#75 恋人までの距離(ディスタンス)―言葉は嘘の道具

 恋愛とは、存外退屈なものである。初めての恋かも知れない。身を焦がす恋かも知れない。路ならぬ恋かもしれない。最後の恋かも知れない。
 だが、いずれも傍目からは、

 「ああ、そんなもの」

 にしかすぎない。

 出会う。胸に熱い思いが生まれる。何とか相手の心が知りたい、相手の目を自分に向けたい、相手の胸に自分と同じ思いが生まれて欲しい。
 よかった、お互いの気持ちを確かめることができた。2人はときめく時間を共有する。やがておずおずと体を触れ合う。唇をかわす。そして、熱に浮かれたような夜を迎える。
 必死である。私の愛は、2人の恋は、ほかにはない特別なものだ。宿命である。2人は運命の赤い糸で結ばれていた……。

 と思いこむのは勝手だ。だが、傍目から見れば、どこにでも転がっている男と女の結びつきでしかない。世界中でいまも、熱愛中のカップルは五万といる。五万といるのに、ほとんどの恋愛が同じ筋道をたどる。似たり寄ったりで変わり栄えがしない。

 それでも、恋愛は人生に必須のものである。生まれて棺桶にはいるまで恋をしないとすれば、生きる価値はない。だから、人生の一断面を切り取る映画に男と女の関わり合いはほとんど不可欠である。
 ジェームス・ボンドも恋をする。インディ・ジョーンズも恋をする。チャップリンの映画にも、社会派でならすオリバー・ストーン監督の映画にも恋は登場する。一歩進んで、恋する男女(時には違うが……)の派手なベッドシーンを詳細に描いて観客サービスに努める映画も跡を絶たない。
 実人生と同様、映画の世界にも恋の物語は掃いて捨てるほどある。

 だが、ほとんどの恋愛は、全体を彩る1つのエピソードに過ぎない。ほかの要素をすべて捨て去って恋愛だけを描いた映画があっただろうか?
 私はこれまで、恋愛映画というものをほとんど取り上げていない。

 「藍色夏恋」は、恋愛映画というより、青春賛歌である。
 「或る夜の出来事」は、恋愛を1つのモチーフにしながらも、コメディと呼ぶのが相応しい。
 「初恋のきた道」はチャン・ツィーイーを美しくスクリーンに映し出すための映画である。 彼女の切々たる思いは見るものの胸を打つが、男は引きずり回されるだけ。これは断じて恋愛映画ではない。
 「街の灯」は、素晴らしい愛を描いた。が、チャップリンの視野はさらに遠くに届いている。彼が描きたかったのは人の美しさである。
 「ライム・ライト」は、様々な愛を描いた。様々な愛の向こうに見えてくるのは、誰にも避けられない「老い」である。

 

 

(ついで)
新聞連載当時から話題となり、ついには映画にまでなった「愛の流刑地」(渡辺淳一著)は、恋愛小説、恋愛映画ではない。単なるポルノグラフィーである。
H本、H映画が好きな人は多い。だが、書店でもポルノ小説は買いにくいものである。ましてや、ポルノ映画館にはいるには、並々ならぬ勇気がいる。
「私って、Hって思われないかしら? 読みたいけど、それはいやだわ」
でも、高名な作家の著作なら、人目をはばからず買える。その作品の映画化なら、堂々と見ることができる。なにより、彼の作品はポルノ映画館ではなく、普通の映画館で上映され散る。
「私、Hな話が読みたいんじゃないのよ。見たいんじゃないのよ。渡辺さんの名作で人生を考えたいの」
安心して買える。安心して映画館に行ける。
だから、渡辺先生の小説は売れる。映画は成功する。
なかなか商売上手である。

 

 どこにでもある、誰もが経験する、いくつ並べてもたいして変わり栄えしない恋愛を真正面から見つめ、知り合って恋愛に至る過程、男と女の微妙な距離だけを描いてを、観客を2時間惹きつけるのは至難の業なのではないか? だから、恋愛だけを描いた映画は希有なのではないか?

