#72 エデンの東 ― 赤狩りの余波

 ドキッ。
 私の小さな胸で、心臓が大きな音を立てた。甘酸っぱい痛みが広がる。恋のときめきにも似た心臓の鼓動である。
 映画を見てこんな気持ちになったのは、「シネマらかす #16 初恋のきた道」以来だ。自宅に駆け戻った章子怡(チャン・ツィイー)が戸口にたたずんで自分の家を見回すシーンである。あの瞳の輝き、心の奥底から沸き上がってくる幸せで溶けそうな表情。あの瞬間、私は章子怡(チャン・ツィイー)に惚れた。
 「エデンの東」には、残念ながら絶世の美女、章子怡は登場しない。代わって私の胸をときめかせたのは、ジェームズ・ディーンだった。ヘテロセクシュアルを自認し、公言する私が男に痺れる? 不覚である。だが、たった1つの仕草が、何とも格好よかったのだ。
 恐らく、近いうちに私はこの仕草を真似る。真似て、1人悦に入り、ニンマリ笑う。そんな予感がする。
 そのシーンとは……。

 キャルは、カリフォルニア・サリナスでレタス農場を営むトラスク一家の困り者である。
 なにしろ、父のアダムは心底キリスト教を信じ、何かというと聖書を読む。広大な農場を経営しながら金銭には価値をおかない。厳格で妥協知らず。こういう人にはありがちなのだが、自分の正義を家族に押しつける。絵に描いたような厳父である。
 双子の兄、アーロンは父の生き写しだ。真面目で素直、父を疑わない。父の価値観を受け継ぎ、いつけには素直に従う。絵に描いたような優等生とは、彼のためにある表現だ。ただ、感受性と想像力に欠ける。優等生の通弊である。
 キャルには生まれつき、豊かな感受性と想像力があった。聖書に登場するような家族に、キャルはなじめない。何かが違う。嘘っぽい。自分に正直に生きるキャルは浮き上がってしまう。
 母はいない。父によると、母ケイトは2人を産み落とすと間もなく死んだ。
 「エデンの東」は、そんな家族の物語だ。

 父は規格はずれのキャルが疎ましい。キャルは父の愛と関心がほしい。だが、何をやっても、何を言っても、父はますます疎ましがるだけである。

 1つの価値観、ドグマの中で生きると真実が見えない。地球が太陽のまわりを回っている事実から人々の目を塞いでいたのは、キリスト教だった。真実とは、世を縛るドグマから飛び出して初めて手にできるものなのだ。
 トラスク一家で飛び出せたのはキャルだけだ。キャルは死んだはずの母親が実は生きており、山向こうの港町、モンタレー暮らしていることを知る。彼女は売春宿の経営者だった。

 キャルに事実を突きつけられて父は事実を認めた。あいつは2人を産んですぐに家を出た。東に行くといった。後は知らない。頼む、アーロンには内緒にしてくれ。
 厳格な父が築いてきた家庭の秩序は嘘に支えられていた。嘘が暴かれ、秩序が壊れ始める。

 同じ頃、父の事業も危機に陥る。
 レタス農園を経営する父にとって、労働は尊いもの、世のため、人のためになすべきものだ。キャルが、

 “I read in a Monterey Newspaper that we get into this war.”
 (モンタレーの新聞で読んだんだけど、アメリカも参戦するんだって)

 と新知識を披露し、参戦すれば豆やトウモロコシが高騰する。一財産作るチャンスだ、と持ちかけても、

 “I’m not particularly interested in making profit, Cal.”
 (私はね、キャル、利益を上げることにはそれほど関心がないんだよ)

 と取り合わない。
 代わりに父が手がけたのは、レタスの氷漬け出荷である。長期間鮮度が保てるから、冬場に野菜を求めるニューヨークに出荷できて喜ばれる。これぞ世のため人のためなのだ。
 ところが計算がはずれる。氷漬けしたレタスを送り出した汽車が雪崩で足止めを食い、氷が溶けてしまったのだ。レタスは全滅である。
 父は、蓄えの大半を失った。

