#54 : アラバマ物語 − 糖衣錠

 古(いにしえ)の人はすごい。思わずうなってしまうほどの警句を数多(あまた)残した。人と、人の世の真実を抉る珠玉の短文である。
 
 良薬は口に苦し
 
 も、その1つだ。良く効く薬は、限りなく苦い。この苦さに耐えて飲み下さねば、健康は回復できない。
 深い言葉である。
 
 「あたし、優しい人が好きです」
 
 なんて脳天気なことをいってるそこのお嬢さん。優しいだけの男なんて、単なる甘いだけの砂糖水だって。根性はない。自信もない。いや、ひょっとしたら、したたかな下心を持って接近しているだけだぜ、そんなヤツ。
 男は見た目より、中身で選ばなくちゃ。無口でもいいじゃないか。ぶっきらぼうのどこが悪い。口が悪かろうと、付き合いにくかろうと、そんなことは問題じゃない。たまに叱られたり殴られたりしたって、我慢しなきゃ。本物の男って、どこかに厳しさを持ってるもんなんだよ。でも、心の奥底には、限りない愛を持ってるんだぜ。そんな男に惚れなきゃ。
 なんてなことも、この言葉は教えてくれるのであります。
 
 だが、人類の知恵には限りがない。良薬は苦いという絶対的な真理を、軽く乗り越えるヤツがいたらしい。
 
 「効くけど苦い薬? そんなもん、飲みたくないよなあ。苦いより苦くない方がいいに決まってる。だったら、子供でも飲めるように、苦くないようにしたらいいジャン」
 
 こうして、糖衣錠が生まれた。苦い薬を甘い衣で包む。口に入れたときは甘い。苦い中身が出てくるころには、薬は胃に収まっている。幸いなことに、胃には味蕾がない。良薬は口に甘い時代となったのである。
 どこの誰が考えたか知らんけど、あんたは偉い!

 

 

(余談)
とすると、いま、男の中の男って、どんな男なんだろう?

 

 「アラバマ物語」は、糖衣錠タイプの映画である。口当たりの良い、心温まるヒューマンドラマに見せかけながら、その奥に劇薬が隠れている。人類が金科玉条としてきたテーゼ、
 
 汝、殺すなかれ
 
 に真っ向から刃向かい、
 
 悪いヤツは殺してもいい
 悪いヤツを殺した人間の罪は問うべきではない
 
 というメッセージを、甘い衣に包んで観客の体の隅々まで送り届けようというのである。

 

 

(お断り)
アクション映画や刑事物などでは、悪人が次々と殺されます。従って、悪人は殺してよいというのは、この映画だけのメッセージではありません。しかし、それらの映画は特殊な状況と、特殊な殺されるべき人間を創造し、観客のカタルシスと快感を呼び起こすのが狙いです。絵空事といってもよろしいかと思います。
しかし、ご覧になればおわかりいただけると思いますが、この映画で描く悪は、ごく普通の、日常生活の中にあります。同じようなことが、明日にも自分の身に降りかかりかねないリアリティがあります。それだけに、重いメッセージなのです。

 

 舞台は米国南部のアラバマ州メイコムという静かな町だ。黒人への根深い差別と偏見が生きる町でもある。時代は米国が大恐慌に沈んだ1932年。
 
 ある日、黒人のトム・ロビンソンが逮捕される。独身の白人女性、メイエラへの暴行・強姦の疑いである。その弁護を任されたのが、妻を亡くして子供と3人で暮らす弁護士、アティカスだった。
 彼の子供たちは、彼を"Daddy"とも"father" とも呼ばない。ファーストネームで「アティカス」と呼ぶ。
 アティカスは子供たちを叱らない。叩かない。代わりに説得する。まあ、正義と、良識と、良心と、平等思想と、民主主義が洋服を着て歩いているような男である。
 加えて、銃の腕前は州でもトップレベルにある。どこから見ても非の打ち所のないスーパーマンである。
 無論、メイコムに根強い黒人差別からも自由である。
 
 調べを進めたアティカスは、トムへの疑いは冤罪であると確信する。男に全く見向きもされないメイエラがトムを誘惑し、その現場を父のユーエルに見られた。ユーエルは烈火のごとく怒り、逃げ出したトムを追い掛けもせずに娘のメイエラをぶちのめした。それだけでは気が済まず、娘の劣情を刺激した薄汚い黒人トムを、暴行と強姦の犯人に仕立て上げたのである。
 
 アティカスは法廷で、トムの冤罪を立証した。だが、この町で論理は通用しない。誰がなんといおうと、どんな証拠があろうと、白人の娘が、人間以下の存在である黒人を誘惑するなどあり得ないことなのだ。全員白人で構成された陪審団はトムに有罪を言い渡す。
 身に覚えのない罪で裁かれたトムは絶望した。護送の途中に逃亡を図り、射殺された。極めて後味が悪い幕引きである。

 

 

(余談)
ここも「劇薬」か、とは考えましたが、ま、米国の恥部である黒人差別を告発する映画は他にもあることを考慮し、今回は「劇薬」指定からはずしました。

 