 「恋人までの距離(ディスタンス)」は、恋愛だけを描いた純粋な恋愛映画である。男と女が出会い、惹かれ、相手との距離を測り、縮めようと努め、うまくいって一夜を共にする。どこにでも転がっている男と女の物語なのに、1時間42分が決して退屈ではない。いや、むしろ引き込まれ、見終わったあとにさわやかな共感が残る。


  ジェシーとセリーヌが知り合ったのは、ブダペストからパリに向かう列車の中だった。ドイツ人の乗客夫妻が派手な口喧嘩を始め、すぐ近くにいたセリーヌが席を変えた。通路を挟んだ反対側の席にジェシーがいた。

 

ジェシー:

Do you have any idea what were they arguing about?
(彼らは何で喧嘩してるの?)

 

 2人の会話は、そうやって始まった。ジェシーは翌日アメリカに帰るため、ウイーンに向かうところである。ソルボンヌ大学の学生であるセリーヌはブダペストに住む祖母を訪ねてパリに戻るところだ 。

 食堂車に席を移して話し込んだ2人はすっかりうち解けた。列車がウイーンに到着した。一度列車を降りたジェシーが、セリーヌのところへ戻ってきた。

 

ジェシー:

I don’t really have enough money for a hotel, so I was just walk around, and it would be a lot more fun if you came with me. And if I turn out to be some kind of psycho, you know, you just get on the next train.
(あまり金がないからホテルには泊まれない。だから町を歩き回るつもりなんだけど、君が一緒だと楽しくなる。もし僕の頭がおかしいと分かったら、君は次の列車に乗ればいい)

 

 ジェシーは翌朝9時半のオーストリア航空機に乗る。セリーヌはこの誘いに乗った。知り合ったばかりの2人は、翌朝には翌朝の約束された別れの時間まで、ウイーンを歩き回ることにした……。

 カメラは翌朝までの2人に密着し、淡々と追い掛ける。夾雑物はほとんどない。2人が歩き回りながら過ごした一夜、そして別れ。それが粗筋のすべてである。
 なのに、見終わったあと、「恋人までの距離」の世界からなかなか離れられなかった。何かがフックになって心に食い込んでいるのである。
 これは何だ?

 4、5回見直した。ハタと思い当たった。言葉、である。
 言葉は、人が他者とコミュニケーションをとる、ほぼ唯一の手段である。どのような人間関係も、特に初動段階では言葉に頼らざるを得ない。言葉を通じて自分を表現し、言葉を通じて相手を理解する。
 ところが、言葉が常に真実を伝えるとは限らない。むしろ、しばしば真実を隠す。嘘をつく。人が口にする言葉は、本当と嘘の混成物である。人の本当の思いは、本当と嘘が泳ぎ回る言葉の海を掻き分けた先に現れる。
 「恋人までの距離」が私の心に引っかかったのは、恋愛という最も微妙な人間関係での言葉の泳ぎっぷりに魅せられたからだ。

 ジェシーとセリーヌの言葉は、おずおずと2人の距離を測り、時には真実に触れ、また、時には真実を隠す。ついには胸の内をさらけ出すのだが、さらけ出した胸の内が真実かどうかは、語っている本人にも分からない
 そのもどかしさも、恋愛につきまとうものである。

 汽車で旅をする。隣に素敵な女の子がいる。ちょいと話してみた。おや、話が合う。いいぞ。ひょっとしたら、この娘とやれるかな? やりたい。
 男というものはそう考える。ジェシーもそう考えた。ヒトという種を残すため、神様がそう設計したのである。誰が悪いわけでもない。だから、誘った。

 では女性であるセリーヌは? あとでセリーヌは告白する。

 “Actually, I think I had decided I wanted to sleep with you when we get off the train.”
  (実はね、列車を降りるとき、あなたと寝たいと決めてたの)

 何のことはない、2人とも、ほとんど一目で相手に惹かれていた。まだ恋とはいえないかも知れないが、体は相手を求めていた。
 人間が真実しか語らない生き物なら、その瞬間に2人はセックスできる場所を求めて走り出していただろう。話は簡単である。
 だが、何故か人間はそのように作ってはもらえなかった。

 ウイーンに降り立った2人は彷徨い始める。橋の上で出会った男性2人に、どこか面白いところはないかと尋ねると、ウイーンに来た目的を聞かれた。

 

セリーヌ:
We are on honeymoon.
(新婚旅行なの)
ジェシー:

Yeah, she got pregnant, we had to get married, you know.
(できちゃったんだよ、子供が。結婚せざるを得なかった、って訳さ)

 

 2人には下心がある。が、まだ表に出せるはずがない。表に出せない下心が、会話の端から顔をのぞかせる。こういったら、
 ジェシーはどんな反応を見せる?
 えっ、セリーヌは僕に気があるのか?
 男と女の駆け引きである。

 ジェシーがゲームを提案したのは路面電車の中だった。お互いに質問をしあう。聞かれたら正直に答える。ま、初対面の2人が時間をつぶすのに悪いアイデアではない。
最初の質問者はジェシーである。

 

ジェシー:

Describe for me your first sexual feelings towards a person.
(最初にセクシーだと感じた相手はどんなヤツ?)

