グルメに行くばい!   第2回 :目刺し

 ローマは一日にして成らず

 ローマの歴史は、オオカミに育てられた双子の兄弟、ロムルスとレムスに始まる。
 てな話を長々と書く気はない。関心をお持ちの方は、塩野七生さんの「ローマ人の物語」をお読みいただきたい。全15巻の予定で、現在11巻まで出ている。
 名著である。

 

 

(余談)
第1巻が出る前にお会いした塩野さんは、
「毎年夏に1巻ずつ出す。15巻の予定だから、15年かかる」
とおっしゃっていた。
「そんな面白そうな本、もっと早く書いてよ。途中であなたが死んじゃったりしたらどうするの。読者への責任を果たせないでしょ」
と絡んだら、
「私が死んだ後のことまで、どうして私が責任をとらなくちゃいけないの」
と切って捨てられた。
なるほど、これまでに出た11巻は、確かに、少なくとも1年はかけなければ仕上げられないだろう密度とボリュームを持っている。いつも、ページをめくるのがもどかしいような思いで読み進んでしまう。
このところ、「毎年夏に1巻ずつ」のペースが、やや遅れ気味になっているのが気になる。第12巻を早く読みたい。
これまでで一番好きなのは、カルタゴの名将ハンニバルとローマの戦いを描いた第2巻「ハンニバル戦記」である。この本は、午前9時に読み始めて、その日の午後10時に読了した。

 

 いや、大げさな話になった。言いたかったのは、ローマが一日で成らなかったように、私が「グルメ」になるにも、かなりの時間がかかったということに過ぎない。

 という次第で、しばらく私の食のルーツを探る。
 脈絡のない思い出話になる。ここは、忍耐力と優しさでもってお付き合いいただきたい。

 「三つ児の魂百まで」

 という。
 我が3歳の想い出は……。

 「礼人ちゃんにも目刺しばくれんね。礼人ちゃんも食ぶーごたる!」
 (邦訳:礼人ちゃんにも目刺しをちょうだい。礼人ちゃんも食べたいんだよ)

 親父が庭で、七輪に火をおこして目刺しを焼いていた。まだ3歳、かわいい盛りの私が、そばにいる。

 七輪に乗った網の上に並べられた目刺しは、そのうちいい臭いを漂わせる。焼けたかな、と思ったころ、親父は目刺しを皿に移し、それを持って家に中に引っ込んだ。引っ込んで、あろうことか、1人で目刺しを食い始めた。
 それを追いかけて、自分にもくれとせがんで泣く子。
 親子の、麗しい心の通い合いがある。
 一幅の絵、である。

 当時、我が家は市営住宅に住んでいた。両親と、一人息子(後に弟が誕生)である私の3人家族である。
 「告白」で書いたように、後にはアル中と化してしまう親父も、当時は真面目に中学校の教師をしていたらしい。
 我が生家も、当時はまともだったのだ。

 

 

(疑問)
それにしても、焼いた目刺しを一人で食ってしまう父親って?
(1)目刺しは硬い。可愛い幼子に食べさせるのは、まだ無理だと思ったのか?
(2)自分が食べたくて焼いた目刺しである。当初の方針通り自分一人で食べてしまったのか?
(3)親父から目刺しを分け与えられて舌鼓をうったことを、私が忘れているだけなのか?

確率は、
(3)50%、(2)30%、(1)20%
程度ではなかろうか。

 

 実は、これが最も古い記憶である。

 

 

(余談)
最も古い記憶が食い物の恨み、なんてところは、意味深である。俺は、この原稿を書くために生まれてきたのか?

 

 我が畏友「カルロス」によると、目刺しの極東におけるルーツは朝鮮半島らしい。

 イワシの群が、イルカなどに追われて湾内に逃げ込む。大半はうまく逃げおおせるのだろう。しかし、私やあなたの職場をみても分かるように、群には必ずドジなヤツがいる。ドジなヤツに引きずられてしまうバカなヤツがいる。

 こうしたヤツらが無我夢中で、周囲の状況など無視して逃げるものだから、そのうち勢い余って海岸に乗り上げてしまう。何とか生命を維持しようと必死に逃げているのに、己の生命を維持する必須条件である海水のないところに行き着いてしまうのが、ヤツらのドジさ加減である。
 いるでしょ、そんなヤツ。あなたの周り

 さて、陸に上がってしまったイワシは、当然のことながら、やがて酸欠死する。死体は折からの強い日差しに身をさらす。雨が降ることもあろうが、ここは快晴でないと話が続かない。独断と偏見で太陽を出してしまう。
 こいつらは、自らの意志で、やがて丸干しになる。さらに時間がたつと目刺しになってしまう。

