頭には、まだ1杯目を食べている徳永君の「と」の字も思い浮かばなかった。かくして、徳永君には、ご飯と、何も入っていないカレー鍋が残された。
「あれっ、もうカレーはなかと!?」
と徳永君が叫んだとき、徳永君にはご飯と、カレーと一緒に作った目玉焼きが残されているだけであった。
徳永君は、目玉焼きをご飯の上に乗せ、ソースをかけて食べ始めた。じっと見ていると、徐々に徳永君の顔が歪み始めた。
「よかっちゃもん。今日帰ったら、かあちゃんにカレーば作ってもらうけん、よかっちゃもん」
食べながら、ぶつぶつと念仏のようにつぶやく徳永君の双眸から、やがてこぼれ落ちるものがあった。美しい涙だった。
1杯のかけそば、ではない。1杯のカレーの話である。

 

 私は、新妻が保存している料理本をめくった。自分で作る夕食のメニューを決めるためである。
 条件は2つ。

  
 美味しそうなこと。
 作りやすそうなこと。

 やがて見つかった。

 手羽先のクリーム煮

 とある。いかにもお洒落ではないか。

 「よっしゃ、これでいくばい!」

 決断した私は必要な食材をメモし、買い物に出かけ、自宅に戻ると早速調理に取りかかった。
 カップ半分の無塩バターを鍋に入れて加熱し、溶けてきたら同量の小麦粉を加えて加熱し続けながら混ぜる。全体がうまくからまったら、小麦粉の3〜4倍の牛乳を加え、塩と胡椒で味付けをして、手羽先やジャガイモ、ニンジンなどを入れて煮込む。
 そんな料理だった。
 書いてあるとおりに一生懸命作った。途中で、何度も塩加減を見て味を調整した。
 やればできる。
 やがてできた。
 できたものを見て、思わず口が動いた。

 「こりゃ、シチューやん」

 そう、できあがったのは、クリームシチューであった。
 クリーム煮とクリームシチューが同じものであることを初めて知った。

 味見をした。
 思わず口が動いた。

 「こんなら、クリームシチューのルーば使こうて作った方が美味かやん!」

 我が最初の作品が失敗作だったとはいわない。
 だが、無塩バターを使い、小麦粉、牛乳を加えて、手をかけて作り上げたクリーム煮の味が、市販のルーを使ったシチューの味に及ばなかったことは、きっちり報告しておかなければならない。
 素人というのは、その程度のものである。

 その日帰宅した新妻は、確かにこの「手羽先のクリーム煮」を私と一緒に食べた。
 さて、どんな評価を口にしたのか。
 私は全く記憶がない。

 

 

(畏友「カルロス」のアドバイス)
クリーム煮は、最後に生クリームを加えると、市販のルーを使ったものより美味しくなります。また、スパイスを忘れないように。胡椒、ナツメグ、特にナツメグは必需品です。

 

 一家を構えたら、友人たちの来訪が増えた。それはそうであろう。常日頃の彼らの食事は、学食でグラグラする椅子に座ってまずい飯を食うか、学生相手の食堂の背もたれのない椅子に腰掛けて済ませるかしかない。実に味気ないものである。
 それが我が家に来れば、畳に座り、酒を飲んでいるとつまみが出、やがておかずが並び、最後に真っ白いご飯が出てくる。しかも、美味い。
 おまけに、礼人さんの高邁なお話が伺える。足を運ばない方がおかしい。

 中に、沖縄から来ている荒垣君という友がいた。なかなか世慣れていて、故郷から戻ってくると、ウイスキーを1瓶ぶら下げて尋ねてくる。

 「安堂さん、飲みましょうよ」

 というのである。

 何度目だったか、荒垣君が

 「ニンニクはありますか?」

 と聞いた。
 ニンニクは好きである。また、調理には欠かせない材料だ。当然買い置きがあった。

 「あるばってん、どげんして食ぶっと? 焼こか?」

 と聞くと、意外な答えが返ってきた。

 「いや、そのままください。生でかじりながらウイスキーを飲むと、これがまたいいんですよ」

 ニンニクを食卓に出した。荒垣君は器用に皮をむくと、本当にそのままかじり始めた。音をたててかじりながら、

 「うーん、美味い!」

 とつぶやき、ウイスキーのオンザロックをグビッとやる。本当に美味そうである。
 美味そうだと思うと、もうダメだ。

 「へーっ、沖縄ち、ニンニクばそげんして食ぶっとね。よし、俺も食うちみろ」

 私も、荒垣君の真似をして生のニンニクを一口かじった。
 かじって、0.28秒後にはもう後悔していた。
 辛い!
 生のニンニクというのは、とてつもなく辛いのである。