 

 露骨な質問だ。ジェシーの関心がどこにあるかを示す質問でもある。この娘、どんな男だったらその気になるんだ?
 水泳選手だった。泳ぐ姿がセクシーだったという。

 

ジェシー:

Well, then I think this is the opportune time to tell you that I happen to be a fantastic swimmer.
(いい機会だから言っておくけど、たまたま僕は泳ぎがうまいんだ)

 

 さて、ジェシーは本当に水泳が得意だったのか? それとも、セリーヌの「抱きたい男」になりたい一心の口からでまかせか?
 言葉とはそのようなものである。

 次はセリーヌの番だ。

 

セリーヌ:

Uh, have you ever been in love?
(恋をしたことある?)

 

 若い2人である。恋愛やセックスに関心を持つのは当たり前である。男女で愛ややセックスを語り合うのも不思議ではない。しかし、普通、初対面で話し合うテーマではない。

 「ひょっとしたら脈がある?」

 2人は先の会話からそう判断した。それで一歩を進めた。

 

 

(余談)
その判断が間違っていれば、恥をかくことになる。それどころか、2人の関係が崩壊する。だが、虎穴に入らずんば虎児を得ず。リスクを取らないことには先に進めない。
そんな体験は、ひょっとしたら貴方にもあるのでは?

 

 どうであろう。ここまで来ればある程度相手の気持ちが読めるはずだ。2人もそう判断した。
 次に向かったのはレコード店である。2人はセリーヌが見つけたレコードを試聴室で聞く。

 

There’s a wind blows in from the north,
And it says that loving takes it’s course.
Come here. Come here.
No, I’m not impossible to touch,
I have never wanted you so much.
Come here. Come here.
Have I never lay down by your side?
Baby, let’s forget about this pride.
Come here. Come here.
Well, I’m in no hurry.
You don’t have to run away this time.
I know that you’re jimmied,
But it’s gonna be all right this time.
北から風が来る
その風が告げる。愛の行方は決まっているの
だから来て ここに来て
違う、私に触れたっていい
あなたがこんなに欲しくなったのは初めて
だから来て、ここに来て
あなたと一緒に横たわったことはなかったかしら?
ねえ、自尊心など忘れましょ
だから来て ここに来て
私、急がない
逃げなくてもいいのよ
あなたは内気ね
でも、今度は大丈夫

 レコードから流れてくるこの曲「Come Here=Kath Bloom」が、2人のいまの思いを象徴する。
 残る作業は確認だ。次に向かった遊園地。大観覧車で、口ごもるジェシーを、セリーヌが助けた。

 

セリーヌ:

Are you trying to say you want kiss me?
(私にキスしたいって言いたいの?)

 

 あとは、ほとんど言葉による前戯といってよい。2人はしゃべった。両親の話、恋愛観、美術について、結婚について、それぞれの過去の恋愛について、男と女、そしてセックスについて。
 言葉が溢れるように口をついて出る。
 圧巻は、深夜のレストランでの会話だ。

 

セリーヌ:
Okay, now I’m going to call my best friend in Paris, who I’m supposed to have lunch with in 8 hours. Okay?
(これからパリにいる親友に電話をするわ。8時間後に一緒に食事をするはずの相手なの。いい?)
ジェシー:
Okay.
(いいよ)
セリーヌ:

Dring-Dring. Dring-Dring. Dring-Dring. Pick up!
(リンリン、リンリン、リンリン。あなた、出てよ)

 

 こんなやりとりから始まる。セリーヌはパリの友達に電話をする。ジェシーがその友達の役を演じる。ジェシーの電話にはセリーヌが応じる。大人の電話ごっこだ。
 あまりに楽しいので、全文を引用する(ただし、フランス語は除く)。