 食べる方からすると、イワシで最も重要なのは鮮度である。とれたての新鮮なヤツを刺身にするのが最も美味しい。
 時間がたつと、臭みが出る。イワシは、極めて傷みやすい魚なのだ。従って、大量に浜に打ち上げられて、勝手に日干しになったイワシには、いつも新鮮なイワシを食べ慣れている浜の人たちは、最初は見向きもしなかったらしい。

 が、いつの時代にも、勇気のある人はいる。いや、無謀な人といった方が適切かもしれない。
 ある人が、乾燥してカラカラになったイワシの遺体を食べたらしい。「らしい」というのは、我が畏友「カルロス」が現場に立ち会ったわけではないからである。従って、その人が男だったか、女だったか、どのような職業の人で、どこに住んでいたのか、年齢は、など詳しいことは分からない。

 「おっ、美味かやなかか!」

 ま、朝鮮半島のことだから、まさか日本語で、しかも私の故郷の言葉で感嘆の言葉を発するわけはないが、このような趣旨のことを言ったらしい。
 その瞬間に、目刺しという食べ物が、世の中に存在することになった、のだそうだ。

 何度も書いているように、私は九州の生まれである。
 九州、特に朝鮮半島に近いところは、人種の坩堝である。原日本人である縄文人と、朝鮮半島を経由して入ってきた弥生人、それに南方からの人たちがここで混血した。私はその子孫としてある。

 我と我が身を鏡で見る。凹凸が少ない、どちらかといえばのっぺりした顔一重瞼絶壁に近い後頭部。私は、弥生人の血を濃く受け継いでいるように見える。大陸系、朝鮮半島系である。
 親父の焼いた目刺しを、我にも食させよと泣き叫ぶのは、やはり血のなせる業だったのであろうか?

 この血は、現在に至るまで我が体内を経巡っている。
 近くのイトーヨーカ堂に買い出しに行く。魚の売り場に、シシャモと目刺し(あるいはイワシの丸干し)が並んでいる。
 が手を出すのは、イワシ系である。
 愚妻が手を出すのは、シシャモである。

 昨夜、いつものように飲みにいった「小菊」で。
 最初の注文は、イワシの刺身だった。次はアジの刺身である。

 生き続ける三つ児の魂、連綿と流れる血の伝承の証だ。

 

 

(注)
小菊=デジキャスの近くにある魚料理店。以前、「K」として日記「中欧編 V : トイレットペーパー」に登場したことがある。魚、酒ともに秀逸。刺身とは、板さんの腕、切り方によって味が変わることを実感した店でもある。

 

 幼稚園に進む直前から、祖父母との3世代同居が始まった。我々が、祖父母の家に移り住んだのである。このころから親父がなぜか酒の世界にのめり込み、暮らしが崩壊し始めたようだが、それはまた別の話。

 この新しい家には、石臼(きね)とせいろがあった。飾り物ではない。実用品である。年末になると、庭に竈(かまど)が作られ、大きな釜に湯を沸かす。沸騰し始めると、上に餅米を入れたせいろを積み重ねる。
 毎年餅をついた。私は、労働力としてこき使われた。

 幼いうちは、餅を丸めるのが仕事だった。
 我が故郷では、餅は必ず丸める。あんこを入れる餅も入れない餅も丸める。のし餅にはしない。つきたての餅の固まりからから1個分だけ餅をちぎり取り、両方の手のひらでくるくると丸くする。
 のし餅を食する地域のような、「手抜き」をよしとする文化は、我が故郷にはないのである。

 小学校3年、4年になると、杵を持たされた。餅を搗(つ)くのである。

 体験された方はご存じだと思うが、餅は最初から搗くのではない。最初はふかした餅米を臼に入れてこねる。杵の根元を持って、餅米を杵で押さえてつぶしていく。ある程度つぶれたところでペッタンペッタン搗きはじめる。

 だから、つきたての餅が、毎年我が胃袋に収まった。あんこの入った餅も、入らない餅も、選り取りみどりだった。
 一番好きだったのは、だが「おこわ」だった。餅米をふかしただけのものである。
 できたてのおこわに、ごま塩をふりかける。餅米の弾力のある歯ごたえ、噛むごとに口中に広がるほんのりとした甘み、そして塩とゴマ。絶妙な組合せである。
 いくらでも食べられる気がした。

 

 

(一口メモ)
畏友「カルロス」によると、昔の人が携行食として利用した糒(ほしいい)は、このおこわを干したものである。水に浸せばすぐに食べられるところが便利だったのだろう。

 

 小学校では給食があった。母親は、子供の昼食を作る手間が省けて楽だったろう。
 だが、中学に無事進級したとき、これで給食と縁が切れる、とホッとした。どのようなものを食べさせられていたかは、押して知るべしである。

 一番ひどかったのは、「ミルク」と呼ばれていた脱脂粉乳である。ふだん貧しい食事をしていて、口が裂けても「グルメ」などと言えなかった当時の私でも、鼻をつまんで口に入れるしかなかった。