 悲劇はそれだけではすまなかった。
 その年のハロウィンの日。小学校に入学したばかりのアティカスの娘スカウトは、学校のパーティにハムをかたどった張りぼての衣装で出た。パーティが終わって下校しようとすると、服も靴も見つからない。探し回っていたおかげで、学校を出るのがすっかり遅くなった。
 待っていた兄のジェムと一緒に、ハムの張りぼてに入ったまま自宅への道を辿った。鬱蒼とした森を抜ける道である。
 ここで2人は、暴漢に襲われる。暴漢は力任せにジェムを振り回して気を失わせ、次にスカウトに襲いかかってきた。ユーエルだった。アティカスに法廷で事実を暴かれ、恥をかかされたことを恨んだのだ。
 あわやというとき、スカウトに襲いかかろうとするユーエルの手を何者かがつかんだ。張りぼての小さな除き窓から必死に目をこらすスカウトの前で、2人の大人が激しくもみ合う。激しい息づかいが聞こえる。やがて1人が崩れ落ちた。ユーエルだった。腹にナイフが突き立っていた。
 
 衣の糖が溶け、中に入っていた劇薬が姿を現す。
 
 アティカスは最初、ユーエルを殺したのはジェムではないかと疑う。ジェムは最愛の息子である。だが、アティカスは正義を体現する法律家だ。例え息子が犯人であれ、裁判所へ届けるべきだと考える。
 しかし、ユーエルを殺したのはジェムではなかった。ジェムとスカウトを救いに飛び出した男、ブーが、勢い余ったのだ。とすると、ブーはジェムとスカウトの命の恩人である。彼を裁判所に届けるべきか? ブーは近所に住む知恵遅れの男である。
 ジェムが犯人なら正当防衛が認められるだろう。犯罪とはなるまい。だが、第3者であるブーとなると、緊急避難ということになる。緊急避難が成立して違法性が阻却される要件は、正当防衛よりはるかに厳しい。それでもブーを届け出るべきか……?
 
 "Ewell felled on his knife. He killed himself. There's a black man dead for no reason, now the man responsible for it is dead. Let the dead bury the dead this time, Mr. Finch."
 (ユーエルは、自分のナイフの上に倒れて、自分で死んだんだ。理由もなく死んだ黒人がいて、ヤツの死に責任がある男が死んだ。今度だけは死者に死者を埋葬させようじゃないか、フィンチさん)
 
 正義派、良識派の弁護士として悩むアティカスにそういったのは、保安官のテイトだ。こいつは殺人じゃあない。事故なんだよ。だってさ、

 

市民が犯罪を未然に防ごうとして起きたこと

事実をいえば、町中の女がケーキを持ってブーを訪問する。あんたと町のために大きな働きをした内気な若者が注目の的になる。それは避けるべきだ

 

 保安官はそういって立ち去る。
 保安官に従うべきか? なおも悩むアティカスに、今度は娘のスカウトがいう。

 

Scout

Mr. Tate was right
(テイトさんのいった通りよ)

Atticus

What do you mean?
(どういうことだ?)
Scout

Well, it would be, sort of, like shooting a mockingbird, wouldn't it?
(だって、これって、つまり、物まね鳥を撃つのと同じでしょ?)

 

 この土地では、物まね鳥を撃ってはならない、殺してはならないという暗黙のルールがあった。何故? ジャムの問いかけに、アティカスはスカウトもいる席で、
 
 「歌を歌うだけだからだろう。物まね鳥は作物を荒らさず、悪さもせず、歌って楽しませてくれる」
 
 と答えたことがあった。この町で生きてきた心優しい人々が頑なに守ってきた約束事なのである。知恵遅れながら心優しいブーは、物まね鳥ではないか。
 こうして、殺人はなかったことになった。アメリカにもあった大岡裁き、とでもいえようか。
 
 大岡裁きはほとんどが作り話らしいが、それにしても、まあ、他愛もない話が多い。この子は自分の子供だといって譲らない2人の女に、両方から子供の手を引っ張らせてみたり、受け取れ、受け取れないで宙に浮いた3両に大岡越前守が1両を足し、それぞれに2両ずつ渡して
 「三方一両損じゃ」
 といったりと、まあ、大の大人の鑑賞に耐えうるレベルには遠い。

 それに対して、「アラバマ物語」が扱うのは殺人の罪である。好ましくない人物かも知れないが、1人の男が殺された。法の立て前からすれば、殺した男に法的責任を課すべきかどうかを含めて法廷の判断を求めるべき出来事である。それを、保安官がもみ消す。弁護士が認める。
 このケースでは、これが正解だよね?
 というのが、「アラバマ物語」の問いかけ、メッセージなのである。
 