 

ジェシー:
Ahhh…you-a I you know, I’ve been working on my English recently, would you want to talk in English? Just for us?
(私、最近英語を勉強してんの。英語で話さない? 勉強になるわ)
Yeah, okay, that’s a good idea. Ummm… I don’t think I’m gonna be able to make it for lunch today. I’m sorry. I… I met a guy on the train, and I got off with him in Vienna. We are still there.
(ええ、いいわ。いい考えよ。今日はお昼を一緒にできそうにないの。列車でね、男の人にあったの。ウィーンで一緒に降りたわ。まだウィーンにいるの)
ジェシー:
ARE-YOU-CRAZY?
(あなた、頭、どうかしちゃったの?)
セリーヌ:
Probably.
(そうかも)
ジェシー:
We.. wa.. he’s Austrian, he’s from there?
(オーストリアの人?)
セリーヌ:
N-n-n-n-no. He’s passing through here too. He’s American. He’s going back home tomorrow morning.
(ちーがうって。私と同じで通りかかっただけ。アメリカ人で、明日の朝帰国するの)
ジェシー:
Why’d you get off the train with him?
(何でそんな人と列車を降りたのよ)
セリーヌ:
Well… he convinced me. Well, actually I was, I was ready to get off the train with him after talking to him a short while. He was so sweet, I couldn’t help it. We were in the lounge car, and he began to talk about him, as a little boy, seeing his great-grandmother’s ghost. I think that’s when I fell for him. Just the idea of this little boy with all those beautiful dreams. He trapped me.
(説得されたから。実は、ほんの少しその人と話しただけで、列車を降りると決めちゃったの。素敵な人で、止められなかった。食堂車で、彼、自分のことを話してくれた。ちっちゃい時、彼はおばあちゃんの幽霊を見たんだって。その話を聞いた時恋に落ちたのね。美しい夢を持ったちっちゃな男の子。その子がが私を口説いたのよ)
ジェシー:
MmHmm.
(フーン)
セリーヌ:
And he’s so cute! He has beautiful blue eyes, nice pink lips, greasy hair, I love it. He’s kind of tall, and a little clumsy. I like to feel his eyes on me when I look away. He kind of kisses like an adolescent, it’s so cute.
(キュートなのよ。きれいなブルーの目、素敵なピンクの唇、脂っぽい髪、すべていいわ。背が高いけど不器用で、よそを向いている私を見つめている目が好き。少年のようなキスをするわ。キュートなのよ)
ジェシー:
What?
(えっ? 何をしたって?)
セリーヌ:
Yeah, we kissed. It was so adorable. As the night went on, I began to like him more and more. But I’m afraid he’s scared of me. You know, I told him the story about the woman that kills her ex-boyfriend, and stuff. He must be scared to death. He must be thinking I’m this manipulative, mean woman. I just hope he doesn’t feel that way about me, because you know me, I’m the most harmless person. The only person I could really hurt is myself.
(そう、キスしちゃったの。よかった。夜が更けるにつれてますます好きになった。でも彼、私のことを怖がっていないかしら? 別れた恋人を殺す女の話なんかしちゃったから。血も涙もない女だと思って死ぬほど怖がってるわ。そうじゃなきゃいいんだけど。だって、私が誰も傷つけたりしない人間だって、あなたなら分かってくれるはずよ。私が傷つけるのは私だけ)
ジェシー:
I don’t think he’s scared of you. I think he’s crazy about you.
(大丈夫よ。彼、あなたに夢中よ)
セリーヌ:
Really?
(本当に?)
ジェシー:
I mean, I’ve known you a long time, and I got a good feeling. You gonna see him again?
(私、あなたのことずっと知ってるもん。感じいいわ。彼と付き合うつもり?)
セリーヌ:
We haven’t talked about that yet. Okay, it’ your turn. You call your friend.