 それぐらいなら、飲まずに捨てたらよかろう。
 正論である。先生に

 「飲みなさい」

 と叱られなければの話なのだが。

 必要は発明の母なり。

 飲みたくない私は、やがて素晴らしい解決法を見つけだした。そう、天才的なひらめきは、当時から私の中に生産拠点を置いていたのである。

 当時、我が家は養鶏業のまねごとをやっていた。教師という職業に見切りをつけた、あるいは見切りをつけさせられた親父が始めた。一番多いときで600羽ぐらいいた。
 ひよこで買ってきて、育てて卵を産ませる。いい卵をたくさん産ませるには、栄養管理が必要だ。坂の下の魚屋まで、内臓や骨、頭など、捨てる部分を毎日もらいに行き、庭の大鍋で煮て鶏に食べさせた。私も手伝わされた。バケツに入れた内臓や骨は、どうしようもなく、臭くて重い。

 「先生、うちん鶏にミルクば飲ませたかとですが、持って帰ってよかですか? ミルクば飲ますっと、よか卵の産まるっとですよ」
 (邦訳:私の鶏にミルクを飲ませたいのですが、持ち帰ってよろしいでしょうか? ミルクを飲ませると、いい卵が産まれるのです)

 我が家は、学校の隣だった。教室の窓から、我が家の鶏舎が見えた。先生は、ダメだとは言わなかった。

 翌日から、水筒を持って学校に通った。最初は自分の分だけだったが、やがて、

 「俺んとも持ってって」

 という友が増えた。ミルクの運搬が私の仕事になった。両親は喜んだ。

 

 

(結論)
「ミルク」に辟易していたのは、私だけではなかった。

(カルロスからの手紙)
「ミルクの件ですが、もともと進駐軍が持ち込んだ飼料なのです! ドイツでは、『我々は家畜ではない』と、きっぱり拒否しました。すなわち、貴兄が鶏にミルクを与えた行為は誠に正当な行為であります!」
カルロス、愛国者である。

 

 忌まわしい「ミルク」を飲むことからは、知恵の働きによって解放された。が、効果の高い薬品には副作用が付き物だ。

 

1,
ミルクを詰めた水筒を、何度か教室に置き忘れた。翌朝教室にはいると、異臭が漂っていた。ミルクは腐る。腐ったミルクは、鼻が曲がるほど臭い。化学変化の無情さを思い知らされながら、水筒を洗った。
2,

卵が嫌いになった。
ご存じないだろうが、卵はすべてがスーパーで売られているような形で生まれるのではない。極めて希だが、殻が柔らかいまま生まれてくる卵がある。ブヨブヨした卵である。当然、商品にならない。
生まれ落ちた瞬間に、ひびが入ってしまう卵もある。これも商品にならない。
商品にならない卵は、自家消費するしかない。家族で食べるのである。
卵の価格は、今も昔もあまり変わらない。というより、むしろ今の方が安い。当時、卵は高級品だった。それを毎日食べる。
最初は嬉しかった。ほんの少しだけ、とんでもないお金持ちになったような気がした。
1ヶ月たつと、食べ方に工夫をし始めた。
半年たつと、

「また卵〜」

と文句を言い始めた。
いまだに卵が苦手である。
寿司屋で卵は頼まない。
卵かけご飯なんて、食べたくもない。
卵焼きを食べるヤツの顔が見たい。
でも昨日、愚妻の命令でイトーヨーカ堂に買い物に行き、卵の10個パックを買ってきた。

 

 せっかくだから、最後に「イワシのグラナダ風」という料理のレシピを。

【材料】 イワシ
     ニンニク
     レモン
     パセリ
     シェリー
     ジャガイモ
     タイム
     オレガノ

【作り方】

 

1,

鱗をとったイワシに大量に塩をふり、30分ほどおく。

2,
ニンニク2、3片を包丁の腹でつぶし、みじん切りにする。
3,

フライパンにオリーブオイル(エクストラバージン)を入れ、ニンニクを炒めて焦げてきたら火を止める。

4,

イワシに振りかけた塩を軽く洗い流し、先程のフライパンに重ならないように並べる。
5,

レモン1個分の絞り汁とシェリー酒をその上から注ぐ。全体がひたひたになる程度に。

6,
パセリを大量に刻み、タイム、オレガノと一緒にイワシに振りかける。
7,

蓋をして10分から15分煮込む。

 

 パセリ、タイム、オレガノは臭い消しと考えて欲しい。入れないと、イワシ独特の生臭さが出るようだ。欧州ではそれも味のうちなのかもしれないが、私の口には合わなかった。
 これだけである。ジャガイモは、オリーブオイルで蒸し煮して添えるのだが、これは適当にやってもらえばよい。
 また、シェリー酒の代わりに白ワインを使ってもよい。

 ふだんとはちょっと変わったイワシの楽しみ方をお試しあれ!

 


【初出2003年7月11日】
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