 アーロンも崩壊の渦に巻き込まれる。
 きっかけは、恋人のアブラだった。アブラは当初、変わり者のキャルを恐れた。だが、いつの間にか心がなびいた。驚いたことにアブラは、アーロンには話せないことも、自分の弱さを隠さないキャルになら話せた。キャルといると自由に呼吸できた。まるで聖書に出てくるような愛し方しかできないアーロンに壁を感じていたのだ。
 キャルへの思いが愛に変わった。アーロンは恋人の座を滑り落ちた。

 そして父の誕生日、トラスク一家に崩壊が訪れる。
 キャルはアブラの助けを借りて誕生パーティを準備し、父とアーロンの帰りを待った。プレゼントも用意した。これで認めてもらえる。愛してもらえる。ワクワクしながら父の帰りを待った。
 プレゼントを父に差し出した。



父:
What’s this? What is this? 
(これは何だ?)
キャル:
Well, I made it. And it’s for you. It’s all the money you lost in the lettuce.
(あー、僕が稼いだんだ。プレゼントだよ。レタスの失敗でなくした金の埋め合わせにしてよ)
父:
You made it?
(お前が稼いだって?)
キャル:
Yeah.
(そうさ)
父:
But, how?
(だが、どうやって?)
キャル:
Beans.
(豆さ)
父:
Beans?
(豆?)
キャル:
We bought futures at five cents and war came along, and the price went sky high. So that’s for you. It’s all the money you lost in lettuce business. That’s for you. I made it for you.
(5セントで豆を買っておいたんだ。戦争が始まったら豆の価格が暴騰した。だからお父さんにあげるんだ。レタスでなくした金の穴埋めだよ。お父さんの金なんだ。お父さんのためにやったんだ)
父:
Cal, you would have to give it back.
(キャル、この金は返してきなさい)
キャル:
I made it for you and I want you to have it.
(お父さんのためを思ったんだ。お父さんに受け取ってほしいんだ)
父:
You will have to give it back.
(キャル、返すんだ)
キャル:
To who? I can’t give it back.
(誰に? そんなことできないよ)
父:
To people you get it from.
(お前が金を奪い取った人々に、だ)
キャル:
British ????? agency? I can’t give it back to them.
(イギリスの調達局に返すの? そんなことできないよ)
父:
Then give it back to the farmers you robbed.
(だったら、お前に盗み取られた農民たちに返しなさい)

キャル:

We didn’t robbed. We paid two cents over market for the stuff.
(盗んでなんかいない。市場価格より2セント高く買ったんだ)
父:

Cal, I signed my name and boys go out and some died and some live helpless without arms and legs. Not one will come back untorn. Do you think I could take a profit ???? from that? I don’t want the money, Cal. I couldn’t take it. I thank you for the thought. I’ll never take it, son. I’d be happy if you’d give me something like, well, like your brother’s gave me. Something honest and human and good. Don’t be angry, son. If you want to give me a present, give me a good life. That’s something I could value.
(キャル、私がサインをして少年たちが戦場に行った。死んだ者も手足をなくした者もいる。1人として無事に戻った者はいない。それなのに、戦争で儲けた金を私が受け取れると思うのか? 金はほしくない。キャル、受け取るわけにはいかないんだ。お前の気持ちは嬉しく思う。だが受け取らない。兄さんがくれたようなプレゼントだったらよかった。正直で、暖かくて、素晴らしいものだ。起こってくれるな。もし私にプレゼントがしたいのなら、素晴らしい人生をくれ。それなら素直に喜べる)

 

 キャルは絶望した。父は僕を認める気はない。絶対に僕を愛してくれない。

 “I hate you!”
 (大嫌いだ!)