 民主主義は、人間に対する不信をもとに組み立てられたシステムである。権力は必ず腐敗する。だから権力は分散し、相互に監視させなければならない。こうして三権分立が成立した。
 人は間違う。どれほど優れた人でも、人である限り間違いからは逃れられない。だから裁判は三審制度をとる。
 民主主義も三審制度も、確かに効率は悪い。具合の悪いことも起きうる。だが、効率を犠牲にしてでも、多少のことには目をつむってでも、守らなければならないものがある。それが、権力が1極に集中したが故の惨禍を数多く積み重ねてきた結果たどり着いた近代社会の知恵である。
 
 と私は考えている。だから私は、この糖衣錠を飲み下すのに引っかかりを感じる。感じながら、でも、飲んでもいいのではないかと考えている自分もいる。何とも判断がつかないのである。
 
 世の中が不安定になると、人々が英雄を求めるのは、古今東西を通じた現実だ。議論を積み重ねて合理的な合意を形成するより、手っ取り早く行くべき道を示してくれる男にいてほしい、という傾きができる。
 それを確認するのに、ワイマール体制後のドイツでナチスが急伸した時代に戻らなくてもいい。つい先日の我が国の総選挙で、自民党というより、自民党を率いる党首に票が流れたのを見れば充分である。

 

 

(余談)
にしても、です。テレビのワイドショーに、例の「刺客」とかにおなりになった女性たちが大挙して出演なさっております。目にするたびに、そこはかとない不安を感じ、我が国の民主主義の不毛を感じ、なんだかんだといいながら、実は指導教官の意のままに動くだけの小学校の生徒会活動を見る気分になるのは、私だけでしょうか?
このような事態を招いた最大の責任は、民主党にあると考えております。

 

 アメリカは1950年代が黄金期であったといわれる。「アラバマ物語」が制作されたのは1962年。早くも社会の混乱が生じ始めていたのであろうか? 民主主義への、裁判への不信が芽生えていたのだろうか?
 その後ハリウッドは、ダーティ・ハリーを代表とする、遠慮会釈なく犯罪者を殺すダーティ・ヒーローを生み出していくのだが……。
 この映画の劇薬部分は、見た者を深く考え込ませるに充分な効き目を持っているのである。
 
 と書いてきて、糖衣錠のの部分に触れなかったことに気がついた。この糖、甘けりゃいいんだろう、ってんで、あまり上等の砂糖は使ってないようだ。
 
 第一、アティカスみたいな男、本当にいるのかね? 子供の年齢から推して、30代後半。妻がいないにもかかわらず、女の臭いがまったくしない。女への欲望のかけらすら感じさせない。ひたすら真面目に仕事をし、子供を育てる。
 らない。子供を殴ったこともないらしい。子供が何をしようと、諄々と説得するだけである。この人、人間の感情というものを持っているんだろうか?
 有能な弁護士であるらしいのに、田舎の黒人差別という陋習を嫌っている風でもあるのに、何故か田舎に引っ込んでいる。上昇意欲も、金銭欲もまったく持ち合わせていないらしい。何が彼をこの地につなぎ止めているんだろう?
 どうにも現実感のない、ただただいい人なのである。
 
 子供たちは、日本の子役とは比べものにならない素晴らしい演技をしているが、その造形が納得できない。ジェムはひたすら妹思いのいい子ちゃんである。スカウトがお転婆なのはいいとして、怖いもの知らずの正義漢というのはいかがなものか。
 子供とは複雑な生き物である。大人が失ってしまった美点を数多く持っていることは確かだが、様々な計算をする世渡り上手でもある。
 ジェムとスカウトは、あまりにも単純すぎるのである。
 
 ジェムとスカウトの救世主となるブーも、よくわからん。精神を病み、自宅の地下に軟禁されているようだが、どうやら人の寝静まった夜は、外に出ているようである。それはいいとして、何故にジェムとスカウトに愛情を持つのだろう? この2人はブーを近所に住む怪物と見なし、怖いもの見たさで接近を試みているだけではないか。そのようなガキに、ブーの立場にいる人間が愛情を持つか?
 
 裁判シーンの貧困さも困ったものだ。証拠はない。客観的な目撃者もない。ただただ事件の当事者を尋問するだけ。尋問の途中で証人が証人席から逃げ出しても誰も咎めない。こんな茶番劇で、事件の真相をあぶり出そうというのは、所詮無理な話ではないか。
 それとも、当時の米国の地方都市における裁判って、この程度のものだったのかな?
 
 やや手抜きの糖衣錠ではあるが、中にくるんだ劇薬が大層良く効く。よって罪一等を減じ、やはりこの映画は名画の1本に数えたい。

 

 【メモ】
アラバマ物語 (TO KILL A MOCKINGBIRD)
 1963年6月公開、上映時間129分
監督:ロバート・マリガン Robert Mulligan
出演:グレゴリー・ペック Gregory Peck = アティカス
   メアリー・バーダム Mary Badham = スカウト
   フィリップ・アルフォード Phillip Alford = ジェム
   ジョン・メグナ John Megna = ディル
   フランク・オバートン Frank Overton = テイト保安官
   ブロック・ピータース Brook Peters = トム・ロビンソン
   ジェームズ・アンダーソン James Anderson = ユーエル


【初出2005年10月21日】

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