 あわててウイスキーのオンザロックをがぶりとやった。がぶりとやっても、ニンニクの辛みは消えない。かえって、辛みが口中に広がった。水を飲んだ。それでも消えない。舌のしびれも消えない。

 この辛み、舌のしびれが消えるのにどれくらいの時間がかかったか、もう記憶にないが、ずいぶん長い間ひりひりしていたことだけは覚えている。
 以後、生のニンニクは、薄くスライスして鰹のたたきに乗せるときだけと決めている。

 友人と博多の街で食事をするときは、できるだけ新妻も連れて出るようにした。折り紙付きの貧乏学生が、多少豊かな生活をするようになった。できるだけ外に出て、博多の街を味わおうとした。

 とはいえ、材木屋の事務員と学生アルバイトのカップルである。たいしたものが食えるわけではない。炉端焼き、ハンバーグステーキ、スパゲッティ、博多ラーメン、それに例の博多うどん……。幸いなことに、博多には安くて美味しいものが多かった。

 食事を終えて、少し贅沢な気分に浸りたいときは、「ミニヨン」という喫茶店に回った。ここのコーヒーには、普通の喫茶店の3倍ぐらいの価格がついていたが、実に美味しかった。
 まず、炭酸水が出てくる。これで口の中を清浄にし、雑味をなくしてじっくりコーヒーを味わうというシステムをとっていた。豊かさとは、このような楽しみ方をいうのか、と感動した。
 いいコーヒーには、砂糖もミルクも不要であることを学んだのも、この店だった。そう、私はこの店で始めて、ブラックというコーヒーの飲み方を学んだのである。

 こうして、少しずつ、世の中の「美味しいもの」に触れる機会が増えた。私は、やっとグルメ小学校に入学した。

 我々の福岡生活は、ほぼ1年半で終わった。私が無事就職して、福岡を離れたからである。

 

 

(先回り)
計算が合わない?
適当に推測していただきたい。眼光紙背に徹して行間を読むのも、文章の楽しみ方である。
推測の結果をメールしていただいてもかまわない。○か×をつけてお返しする。

 

 博多の街を新妻と出歩いて、我が家の食事に取り入れたメニューがある。今回のレシピは、それを紹介する。

 簡単である。
 キャベツをダシ汁にくぐらせて食べる。それだけだ。

 まず、ダシ汁を作らなければならない。濃いめのダシがいい。昆布より、鰹節の味が強く出ている方が美味しい。このダシ汁に、塩で味付けしておく。塩の強さは各人の好みで決める。
 なお、ダシの取り方は「第4回 :ダシ」を参考にしていただきたい。この中に出てくる「2番出し」をとればいい。さらに鰹節を煮込んでもいい。

 キャベツは、一口大にざく切りにする。好みによっては、一口大に手でちぎってもいい。事前に加工するのが面倒であれば、キャベツの葉っぱを手でちぎりながら食べてもいい。

 このキャベツを、先に作ったダシ汁にチョッポンという感じでつけてそのまま食べる。

 博多の焼鳥屋で出たものである。この店では、直径20cmほどの浅い皿にダシ汁を入れて客の前に置き、キャベツは「好きなだけ食べてください」というシステムだった。

 とにかく、ビールに良くあう。日本酒や焼酎でもいい。

 と書いたら、畏友「カルロス」から、

 「そら、ちょっと違う!」

 と抗議が来た。

 畏友「カルロス」によると、塩だけでダシに味付けすると、お澄ましになってしまう。それではキャベツの味を支えきれるはずがない。従って、塩味は「白醤油」でつけているはずだという。
 議論をしたが、らちがあかない。
 今回は、両論併記で行く。

 ついでに、畏友「カルロス」が、

 「俺のバイト先では、こげんしてキャベツば食わせよった」

 というレシピを紹介する。

 醤油:4カップ
 出汁:3カップ
 味醂:2.5カップ
 米酢:2.5カップ

 以上を鍋にかけ、沸騰しないように気をつけながら15分位煮ます。

 これだけである。こうして作ったスープにキャベツをくぐらせて食べる。好みによって、さらにレモンやカボスを絞り入れる。
 このレシピの要点は、米酢が加わることである。

 「酸味はキャベツに合う」

 というのが、畏友「カルロス」の主張である。

 今回は、ものはキャベツだし、問題はダシ汁の作り方だけだ。すべてを試してみてもそれほどコストはかからない。
 お試しあれ!

 


【初出2003年8月22日】
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