 と叫びながら家を飛び出したキャルを追いかけたのはアブラだった。それを見たアーロンは激怒する。

 “Don’t you ever touch her again. I don’t trust you. You are no good. You are mean and vicious and wild.”
 (2度と彼女に触れるな。お前は信用できない。お前はワルだ。卑しくて、扱いにくく、乱暴だ)

 双子の兄弟が対立する。キャルも激怒する。何言ってやがる! お前の目には本当のことなんか見えてないじゃないか。

 “You wanna go some place with me, Aron? Can you look at the truce just once?”
 (俺とに付き合う気はあるか、アーロン? 一度でも真実を目にする勇気があるか?)

 キャルは、母ケイトが経営する売春宿にアーロンを伴い、ケイトの前に放り出す。

 “Mother, this is your other son Aron. Aron has everything that is good, mother. Say hello to your mother !”
 (ママ、これがもう1人の息子、アーロンさ。アーロンは善の塊だ。ほら、ママに挨拶しないか!)

 汚れを知らない人間はひ弱だ。
 死んだはずの母が生きていた。しかも、売春宿の経営者! アーロンの神経はズタズタになった。浴びるほど酒を飲み、兵役に志願して戦場に向かう。アーロンは父にならって、この戦争に反対していたのだが。

 それを知った父は、アーロンを引き留めるべく駅に向かう。だが、アーロンは父の言葉に耳を貸さない。列車が出発すると、父はショックで倒れてしまう。
 こうしてキャルは、寄り添うアブラとともに、病の床に伏す父に向き合うことになった……。

 兄弟間の葛藤を描いたこの映画は、旧約聖書のカインとアベルの物語を下敷きにしていると解説されることが多い。まあ、キャルとアーロンの関係に焦点を絞ればそう見えないこともない。
 だけど、本当にそうか? 何度見ても、私には兄妹喧嘩というチマチマした枠に収まらないテーマが見えてしまうのだ。
 理念と現実の対決、である。そして現実主義の勝利である。

 理念は、父アダムと、その申し子アーロンのものだ。
 現実の側に立つのは、キャル、それに理念の世界から現実の世界へ足場を移すアブラだ。母のケイトもこちらの人間だ。
 映画はこの対立を軸に描かれる。

 父は敬虔なプロテスタントである。労働を尊び、金銭欲がない。戦争を利用して一財産作ろうというキャルの提案に取り合わず、キャルが投機で稼いだ金を受け取らないのはその現れだ。
 無断外泊したキャルへの罰は、聖書の朗読である。あまりのばかばかしさにキャルが反抗すると、お説教が来る。

 “Cal, listen to me. You can make of yourself anything you want. It’s up to you. A man has a choice. That’s where he is different from an animal.”
 (聴くんだ、キャル。お前はその気にさえなれば何にだってなれる。すべてはお前にかかっている。人間は選ぶことができる。それが動物との違いだ)

 これが父の信条である。

 母ケイトが家を出たのも父が原因だった。ケイトはキャルにいう。

 “Always so right himself. Knowing everything. Reading a Bible at me.”
 (いつも正しかった。すべてを知っていた。私に聖書を読んでくれた)
 “your father is the purest man there is, isn’t he?”
 (あなたのお父さんって、世界一純粋な人だと思わない?)

 まあ、自分が常に正しいと信じ込み、あれこれと指図する人間はイヤなものである。束縛を嫌うケイトは、だから子供を産むとすぐに家を出た。止めようとしたアダムを銃で撃って。

 アーロンがアブラに寄せる愛には、肉体の香りがない。だからアブラは満たされない。私はアーロンにとっての母親代わりに過ぎない。彼の愛は、男と女の愛ではない。アブラがキャルに心を移す遠因である。

 欧州戦線で米軍は苦戦し、12万人が捕虜になった。町にはドイツ憎しの気分が高まり、ドイツ系住民への嫌がらせが始まる。
 その日、キャル、アーロン、アブラの3人は遊園地にいた。そんな場所でも、反ドイツ演説が始まる。ドイツ系のアルプレクトは祖国へのいわれもない非難に反発し、聴衆の輪を抜け出して自宅に戻る。正義の人アーロンはアルプレクトを追い掛け、声をかける。