(まだ、話し合ってないの。さあ、今度はあなたの番。友達に電話をしてよ)
ジェシー:
Uh…
(うーん)
セリーヌ:
Okay?
(いい?)
ジェシー:
Alright, alright. Umm… Uh. Bring-Bring. Uh, I usually get this guys answering machine. Brawwwwwwwwwwng.
(わかった、わかった。リンリン。きっと留守番電話だ。リンリンリンリンリンリンリンリン)
セリーヌ:
HI DUDE! WHAT’S UP?
(お前か、どうした?)
ジェシー:
Uhhhh… Hey Frank, how you been? Glad you’re home.
(やあフランク、どうしてた? いてくれてよかった)
セリーヌ:
Cool. Yeah. So, how was Madrid?
(快調さ。マドリードはどうだった?)
ジェシー:
Uh, Madrid… sucked! You know, Lisa and I had our long-overdue meltdown.
(マドリード? 最悪さ。リサとは切れちゃった)
セリーヌ:
Oh, too bad. I told you, no?
(そいつは気の毒に。でも俺が言ってたとおりだろ?)
ジェシー:
Yeah, yeah, yeah. The long-distance thing just never works. I was only in Madrid for a couple of days. I got a cheaper flight, out of Vienna… but, uh, you know, it really wasn’t that much cheaper. I just, uh… I couldn’t go home right away. I don’t want to see anybody I knew, I just wanted to be a ghost. Completely anonymous.
(ああ、やっぱり長距離恋愛はうまくいかない。マドリードには2日いて安い航空券を買った。ウィーン発だ。あ、いや、それほど安かった訳じゃあない。とにかく、すぐには帰りたくなかった。知ってる奴に会いたくない。幽霊になりたいよ。完璧に誰にも知られない人間でいたい)
セリーヌ:
So, are you okay, now?
(おい、大丈夫か?)
ジェシー:
Yeah, yeah, no, no, yeah, I’m great! That’s the thing, I’m… I’m rapturous. And I’ll tell you why. I met somebody. On my last night in Europe, can you believe that?
(ああ、大丈夫だとも。最高さ。だって、ある人にあったんだ。ヨーロッパ最後の夜にね。信じられるか?)
セリーヌ:
Ah, that’s incredible.
(そいつはすごいな)
ジェシー:
I know, I know. And you know how they say wa’re all each other’s demons and angels? Well, she was literally a Botticelli angel. Just telling me that everything was gonna be okay.
(分かってる差。人は悪魔と天使の顔を持つなんてどうして言うのかな? だって、彼女はボッティチェリの描く天使なんだ。俺を元気にしてくれる)
セリーヌ:
How did you meet?
(どうやって知り合った?)
ジェシー:
On the train, Yeah, she was sitting next to this very weird couple who started fighting so she had to move. She sat right across the aisle from me. So, we started to talk, and, uh, she didn’t like me much at first. She’s super smart, very passionate, um,.. and beautiful. And I was so unsure of myself. I thought everything I said sounded so stupid.
(列車だよ。彼女、変なカップルの隣に座っていて、そのカップルが喧嘩を始めたんだ。それで通路を挟んで僕の隣に座った。だから何となく話し始めたのさ。最初は僕のことを気に入らないようだった。すごく頭がよくて、情熱的で、それに美人と来てる。おれ、自信がなくてね。俺の話って馬鹿みたいって思われそうで)
セリーヌ:
Oh, man, I wouldn’t worry about that.
(そんな心配、するもんじゃないって)
ジェシー:
No…
(だけどな……)
セリーヌ:
No. I’m sure she was not judging you. No… And by the way, she sat next to you? I’m sure she did it on purpose.
(そんなこと、彼女は思いはしないって。それに、彼女、お前の隣に座ったんだよな? きっとわざとだぜ)
ジェシー:
Oh, yeah?
(そうかな?)
セリーヌ:
Yeah. Us men are so stupid. We don’t understand anything about women.
(そうさ。俺たち男って頭が足りないんだ。俺たちには女なんて分かりっっこない)
ジェシー:
MmMmmm.
(うーん)
セリーヌ:
They act kind of strange. The little I know of them. Don’t they?
(やつら、変なことばかりやる。ちっとも理解できない。そうだろ?)
ジェシー:

Yeah.
(そうだな)

 

 いささか長すぎた引用かも知れない。だが、ゲームを装いながら、本音を語る。面と向かってはいいにくい思いを伝える。恐らく最後に発する

 I love you.

 という、あまりにも単純な表現の陰には、これだけの思い、計算、内面のドラマがある。男と女が出会って恋に落ちるまでのドラマである。
 自分の経験と照らし合わせながら、じっくりと味わって頂きたい。そして、いまの相手との会話に、もしくは次の機会を生かすために活用して頂きたい手法でもある。

 

 

(余談)
私も試みてみたい。
It’s too late.
であることは充分に承知しているが……。

 

 お互いの思いは確かめ合った。が、2人はあるドグマに捕らわれていた。

 

セリーヌ:

After tomorrow morning, we’re probably never going to see each other again, right?
(朝が来たら、もう2度と逢わないのよね、そうでしょ?)

 

 2度と逢わない。それが暗黙の了解だった。もう逢うことはないと思う切迫感が、短い時間で思いの丈を伝えさせた。そうでなければ、もっと時間をかけて、ゆっくりと知り合っていたはずである。

 そして、ずっと間延びしたドラマになっていたはずだ。男と女が出会い、愛を育む課程を、「恋人までの距離」はわずか半日に凝縮して見せた。これ以上ないほどまでに濃縮された時間が、求め合う男と女をくっきりと描き出す。この映画の最も優れたところである。

 だが、確かめ合った愛が生きる時間はほとんど残されていない。朝になれば2人は別れ、2度と逢わないのだ。2人にはどんな選択肢があるのか?

 未明。ワインを携えて公園の緑地に寝そべった2人は、やがて来る夜明けを恐れるように語り合う。

 

ジェシー:
But being with you, uh, it’s really feel like I’m somebody else. You know the only other way to lose yourself like that is, um, dancing, or alcohol, or drugs, and stuff like that.
(でも、君といると、僕は別人になれる。これほど自由にしてくれるのは、ダンスや、酒や、ドラッグぐらいしかない) 
セリーヌ:
Fucking?
(セックスは?)
ジェシー:
Fuh… fucking? Yeah, that’s one way, yeah.
(セ、セックスね。そいつもそうだね)
セリーヌ:
Do you know what I want?
(ねえ、私がしたいこと、分かる?)
ジェシー:
What?
(さてね?)
セリーヌ:
To be kissed.
(キスして)
ジェシー:
Well, I can do that.
(そうか、それくらいなら僕にだってできる)
セリーヌ:
Wait! I have to say something stupid.
(待って。馬鹿なことを言わなくちゃ)
ジェシー:
Alright.
(いいよ)
セリーヌ:
It’s very stupid.
(本当に馬鹿らしいことなの)
ジェシー:
Okay.
(かまわないよ)
セリーヌ:
I don’t think we should sleep together. I mean, I want to, but since we’re never gonna see each other again… it’ll make me feel bad. I won’t know who else you’re with. I’ll miss you. I know. It’s not very adult. Maybe it’s a female thing, I can’t help it.
(私たち、セックスしちゃいけないと思うの。ていうか、私はしたい。でも、私たち、2度と逢わないでしょ? しちゃうとつらくなる。あなたが誰と一緒にいるか分からない。きっとあなたが恋しくなる。わかってるわ、子供っぽい戯言だって。そう思うのは女だけかも知れないけど、どうしようもないの)
ジェシー:
Let’s see each other again.
(また逢えばいいじゃない)
セリーヌ:
No, I don’t want you to break our vow, just so you can get laid.
(だめ、逢わないわ。私と寝るために誓いを破って欲しくない)
ジェシー:
I don’t want to just get laid. I want to um, I mean, I mean, I think we should. I mean, we’ll be done in the morning, right? I think we should.
(寝たいっていうんじゃないんだ。つまり、何というか、寝るべきだと思うんだ。つまり、僕ら、朝までだろ? そうすべきなんだよ)
セリーヌ:
No, then it’s like some male fantasy. Meet a French girl on a train, fuck her, and never see her again. That would be this great story to tell, I don’t want to be a great story. I don’t want this great evening to just have been for that.
(だめよ。そんなの、男の夢じゃない。フランス女に列車であって、彼女とやって、あとは2度と逢わない。男にとっては自慢話になるでしょうけど、私、自慢話のネタになるのはごめんよ。こんな素敵な夜をそんな風にしないで)
ジェシー:
Alright, alright, alright, alright. Okay.
(わかった、わかった)
セリーヌ:
Okay?
(いいのね?)
ジェシー:
Okay. We don’t have to have sex. It’s not a big deal.
(いいよ。セックスなんかしなくていい、たいしたことじゃない)
セリーヌ:
Okay. You don’t want to see me again?
(そう。ねえ、もう私に逢いたくないの?)
ジェシー:
No, of course I do. Listen, if somebody gave me the choice right now, of to never see you again or to marry you, alright, I would marry you, alright. And maybe that’s a lot of romantic bullshit, but people have gotten married for a lot less.
(いや、もちろん逢いたいさ。もしいま、君と2度と逢わないか、それとも君と結婚するか、を選ぶとしたら、僕は君と結婚する。ロマンチックなとんちんかんかも知れないけど、もっとたいしたことない理由で結婚する奴なんていっぱいいるんだから)
セリーヌ:
Actually, I think I had decided I want to sleep with you when we got off the train. But now that we’ve talked so much, I don’t know anymore. Why do I make everything so complicated?
(実はね、列車を降りるとき、あなたと寝たいと決めてたの。でも、あなたとたくさん話したら、私、どうしたらいいか分からなくなった。私って、どうして話をややこしくするのかしら?)
ジェシー:

I don’t know.
(僕には分からないさ)

 

 To do or not to do. That is the question.
 恐らく2人は、ハムレットの心境だった。恋愛にセックスは不可避か否か。もう2度と逢わないという条件が加わったらどうか? 衝動は体の奥底から沸き上がり、押さえがたいほどだ。 なのに、彼らは語り合う。語り合って、自らを相手の前にさらし続けるのである。
 そして……。

 恐れていた朝が来て、2人は駅頭に向かう。列車に乗るセリーヌをジェシーが見送る。

 

ジェシー:
I hate this.
(別れは苦手だなあ)
セリーヌ:
Me too. My train is about to leave.
(私もよ。もう列車が出るわ)
ジェシー:
Yeah. Listen. Listen. You know all this bullshit we’re talking about, about not seeing each other again? I don’t want to do that.
(そうだね。ねえ、聴いてくれ。もう2度と逢わないって馬鹿話をしてきたけど、僕はそうしたくない)
セリーヌ:
I don’t want to do that either.
(私もよ)
ジェシー:
You don’t either?
(君も?)
セリーヌ:
I was waiting for you to say something.
(そういってくれるのを待ってたの)
ジェシー:
Well, why didn‘t you say something?
(じゃあ、君が言えばよかったのに?)
セリーヌ:

I was afraid maybe you didn’t want to see me.
(あなたがいやがるんじゃないかと怖かったの)

 

 セリーヌが乗る列車の発車間際の会話である。まあ、そうなのだ。恋する男女に限らず、心の底に秘めた思いが吹き出すには、せっぱ詰まった瞬間をたねばならないのである。
 こうして2人は半年後の再会を約束して別れる。映画はここで幕を閉じる。暖かい空気が私をスッポリ包んでくれる。

 だが、である。この2人、半年後に本当に再会するのだろうか?
 先に、言葉が常に真実を伝えるとは限らないと書いた。そう、言葉は嘘をつく道具なのだ。そして具合が悪いことに、他人に対して嘘をつくだけでなく、自分に対しても嘘をつく。激情に駆られて自分が口にした言葉が、冷静になった瞬間に寒々とした色合いで立ち現れてくる。恐らくすべての方に苦い経験があるはずである。

 いま2人は、濃縮された時間の中で自分の心の内をすべてさらけ出せたと思って別れた。半年後に約束した再会への期待、喜びが胸の内で灯っているはずだ。
 でも、3日たったらどうだろう。3週間後は? 3ヶ月たったら?
 なぜあの時、あんなことを言ってしまったのだろう? 約束してしまったのだろう? という後悔の念に捕らわれないという保証はどこにもない。人と言葉との付き合いは、そのようなものである。
 この2人、半年後に本当に再会するのだろうか?

 「恋人までの距離」には続編がある。「ビフォア・サンセット」という。2人が約束通り再会したかどうかが気になる方は、そちらも見て頂きたい。

 いまのところ、私はまだ見ていないが。

 

 【メモ】
恋人までの距離(ディスタンス)(BEFORE SUNRISE)
 1995年9月公開、102分

監督:リチャード・リンクレイター  Richard Linklater 
出演:イーサン・ホーク Ethan Hawke=ジェシー
   ジュリー・デルピー  Julie Delpy=セリーヌ


【初出2007年3月11日】
▲【シネマらかす】にもどる                 

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