 “Calm down. They are not bad.”
 (落ち着いてください。彼らも本気じゃないんです)

 ところが、聴衆はアルプレクトに襲いかかる。アーロンは彼らを説得しようとするが、集団ヒステリアに陥った群衆に聞く耳はない。勢いに任せて庭を荒らし始める彼らを、アーロンは呆然と見つめるだけだ。
 そこにキャルが飛び込み、庭を荒らす連中と殴り合いを演じる。体を張ってアルプレクトを守る。 お高くとまった説教なんて、何の役に立つんだ?

 一方のキャルには、信じるもの、守るべき価値などない。いつも自分に従うだけである。現実主義とも場当たり主義ともいえる。
 レタスの氷漬け出荷に取り組む父に、戦争を利用して豆に投資すれば濡れ手で粟の儲けができると持ちかける。母が生きていて、売春宿を経営していることを知ってもたじろがない。現実主義の強みである。アブラがアーロンからキャルに乗り換えるのも、キャルは自分を解放してくれると感じたからである。
 そして最後には、キャルは父の愛をも獲得する。

 「エデンの東」でエリア・カザン監督が訴えかけるのは、ドグマからの解放である。あらゆるドグマは人間を脆弱にする。理念、思想、信条、そんなものはろくなものではない。民衆のためにだって? 奴らはいつ暴徒と化すか分からない不逞の輩の集まりだ。現実を直視せよ! 現実に押しつぶされない自己を形成しろ! 自由に生きろ!

 どうであろう。これは「カインとアベル」の焼き直しではない。

 元共産党員だったカザン監督は1952年、非米活動調査委員会(HUAC)で、かつての仲間を共産主義者として名指しすることで、赤狩り旋風が吹き荒れるハリウッドを生き延びた。あるいは、まっとうな理由があったのかも知れない。だが、かつての仲間を裏切った事実に代わりはない。第2次世界大戦が終わり、世界の対立軸として共産主義か否かが浮かび上がった時代の出来事である。
 カザン監督は、前作「波止場」では裏切りにも正当な理由があることを描いた。
 「エデンの東」はそれに続く作品だ。前作では不十分と見たのか、今度はドグマ=共産主義に染まった生き方を取り上げ、貶めた。自らの選択が正しかったことを観衆に納得してもらいたかったと見るほかない。

 エリア・カザン監督は名手である。うかうかしていると、カザン・ワールドに圧倒される。だが、少し目をこらせば、この映画は違って見えてくる。

 まずカザン監督は、理念の世界を代表する父を貶めなければならなかった。ドグマのくだらなさを観客に納得してもらわねばならなかった。そのため、どう考えてもありそうにない性格を父に与えた。エゴイスト、である。
 米国が参戦して、サリナスからも若者たちが徴兵される。父は徴兵委員会(draft board)の責任者になる。他人の子供を戦場に送る書類にはきちんとサインをする。なのに、自分の2人の息子は決して戦場に送らない。自分に与えられた責任を特権と取り違えるのである。そして、苦しむ様子も、自己嫌悪に陥る様子も見せない。
 理念とか正義とかいうやつは、その程度のインチキなものさ。カザン監督はそういいたいのだろう。だが、他のすべてが厳格なこの父がそんな卑劣な真似を自分に許すだろうか?

 ジェームス・ディーン演じるキャルは、人間の魅力がたっぷりだ。剽軽で、ナイーブで、現実にたじろがず、何物にも頼らず、自分の足で立って自分の人生を切り開こうとする。荒削りだが素敵な青年である。
 だが、よくよく考えるとろくな男ではない。宗教心がないのはまあいい。近所の若き乙女たちと適当に遊んでいるらしい。これも、若さの一環としてどこにでもあることだ。
 その男が、戦争を利用して一儲けする。それが父の怒りを呼ぶ。
 無論、戦争が始まったのはキャルの責任ではない。キャルが豆に投資しなくても、誰かが豆を買い占めて大儲けしたはずだ。でも、だからキャルは許されるのか?
 我々は、戦争を利用して金儲けをする連中を「死の商人」と呼ぶ。銃を作り、飛行機を作り、爆弾を作って戦争を心待ちにする人々を、ボブ・ディランは「Masters Of War」と呼び、

 

 And I hope that you die  
 And your death'll come soon
 I will follow your casket
 In the pale afternoon
 And I'll watch while you're lowered
 Down to your deathbed
 And I'll stand over your grave
 'Til I'm sure that you're dead.
あんた、死んでくれ
早く死んでくれ
あんたの棺桶をつけて行こう
薄ら寒い午後のことだ
俺は見守ってやる
あんたが死の床に降ろされるのを
俺はあんたの墓に立ちつくす
あんたが間違いなく死んだのが分かるまで

 

 と激しく憎んだ。
 キャルと同年代の青年たちが戦場で銃弾に身をさらし、死の恐怖と闘い、傷つき、倒れている。そんな時に、戦場から遠く離れ、全く危険のないところで平和を満喫しながら金儲けに邁進する。キャルは銃も飛行機も爆弾も作らなかったが、立派なMaster of warではないのか?
 信条に従う生き方を貶めたいカザン監督は、とんでもない男をヒーローにしてしまった。それとも、あらゆる機会を捉えて金儲けして何が悪い、というのがカザン監督の信条なのか?
 ケイトの生き方も、カザン監督は肯定する。職業に貴賤上下の差別はない、とでもいうのだろう。あなたは彼の主張を認めますか?
 私は思う。ケイトが売春婦だったらまだ理解できる。だが、自ら春を売って暮らしを立てるのと、春を売る女たちを管理して利益をむさぼることは違う。後者は蔑むべき生業である。
 自らの弁明に懸命なカザン監督は、引き入れてはいけない人間を自ら陣営に呼び込んだ。
 

 ジェームズ・ディーンという、彗星の如く現れたスターを使いながらも、カザン監督の自己弁護の目論見は無惨な結果に終わった。

  と思う。でも、やっぱりあのシーンにだけはドキンとしてしまったのである。
 
 アルプレクトを救いに入ったキャルは、ジャケットをアブラに預けていた。それを見てキャルに詰め寄ったアーロンを、キャルは思わず殴りつけ、その足で近くのバーに走り込んでウイスキーを注文する。
 その次のシーンである。
 ウイスキーが入ったタンブラーに、キャルは右手の中指を差し込んでグラスの外に残った人差し指、中指ではさみ、グイッと持ち上げて一気に飲み干す。
 これが何とも格好いいのだ!
 アーロンを助けようと思って騒ぎに飛び込んだ。なのに、そのアーロンを殴り倒した。殺してやろうとさえ思った。俺は何をやってるんだ? 
 キャルの絶望と苛立ちが、この仕草1つで見事に伝わる。このシーンに、ジェームズ・ディーンの仕草に、私は痺れてしまったのである。
 カザン監督には、間違いなく才能がある。

 それだけに、カザン監督が弁明と自分の正当化に汲々とするこの映画には、無惨さを感じる。残念である。

 

 【メモ】
エデンの東(EAST OF EDEN)
 1955年10月公開、115分

監督:エリア・カザン Elia Kazan 
原作:ジョン・スタインベック John Steinbeck 
出演:ジェームズ・ディーン James Dean=キャル
   ジュリー・ハリス Julie Harris=アブラ
   レイモンド・マッセイ Raymond Massey=父、アダム・トラスク
   リチャード・ダヴァロス Richard Davalos =兄、アーロン


【初出2006年12月10日】
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